蒼穹のファフナー    ~祝祭としての人身御供について~

アニメ

「蒼穹のファフナー」シリーズを全て、具体的には「第1期(2005年)」、「TV special RIGHT OF LEFT」「劇場版 HEAVEN AND EARTH」「EXODUS」「THE BEYOND」を鑑了した。

所感としては、1期では非常に観辛く分かりにくかったキャラクターデザインの描き分けや,戦闘シーンにおける神話的解決の多用、宗教や哲学的モチーフによる世界観が、シリーズを経るごとに、スタッフの経験値とともに見やすくクオリティの進化を感じられる点が印象的だった。

また、 「劇場版 HEAVEN AND EARTH」「EXODUS」「THE BEYOND」 と劇中での年代記を重ねることで、登場人物たちの後続世代を含めた価値観や世界観の変遷が伺えるように丁寧に描写されており興味深かった。

作品全体は主に「生と死の循環」「生態系の持続的発展」「実存と対話」「神話と祝福」といったテーマを通して、外来生物という完全な「他者」との共存共栄を積極的に図ろうとする構成だ。

ここでは神話における「祝福」と「人身御供」という観点に着目して考えたい。

作中の外来生物は「フェストゥム」という名称で、当初は集合意識体としての群体生物として、シリーズを経るごとに個体意識の萌芽が生じる状況や、人間に準じた社会構造の構築などの高度な知的生命体に進化する姿が描かれる。全体的には未知の自然、あるいは宇宙の驚異のイメージと重なるように描かれているように感じる。

「フェストゥム」とは語義として「祝祭」を意味するが、ここ作品での意図とは、要するにフェストゥム自身が上記のように進化する生態系として「祝い、祭られる」存在であると考えられるが、作中の人間(と神的存在)との関係性の発展を考えるなら、むしろ人間自身に対しても「祝祭」「祝福」として機能しているとも読み取れる。

つまりフェストゥムという完全な「他者」による数多の襲来を受ける中で、フェストゥム自身、具体的にはミール(フェストゥムの意識結晶体)としてフェストゥムを一部取込み、コミュニティの守護神/集合意識として、その力を感じ取るとともに、人間がフェストゥムに対抗、対話するための手段として描かれる。それは生命の進化ともとれるし、生命自体の有限性に気づく機会を与えているということでもある。敵対する集団が、敵対集団に対して力を与える。生態系を異にする集団同士において、これ以上の祝福があるだろうか。

※一方でフェストゥムとの関係性の進展により、人間が生殖能力を失っていくために、強制的に フェストゥムという完全な「他者」に 関係せざるを得ない、という逆の意味の「祝福」も示される。

作中で「祝福」の定義はシリーズを経るごとに変遷する。第1期から劇場版「HEAVEN AND EARTH」まではそれが語源自体の意味である、キリスト教的な「祝福」=”生命活動の肯定”として示される。具体的には、人間による他者との対話の結果として獲得した「神」= ミール(フェストゥムの意識結晶体) からの「恵み」=祝福として、フェストゥムと対峙、対話する力として提示される。

それが「EXODUS」では、祝福は”罪を償う”ものとして提示される。例えば「EXODUS」における皆城総士は、エメリーから「フェストゥムにとって抜くことのできない棘」だと指摘を受ける。EXODUSの最終回で皆城総士は、その命と引き換えに(後ほど転生するが)フェストゥムを「痛み」(無意識生物に対して恐怖を芽生えさせる行為)で祝福する存在として示される。

あるいは真壁一騎の事例では、第一期において犯した”皆城総士の右目の喪失”や、”マークエルフと味方陣営の情報漏洩(捕虜化、マカベ因子の強制提供)”という罪に対して、「EXODUS」では、マカベ因子の提供者という”英雄”として「祝福」される。マカベ因子、つまりファフナー搭乗資格者が、同化現象の促進による寿命の短縮を意味しているので、この言動自体が真壁一騎にとっての「祝福」(贖い)である。「EXODUS」の後半において、真壁一騎が同化現象の進むパイロットたちの症状を肩代わりすることで「祝福」 (贖い) していることも、この結果責任として象徴的に描かれる。

では、この作品における「祝福」と「人身御供」とは、どのような関係にあるのか?

前述のように、若年のファフナーの搭乗者/マカベ因子の保有者は、ファフナーとの同化現象の進行により短命である。あるいはファフナー搭乗によるフェストゥムとの戦闘で命を落としやすい存在である(作中では頻繁に主要登場人物が絶命する)。この”若年”という設定からもわかるように、人類は若年層を「人身御供」として捧げることで、フェストゥムという未知の脅威(自然あるいは宇宙)と対峙、対話する構図が繰り返し描かれる。

あるいは人間が、フェストゥムの前駆体であるミールと同化することで、フェストゥムと同等の存在となる対話が可能になるが、その対象もまた、赤子であったり、幼年者であったりするため、ある種の 「人身御供」 として描かれる。

個人的にはここに強烈な違和感を感じた。もう少し敷衍すれば、現代のテクノロジー世代における「人身御供」の価値観はどの程度許容されるのか。さらに付け加えれば、フェストゥムにより生殖能力を奪われた状態において、強制的に若年層を「費消せざるを得ない」組織構造に将来性があるのか。一方で現代日本における、若年層への負担の皺寄せ(政治的失敗、経済的失敗、文化的失敗(新規価値観提供の失敗)の反映にも読み取れるため、忸怩たる思いを覚えながら鑑賞していたことも事実だ。

登場人物たちも、この価値観を所与のものとして、憤懣を示しながらも半ば諦念的に受け入れている様子が繰り返し描写される。「TEH BEYOND」の11話において、日野美羽が新たなミールであるアルタイルとの交信を通じて状況の打開を図ろうとする。ここには 日野美羽 自体が”ミール化”する危険性があり、それを制止しようとする(転生した)皆城総士に対して、真壁一騎はこれを力で押し戻す。「仕方のないことだ」と。

だが、ここで価値転換が起こる。

蒼穹のファフナーTHE BEYOND (Original Edition)_1

神話的な要素が多いため、具体的な描写というよりも感情の動静による展開の進行が多いのが本作の特徴なのだが、ここで日野美羽が単独でアルタイルと交信することでミール化するのを食い止めるため、(転生した)皆城総士が「共同で」アルタイルとの交信を働きかける。おそらくここで同化現象の負担を分け合うことで、2人は、ミール化=人身御供となることなく、その本質に触れ、絶望的な状況からの打開に成功することになるのだ。ここにおいて、人身御供は人間の持続のための必須でも必然でもなく、それなしでも事態を打開出来るという価値観に転換するのだ。

ここで決定的に重要なのは、転生した皆城総士の存在だ。「EXODUS」のラストにおいて、真壁一騎からジョナサン・ミツヒロの攻撃を庇う形で、2度目の最後を迎えた皆城総士は、島のミールである皆城織姫の祝福を受ける形で、新生児として転生することが示唆される。一方で「THE BEYOND」では当初から皆城総士が、フェストゥムに攫われて、偽りの世界(偽竜宮島=北極)で育成される。

この完全な「他者」との環境の生活において、その世界観に疑問をもってしまった(何故外の世界を知らないで良いなどと言えるのか、など)皆城総士は真壁一騎の支援のもと、人間世界(海神島)へと奪還されるが、そこでも、何が正しいかを反問し続ける存在として描かれる。

だから、 選抜された人間がアルタイルと交信することでミール化 する=人身御供を所与のものとする、という価値観に反発したのだし、日野美羽が搭乗するファフナー:マークザイン(sein=存在)と、皆城総士が搭乗するファフナー:マークニヒト(nihkt=否定)とともに、その「否定形」としての新たな価値観を提示することになる。

ここが、このシリーズ作品の白眉だと思う。

シリーズ中に繰り返される「祝福」としての「生と死の循環」。それに葛藤しながらも諦念して受け入れつつ、その諦念すら美しいと思わせる価値観。

それらは決まりきった価値観ではなく、時間軸と外部文化との折衝を通じて、変容しうる、可能性のある枠組みなのだ。

生と死の循環と神話の関係に関し、世界では幾つかの神話において、例えばジェームズ・フレイザーの「金枝篇」においても複数の「生と死の循環」の物語による社会的意義の構築、生命の尊厳、哲学的探究、農耕的思想などが世代的に継承される。

またヒンドゥー教における輪廻転生では、その終着駅として、魂が輪廻のサイクルから解放され、永遠の幸福と平安を得る状態が「解脱」であり、最終的に「神」となるプロセスと理解される。「ブラフマン(真理)とアートマン(個々の魂」が一体であり、生命の連続性に繋がっているとされる。

「蒼穹のファフナー」においては、存在の追求を通じた生と死の祝福が描かれるが、その輪廻転生が「次世代の新たな価値観の醸成」の可能性として示唆されることが、非常に印象的だ。

これは神話という性質上、一回性の物語や寓話における年長世代から年少世代への意識継承という観点を考えれば、神話が神話を更新する(=「神話が考える」(福島亮太))ということが出来るだろう。

神話それ自体がネットワーク的に発展し、成長し、その定義を更新する。そのダイナミズムが、本作の大河ドラマ的な魅力の根幹を成すものだと思われる。

HTB北海道テレビ、『蒼穹のファフナー』TVシリーズ第1期全26話を5月17日より7週に渡り放送 - Anime Recorder

(その他個別作品感想)

【第1期】

あらすじ)日本の片隅に浮かぶ竜宮島に、ある日突然、不思議な声が響き渡った。「あなたはそこにいますか…」そしてその瞬間、謎の敵によって竜宮島は襲撃される。島に暮らす少年・真壁一騎は、切り札として用意された兵器・ファフナーに乗り込み、戦うことを決意するのだった。

蒼穹のファフナー。タイトルの意味は、蒼穹=青く広がる空。

ファフナー=ファフニール(北欧神話及びゲルマン北部の語で巨人)。

概要としては、青く広がる自然全体、巨人という他者という意味も提示されつつ、言語や生態系が根本的に異なる存在との共存、共生、対立の低減、自然との調和と人間の運命を描いた作品。ロボットは、人類を守るための武器であり、同時に自然の力に対する畏敬の念を表現された。

アニメーションにおけるロボットの役割が、少年少女の成長観の肯定という単純な回路から(マジンガーZ)、戦争兵器としての側面(機動戦士ガンダム)や、心理的世界を体現する方法(新世紀エヴァンゲリオン)を経て、本作のように自然の畏怖と肉体的な衰弱を伴う存在と変遷していく状況は極めて興味深い。

また、登場人物たちは一様に、人間関係や職務に強い責任感をもつ倫理的で暗い存在として描かれる。

全体の世界観としては「停滞した島宇宙」=2000年代のバブル後の停滞感を象徴する日本自体として提示され、首都その他主要な産業圏が壊滅している状況として描かれる。

この状況に対し、残された人類:竜宮島の人間たちは、集合意識生体としての侵略者に対して実存主義的なアプローチを模索することで、理解不能な他者=フェストゥムとの止揚的な展開を試みる。

具体的には主にマルティン・ハイデガーの思想を援用しつつ、

1、 「現存在」としての問答(自らの存在を問うことで、集合意識体から「個」の分立を図る)。

2、 「世界内存在」としての人間側の連帯の確立(他社の存在を認め、相互に影響していることを理解したうえで、終わりなき「対話」を試みる。

3、他者に対する言語体系の付与(ハイデガーで示される「存在の家」・・・言語を「存在の家」と呼び、言語を通じて存在が開示されると考えるもの。言語は単なるコミュニケーションの道具ではなく、存在そのものを明らかにする役割を持つとされる)。

4、「死への存在」(「存在と時間」)として、生命体は本質的に死という時間へ向かって活動していくことで、フェストゥムに個別の「意思」や「感情」を惹起させる。

さらに「死」に繋がる「痛み」を確認する、生命体相互で共有することで恐怖への「感情」を生み出し、その動物的な破壊活動に歯止めをかける試みとして描写される。

一方で、アニメーション作品の課題としては、絵コンテが比較的単調であり、特に戦闘描写において具体的な戦術や躍動感のある絵作づくりに難があり、緊張感に欠ける。どちらかといえば気合の掛け声と神話的な力強さの付与に依拠した戦闘シーンがメインとなるのは、全てのシリーズ(TV special、劇場版、EXODUS、THE BEYOND)に一貫して指摘できることであり、ここはシリーズ構成と絵コンテ、アクション作画監督や原画担当者等と少し協議する必要があったように感じる。。

また、キャラクターデザインが崩れがちで、皆同じ顔に見えるため状況理解が難しいという点は、鑑賞を続ける上での大きな障害に感じる。

蒼穹のファフナー RIGHT OF LEFT_1

(個別作品感想)

【蒼穹のファフナー RIGHT OF LEFT】

あらすじ:蒼穹のファフナー第1期の1年前に「卒業」した竜宮島の戦士たちのフェストゥム襲来作戦の遂行を描く。

1時間のLimited Editionとして非常にまとまった脚本、1期に比較して各段に優れた演出、戦闘描写、何より通底するテーマである「循環する生と死の生態系の螺旋的発展」を、島に「残る側」も「出る側」にも等しく痛みと希望を分け与えるラストは感動的。

蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH_1

【蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH】

あらすじ:蒼穹のファフナー第1期の1年後、フェストゥム殲滅作戦を続ける人類軍に憎悪を募らせる形で強大化、組織化しつつあるフェストゥムが竜宮島に襲来する。北極戦で結晶化した総士を取り込む新たなミール「来栖操」による、竜宮島との共同戦線、甲洋の復活と参戦、竜宮島に30年ぶりに表れた自然受胎の娘「美羽」を軸に、人格の片鱗を保有し始めたフェストゥムと人間の対話と争いを描く。

1期で象徴的に退場した主要キャラクター達の復活参戦という大掛かりなファンサービスをきっちり行いつつ、第一期で残された課題であった「人格を備えつつある人外(フェストゥム)との対話、交渉」という構図に、高い脚本構成と演出力で挑んだ野心作。機動戦士ガンダムでいうところの劇場版「逆襲のシャア」が、機動戦士ガンダムにおけるニュータイプ神話と人類の永劫的発展という欺瞞に終止符を打つ(視聴者に対する文字通りの)「逆襲」であるならば、本作「 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH 」は第1期で描いた終末的結末を次世代による祝福として希望的に描いた、ある意味で写し鏡の作品といえる。

蒼穹のファフナー EXODUS_1

【蒼穹のファフナー EXODUS】

あらすじ: “あなたは そこにいますか?”西暦2150年。遠い宇宙から来たシリコン生命体・フェストゥムとの戦いは、新たな局面を迎えていた。第一次蒼穹作戦で砕かれた北極ミールは、その欠片を世界中にまき散らした。それらはやがて、独立したミールとして、個別の活動を始めた。大半のミールは人類への憎しみを抱き、戦いを挑んできたが、一部のフェストゥムは人類との共生を選択した。同じ思想を持つ者は、人類のなかにも存在した。彼らは人間であり、フェストゥムでもあった。その存在が戦局を混乱させ、より多くの憎しみを生んだ。戦いはもう、人類対フェストゥムという単純な構図では語れなくなっていた。そんななか、竜宮島だけは戦いの表舞台から姿を消し、沈黙を守っていた。2年前の来須 操との邂逅で、島はミールと対話する手段を手に入れた。それは島に、可能性をもたらした。アルヴィスの子たちは、戦いの準備を整えながら、敵を理解する術を模索していた。そして、今また、島に更なる進化がもたらされようとしていた。フェストゥムの言語を解する少女と、フェストゥムに守られた少女。ふたりが出会う時、新たな世界の扉が開く…

タイトルの「EXODUS」とは、旧約聖書における出エジプト記におけるイスラエル人がシナイ山を目指して過酷な未来を進むことに由来する、「大量移民」や「脱出」であり、同時に「大量移民による新コミュニティの樹立」をも意味する。そのサブタイトルの示す通り、竜宮島に到来した希望を、安定よりも未来を求めた人々が多大な犠牲と苦難を払って進む物語が主軸となる。

第1期からTv Special 、劇場版を経て、監督と演出の交代も含め、脚本構成、演出(とくに戦闘描写が素晴らしい)、世界設定がかなり緻密に作り込まれている。

新国連軍=人類軍が、個体化し巨大化したフェストゥムと協業して、竜宮島を含めた対抗勢力を根絶やしにしようとする思想戦争とも言えるストーリーは、組織が巨大化することで内ゲバが進みセクト争いが生じる普遍的な構図として描写される。

また、これまで肯定的であった概念を、多義的で止揚的な定義として活用するなどの展開が見られた。 (例えば祝福という、もともとは神からの恵みを寿ぐ意味合いの単語があるが、第1期では「生命の肯定」(最終話参照)と意味していたが、「EXODUS」では「罪を償い、未来へ進む」ものとして提示されている。)

人物描写においては、それまで不自然なほどに抑制気味であった性的要素の描写頻度が上がり、少年少女の生と死に隣接するものとしての要素がやや浮き上がっているように見られる(スーツの造詣は完全に人物たちのボディラインを意識したデザインである)。

このEXODUSにおいて2点指摘しておきたいことがある。

一つは遠見真矢の位置づけの根本的な転換だ。1期からの秘蔵のエースパイロットとして非戦(フェストゥムのみと戦闘)の存在であった彼女は、このEXODUSにおいて、完全に生存のための「人間殺し」に手を染める、現実主義者として最終的に存在している。最終回のラストで、キースを殺め、ビリー兄を仕留め、ビリーに打たれる覚悟を示す(そして溝口に救済される)描写は、彼女が生存するものとして「生に伴う死」を受け入れる(責任主体として成熟する)ものに成ったということを示す。最早、彼女は真壁一騎一人に背負わせることなく、抽象的にも具体的にも竜宮島の継続のための責務を行使する主体となったことが描かれている。

いまひとつは真壁一騎である。ラストで彼は生と死の循環の中に存在する、ある種の「永遠」の観念的存在となったことが示される。これは同様にラストで皆城総士が「存在と無の地平線」へ旅立つ(そして転生して赤子となる描写)と対比すると如実であり、ある意味でフェストゥムと同等の存在と成ったことによる生態系の調和として示されることで幕を閉じる。

蒼穹のファフナー THE BEYOND (TV Edition)_1

【蒼穹のファフナー THE BEYOND】

あらすじ)人類とフェストゥムとの戦いは、さらに複雑さを増しながら続いていた。

「第五次蒼穹作戦」の名の元、奪われた同胞を取り戻すため
人型兵器ファフナーに乗り込んだ真壁一騎ら竜宮島部隊はフェストゥムとの激しい戦闘を繰り広げる。

「誰かが生きるために誰かが犠牲になる。そんな世界を捨てて生きよう。」
「お前を、居るべき場所へ還す」

奪われたのは竜宮島の人々にとって、かけがえのない存在。
だがそれは、拮抗するものたちにとっても同じこと。そして、人類にとっても……。

終わりの見えない戦いが続く世界。
そして、ここに今、また新たな物語が始まる――

導入におけるシリーズ史上屈指のスピード展開に始まり、フェストゥムが運営する疑似コミュニティと人間の共生という、かつてない進化した生態系が描かれ、完全にフェストゥムと人間が対等な生物となったかのような世界における価値観の衝突が描かれる。

完全に第一線を退いた風情のある真壁一騎を始め、老年世代の真壁父、組織の厳しい母然とする遠見真矢など、それぞれの成長を感じさせる描写が広がる。

「人身御供」としての祝祭を、必然的な価値観から解放するという命題もさることながら、ラストシーンで、真壁一騎が遠見真矢を外の世界へ誘う描写が最大に印象的。

「遠見、一緒に来るか」

「、、、うん、ありがとう。でも私はここで待っているよ」

この会話が、既にミール化しつつある真壁一騎と、かろうじて人間側にある遠見真矢を、一筋の川を隔てて交わされるシーンは非常に象徴的で美しい。

参考文献

eonet.ne.jp/~human-being/sub1.html?t&utm_source=perplexity

CV_20240722_kyouyoronshu_366_75.pdf

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蒼穹のファフナー EXODUS 第26話-10「EXODUSにおける祝福 Part1」 | Lugh's Chain
祝福 キリスト教で、神から恵みを授けられること。 『精選版 日本国語大辞典』(小学館) 一期から『HEAVE

※祝うとは https://www.crazy.co.jp/magazine/whatisiwau

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