ディケイド後半の新様式か
Contents
・所感(未定)
2025年文芸作品(映像)ベスト
・BanGDream! AveMujica
・メダリスト(アニメ)
・アポカリプスホテル
・前橋ウィッチーズ
・Cocoon(アニメ)
・銀河特急ミルキーサブウェイ
・ぷにるはかわいいスライム2期
・ひゃくえむ(アニメ)
・国宝(映画)
・羅小黒戦記2(映画)
子供も楽しめる作品群
・BEASTARS FINAL
・全修
・たべっこどうぶつ(映画)
・インサイドヘッド2(映画)
・チェンソーマン レゼ編(映画)
・忍者と殺し屋のふたりぐらし(アニメ)
・タコピーの原罪(アニメ)
・Dr STONE SCIENCE FUTURE
・CITY the animation
・ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス
・劇場版 ガールズバンドクライ 前後編
・ズートピア2
・劇場版 小林さんちのメイドラゴン さみしがりやの竜
その他
・ペリリュー 楽園のゲルニカ
・果てしなきスカーレット
・この本を盗む者は
・所感
2025年はアニメ作品を通して文化分析を敷衍したマーケティング分析に措ける情動分析を行いつつ、
新規事業のネタに資する情報を構築し模索する年だったかもしれない。
国内外のアニメ作品、映画含め百は優に超える視聴で、或る意味英語の学習以上に過酷だった。。。
2025秋アニメは、諸事情により半分以下の視聴となっているほか、本業に工数を割いている状況。
表象文化論学者の石岡良治の述べるように2020年代はジャンプ漫画のアニメ化全盛期であり、
世界的な市況すら活況を呈している状況だが、
チェンソーマンや僕のヒーローアカデミア、呪術廻戦など一部を除いて文化的には新しい価値が出てきていない辛さであり、
これを打破するムーブメントの発生を2025年というディケイド後半折り返しにおける時期に期待する向きもあったが、
残念ながら寧ろ2025年はジャンプ漫画が市場的にも認知的にもアニメ産業を大きく支えている構造を再確認する結果となっただろう。
「或る世代」までは日本の代表的なアニメーション映画に期待される向きは、
家族で安心して観に行けるクオリティの高い、いわゆる「ジブリ映画」であり、宮崎駿が実質的に引退している状況で、
「ポストジブリ」として新海誠や細田守などに大きな期待が掛かっている状況である。
しかし、寧ろ市況と認知をふまえるに、ポストジブリとは寧ろ「ジャンプ」アニメと結論づけられるのではないか。
そういう状況でドメスティック、グローバルな射程距離の深度を踏まえつつ、
ドメスティックな閉じ方が寧ろグローバルに逆説的に受けるような状況を考えたい。
具体的にはグローバル受けを狙って作品としての全体性のクオリティを無視した「果てしなきスカーレット」のコケ方、
中二病的描写が全開なドメスティックさが寧ろグローバルに受けているチェンソーマン レゼ篇 なども挙げられよう。
・2025年文芸作品(映像)ベストについて以下記載したい。
・BanGDream! AveMujica

音楽を通して神話を構築し、新しい感性と時代を提示するものだった。
そこで提示された世界は、価値対立を無効化し、虚実を飲み込み、
音楽に古くて新しい価値観を与えるものになるだろう。
神話は時間性をもち、音楽とともに空間を反復する。
音楽は主客の価値観を絶えず更新する。
情動により前個体化との境界の可能性に晒される個人(睦の内部人格たち)には新しい可能性が広がる。
BanGDream!Ave Mujicaが本作で体現したものは、正しく新しい神話であると思う。
詳細は 参照
・メダリスト(アニメ)

花田十輝による丁寧で直截的な少年少女の情動表現、ENGIによる息を呑むような3DCGとスケートリンクの迫りくる輝き、フィギュアスケート監修による精緻な演目、全てを包摂する力強い音楽、何もかもが奇跡的な仕上がり。観たらきっと、滑りたくなる。
形而上学的には、いのり選手と司コーチは「推し合う」現在系の推し活の形態の模索であり、その着氷の終焉を含めて必見の作品。
・アポカリプスホテル

悠久の時空間は情動を生み出し、惑星も惑星外も包摂する。地球はホテルであり止まり木である。
ホテルを媒介に無限の時空間が豊かさを諸行無常的に示される。
ホテルに集う有象無象の外来種が豊かな生態系を産みだす悠久の時間と空間が縦横無尽に提示され、
錆びた地方都市の可能性すら沸き立つ。
アポカリプスに集う惑星辺縁の来客がホテルの空間可能性を無限に引き延ばし非常に魅力的。
アザラシ拍手やペガサス甘嚙みを始め生命体描写も素晴らしい。郷愁を優しくスケッチピアノで包む美術も堪らない。
音響では崩れ去るアンドロイド従業員も廃墟ビルの朽果て方も、割れた鏡でのファッションショーも映える。祠すら郷愁を興す

映画トラペジウムへの返答、あるいはアイドル論と接続すると、
アイドル自身が自己肯定するのがokとする思想はかなり有効性がある。
一方で、いわゆる認知療法的アイドルが有効性を持つ場合、
奈落の底の途中まで人の痛みに寄り添う活動は無自覚に肯定し得ないものだろう
だからこそ「魔女」として異化して溜飲を下げるのかもしれない。
良い点:
吉田恵梨香の造詣精度の高さが音楽と絵コンテにドハマリ 普遍的な少女文藝たりえる。
検討課題:
チョコちゃんは魔法で救われず、現実的に闇落ちする可能性がある。彼女を包摂する経済的、文芸的意匠が重要

瞠目すべき。 なぜ蚕は飛べないのに羽化しようとするか。
それは幼児期の夢と羽を祈りに変える成熟への導線である。
社会と経済に順化した生物の可能性を剥奪し
目的のアノミーの悲劇をコミカルにすら映す。
女性集団は軍人の男性の介護と性的消費への繭であり蚕であり二重の被害者の表象となる.
演出;ほぼ白黒の原作をフルカラー化する意図は蚕の糸の白さを強調する以上に生命の儚さと美しさを花弁の舞で哀しく彩る
脚本;学校を仮構する避難生活は少女を洞窟へと歴史を巻き戻す。
渡せないプレゼントはサンの未熟と優しさを直喩する。
傷病兵隊の看護は繭の実用性と現実を結実しサンの成熟を強制する
絵コンテ;蚕の孵化を夢見て飛べないサンの素描が良い。
タマキを掬い出す滑らかさ。爆ぜる生者の死と華の舞。
ヒナを見捨てるマユ、攻めるサンの慟哭が迫る。レイプ表象の血と天空の陽射しと少女達
キャラデザ;サンはマユの庇護から解き放たれ未来を見渡すか。
マユはサンを庇護する男性的意匠でメタ的保護者であり運命論者であり白い影法師の召喚者。
美を異様に気にするタマキと戦場での即死。
タマキの翼賛的国家主義と対比される純粋なサン。
美術;広がる白い雲に影射す戦火の予兆。
べたべたの誕生日会を油絵の情景が掘り起こす蚕を導き、飛べないマユを引き戻す
音響;静謐で徐々に迫る恐怖がある

終始キッチュなパロディで在りし日の宇宙旅行をスカシてコミカルに落とし込む、リプシンクの傑作。
ナンセンスを重ねてメイクセンスする現代の不思議の国のアリス感すらある。
最後のときめきメテオストライク、20年くらい前のポップソングに合わせた動線の巧みさ。
神椿市建設中よりある意味PV的。
凄まじいクオリティの人形造詣3DCG、探偵オペラミルキィホームズとgdgdフェアリーズの進化系でもある

夏の闇ベスト
様々な人の「可愛い」の原典探求で回帰と分裂でピュグマリオンがスライム生命体として無性と有性とで揺さぶられる。
その生成する瞬間の悍ましさを見せつけつつ、
玩具のガジェット性を定位し認知するコタローは現代性と自らの無限性をも認める嘗てない児童像。
コペルニクス的シミュラークルの現代的展開の極致を日曜夕方にやる恐怖w

・情動理論:心理構成主義、或いは情動のコンセプト理論
競走を巡る哲学的討論と情動的な競走シーンの相互干渉は、視聴者を絶えずニ価値観の狭間で揺さぶる。
逃避的、精神的理由から競走へ向かう小宮、それを諌めるトガシによる技術理論、
さらに技術の袋小路による精神崩壊に悩むトガシを追い抜く小宮-
相次いで登場するトップスプリンター、サブトップ、若手トップと、何もが精神と技術の狭間で揺れ動く様子が描かれる。
価値の無価値化、ニヒリズムの輪転が一つの見所となるが、それは作者の魚豊による完全な確信犯として提示されるだろう。
それは最終局面における、怪我を跳ね返すトガシの不敵な笑みである以上に、精神と技術を巡る作劇が殆ど虚構そのものの表現として、リアリズムとデフォルメの往復として示されるからだ。
それはこのニヒリズム的価値観の輪転自体の袋小路を俯瞰的視点から微笑ましく見下ろす作者の優しさであり、虚構ならではの豊かさだろう。
精神と技術について少し考えると、それらは互いに背反するものでなく、相互に入れ子構造であることに気付く筈だ。
例えばリサ・フェルドマン・バレットが提唱する「情動理論:心理構成主義」、或いは情動のコンセプト理論がある。
これはかいつまんで言えば、感情の前駆体である「情動」(リサは「情動のインスタンス」として扱う」が、全ての人間に所与のものではなく、経験的に多用な要素により組み上がるという脳科学理論だ。
マクロの細胞の大半が予め決まっているがミクロの回路は異なる。過去の経験で未来の知覚が導かれるとされる。
その主要な要素はシミュレーション、概念、縮重などで構成され、物語は脳全体で同時に進行する。
各種情動のインスタンスは個別の構成要素に見出すことは出来ないというものだ。
これを本作ひゃくえむに当てはめれば、
精神か技術かという議論ではなく、精神も技術(脳内組織の相互刺激作用の蓄積)により構築されるのだ。
多分、作者はそれらの構造を所与のものとして、最終局面におけるトガシの嘲笑うような狂気の走りに歓喜を見出している。
同様にトガシが繰り返す「100mを誰よりも速く走れば全部解決する」も、裏返せば、それが出来なければ全て失うことであり、そもそも全部解決するという言葉時代が諧謔でもある、輪転するニヒリズムである。

冒頭の悪魔の表象=暗黒に舞い散る桜吹雪が対照化する、立花家の出入り(血)と最期の鷺娘における雪道を始めとしたあらゆる意匠が、芸術的にも文藝的にも日本の古典芸能の可能性を見つめなおすことになるだろう。
端的に言って、歌舞伎という芸術の、映画による再興であり、圧倒的な画面美術、絢爛な衣装、舞台意匠、歌舞伎の演目:藤娘、二人道成寺、曾根崎心中、鷺娘などの劇中劇を仮構した人間的描写の追求、なにより喜久雄と俊介を演じる、吉沢亮と横浜流星の、人智を超える演技力に目を見張るばかりだった。
役者経験者として、中盤以降の「血」に苦悩する喜久雄、初回の「曾根崎心中」における相乗効果、2回目の喜久雄と俊介が織りなす嘗てない複雑な関係性を確信犯的に演じあう「藤娘」、「二人道成寺」、「曾根崎心中」、人間としての幸福を振り払い続けた果ての「人間国宝」と成った喜久雄が最期に観る「美しい」景色、何もかもが感動的で清冽だった。

圧倒的な画面と動線創りに兎に角息を呑まされた。
雑にまとめると、開かれた「アークナイツ」だった。
※アークナイツ について 参照
種族対立と共存以上に、複数勢力が交錯して「執行」対象を炙り出す。
その結果は内在的危機であり、終わりの無いテロリズムと支配の入れ子構造である。
それは 「種族」以上に「場所」を巡る問いかけに観えるだろう。
例えば序盤における神殿;流石会館では、冒頭から弱肉強食的世界観が示される。
具体的には飛蝗を食む蜥蜴、
その世界を蹂躙していく武装戦闘集団の人間の構図がある。
精霊にバックアップされた人間とその兵器は、並の精霊警備員を圧倒するとともに、
伏兵的な黒幕の存在にも援用されるだろう。
神殿では、神/精霊に対立する人間の構図がある。
つまりに神と人間の交錯する場所としての神殿だ。
あるいは夜市における黒幕一派の端緒を追いつめる場面では、
小黒(シャオヘイ)と鹿野(ルーイエ)がニーホアンを追いつめる。
ここでは都市圏に紛れる神/精霊同士の対立を眺めるしかない人間の構図がある。
都市圏における流動性や刹那性を、
神/精霊同士の対立として表象しているように観えるだろう。
終盤では北方地方(恐らく北中東~ロシア連邦)における、
兵器を携えて戦う人間に対立する神/精霊の構図、
さらにはその背後における、神殿と人間界を繋ぐ境界線(門)における、
人間(無限)に対する神/精霊の構図がある。
国境線沿いにおける彼岸と此岸の対峙以上に、
ここには支配圏の臨界点における屹立が示されるだろう。
さらにはその北方勢力との戦闘、技術的脅威を一新に観に受ける人間(無限)は、
さながら現人神であり、
2020年代の中国共産党政権の国家主席の神秘性をすら表しているかもしれない。
いま一方の終盤における朽ちた製鉄所(モデルは北京市西郊の首鋼園)における、
神/精霊同士の対立。
ここでは支配権力を巡る腐敗的構造とそれを追求する表象が見て取れ、
或る意味で腐敗一掃を目論み粛々と進める2020年代の中国共産党政権の似姿でもあるだろう。
子供も楽しめる作品群
娘(小学5年生)が嵌った作品について以下。
・BEASTARS FINAL

1 st season 以上に肉薄するテーマ性と画面構成、音響が胸に迫る。
暴力、差別、性問題を、動物のアイロニーをモチーフに徹底的にキャラクター同士で掘下げる様相が凄まじい。
この草食獣と肉食獣の対話、融和を寓話で観ながら、現実でトランプ大統領がLGBTQを存在拒否する宣言をするのを横目に観ていると、もうやり切れない、、
・全修

「個人」の創作活動の酸いも甘いも嚙み分ける傑作だった。
描くことでしか自分を確認出来ないそれが叛逆でしかないと知りつつも描くことしかできない.
その悲哀を、情動を噛み締める仕上がりだった。
闇に飲まれながら希望を語る絶望、世界を拓く光、初恋に別れを告げ現実で期待をかける締めが眩しかった。
描き、創り出す世界。憧れをカタチにする世界。暗闇でも足掻く主人公:ナツ子を犠牲に新たな世界が拓かれる。
詳細は 参照
・たべっこどうぶつ(映画)

とっても美味しくいただきました。
ある意味伝統的な一神教と多神教の争いであり、アイドルの可能性をオヤツを通して考え直す機会でもあるだろう
しっかりしたエンタメはアイドルの必然性条件でもある ネコ/水瀬いのりが可愛い
・インサイドヘッド2(映画)

情操教育と情動構成理論を地道にエンタメでやる、思春期もの米国発信の一世一代の傑作。
大人も子供も、ファスト&スローな脳内主人公たちと波瀾万丈な旅へ。
・チェンソーマン レゼ編(映画)

普通に最高のエンタメ。藤本タツキは全てを映画に見立てて作劇している。漫画も同じ
全体的にはニヒリズムの輪転に見せかけたアナーキズムの可能性の模索だと考える。
チェンソーマン本編もそうだが、
単純な露悪では無く快楽等原則に基づくピカレスクであり新しい人物造詣を探究する構造がある。
映画構成的には細かい価値反転の繰り返し。
ロマンス→ギャグで落とす ロマンス→ホラーで落とす 花火→暴力で落とす アクション→田舎から都会への反転で落とす
アクション→ロマンスで落とす ロマンス→鼠/無価値化で落とす
前半のロマンスはダルさを防ぐギャグやホラー要素が間断無く射し込まれ、
プールで迎えるクライマックスは牛尾憲輔の音楽と共に最高に贅沢な時間がある。
花火はロマンスの一過性であり生物的刹那性であり、舌切り雀への導線でもある。
後半は何度見ても息を呑む絵コンテ。
特に台風悪魔との戦闘、極彩色で爆破を連鎖するレゼ戦闘が凄まじい 。
微妙にレゼ立ち位置がビル戦闘内で入れ替わるのは自己補完が必要 レゼは戦闘では無く、
海中の気分で内破されるだろう 。プールロマンスの価値反転もある。
最終的に路地裏で、鼠の群れと共に天使の悪魔(ロンギヌスの槍)に刺殺されるレゼは、
都会を夢見た田舎娘であり、揺籠から出られないモルモットである 。
(泣いていた)妻に刺さったのはココのシーンでは無いか。
という意味では周縁の娘への射程距離も重要かもしれない。
opが素晴らしい! EDもレゼの余韻と共に美しいが、アナーキズムでカオスの幕開けを期待するに十分なop。
レゼの造詣の奥行きは単純なピカレスクに多少の屈折感があるも、
上田麗奈の貢献度が著しいと思う 。
田舎娘の強がりも丁寧も艶やかさも内包する演技力が光り輝く 、
最期の海でキスに見せかけてデンジを突き放すのは上田麗奈ならではであろう。
・忍者と殺し屋のふたりぐらし(アニメ)

演出;日常は生死の狭間であり情動で移ろい記憶で彩づく。
生きることは刹那の永遠の切り出しである。80年代的から20年代的コンテとの往復で非日常が覆われる。
情動も行動も完璧に調律された人工物が閉じた世界の狂気を終りなく増幅する恐怖の5話が白眉
脚本;喪失からの再生は神話の再話であり港湾の戦闘が無生物と生物の瀬戸際を逡巡する。
最後の二人の会話が漸進的な関係と日常の可能性を魅せる
絵コンテ;意図と視線を巧みに誘導するテンポが凄い
キャラデザ;最終回は因果応報で死んでも良かった
OP;歌詞と曲調に絶妙にマッチさせるギャグテイスト全開のカットが良い
ED;ポップでキッチュなメロディを画面全体で微分しつつ色彩の上澄みを回す
・タコピーの原罪(アニメ)

適当なドラえもんの想像力の射程距離社が問われる。
タコピーとしずかちゃんの意思疎通の乖離の大きさが重要。
そもそもは経済的再分配の失敗が原因であり教育者の意図的見過ごしも原因。
しずかの想像力を豊かにする教育をするべき。
基本的な構造は輪るピングドラムの雑で子供向けの再話は銀河鉄道の夜ではなくドラえもんの消失と神話化で形成される。
異性愛ではなく同性擬似愛情で未来を志向する。
少年誌に掲載される意義、想像力への意思を、しずかちゃん自身が示すべきである。
タコピーのハッピー道具は自らの意思で原罪を背負う結末は原作改変気味であり良い。
いじめの追求が半端であり、毒親の造詣が粗雑。特に2話のまりなの雑な怒り描写は本気で腹立たしい。
演出的には5話が最高で、膨らむ疑念と不安に重畳する積乱雲の膨らみが凄い。
函館を飛び出す紺碧の空から実父と娘たちから反目される黒い稲妻の断絶も良い。
最終話で降り積もる雪のタコピーも良い
・Dr STONE SCIENCE FUTURE

OPからEDまで4期目と思わせないほど起伏に富んだ脚本。
随所に緩急付ける絵コンテ、適度なギャグを活かすキャラデザ、全てを縫合する科学センス全開の構成、、、素晴らしい
(石岡良治、ランク外)匠を感じるが「トリリオンゲーム」も同じに見える。
稲垣理一郎は王道安定型とは異なる系統の物語に挑戦して欲しい。
少年サンデーの若木民喜も同じく京都大学出身の作者だが稲垣理一郎にハイソ感がある。
・CITY the animation

5,10,12話が神。
日常の可能性の掘削や落語に神性を見出し寿ぐ。
細工丁寧で見逃せない奇妙な緊張感はシャフト的意匠の近接。漫画的意匠のアニメ空間拡張性を試す。
5話における可塑性とは画面の分割による現実の加工可能性、媒介性による情報の捨象である。
限界性とは人間の認知限界(画面4分割以上の了解可能性の断絶)と、その隠喩としての現実の了解不可能性。
豊饒性とは可塑性と限界性を踏まえつも、狭隘に現実の逸脱性を見出せる可能性。
現代のビューティフルドリーマー(うる星)は無数の市民の豊かな並行世界を重畳し日常を限りない可能性へ拓く。
13話においては繰り返す乱雑ミュージカル意匠はディズニー的原典回帰であり現代的応用可能性を試す導線でもある。
音楽的喜怒哀楽の切断差が多重楽曲のアレゴリー的アニメを示す。
振られる安達太良を励ます様々な地域、導線、民俗、地理的条件が広がる

おたえとは推し合う人の結節点である。
おたえは、アイドルを応援することを通じて誰もがアイドルになれる可能性=誰もがゾンビを推す結節点とみなせるだろう。
本作において、宇宙船は光る石=自意識を取り戻すべく佐賀県を殲滅する。
自意識を宿したおたえは佐賀県を救うべく特攻的な振る舞いを(自意識の美化、物語化を)するが悉く失敗する。
プラネタリウムからの脱出においても、宇宙船への特攻においても、
その成功の鍵は常にフランシュシュの面々であり、おたえの為に、さながらアイドルを「推す」ように、窮地を切り抜ける。
ここでも自意識の振る舞いが常に失敗に終わり、ゾンビ的な群体意識が成功する構図にある。
寧ろ興味深いのは、佐賀県を壊滅させた宇宙船に乗り込むべく、県民の協力を総動員する過程で、
県民自体がゾンビ化していく構図にある。
具体的には、熱放射遮断服を被る住民や、
泥を塗り重ねることにより宇宙人の襲撃を躱わす住民の様相は、絵柄的には明らかにゾンビであり、
つまりフランシュシュと同等の存在に見えている。
敷衍すれば、ゾンビ/アイドル同士の推し合いが、
誰をもゾンビ/アイドル化していく構図があるのだ。
前述したアイドルとは、擦り切れる偶像で示した「衆人監視社会」さながらだが、
ここでは寧ろ共同体の明るい側面を照らしているともいえよう。

前編は、op,edは勿論、劇伴の楽曲は5.1chならではの観客席と台場とで音響を巡らすリッチさがある。
やはり新曲「arrow」、ラストライブ「運命の華」のFULL、
そしてEDと直後の発表が重要であり、特に「運命の華」のFULLだけでも
何度も観返す価値がある作品。
OPのArrowにおける既存資産の有効活用と、
ラストライブ「運命の華」における2番以降の歌唱シーンが大いに対照化される。
「運命の華」の歌詞以上に、ライブ会場のカメラワークの振り回しと、
アニメーションとしてのFilMLIVEの強みを遺憾なく発揮した色彩が画面を駆け巡る演出が、
本楽曲の重要性とともに、視聴者へ「運命の目撃者」たらしめるだろう。
娘も感動していた。
・ズートピア2

非常に良い。スタッフ天才
動物の緻密な意匠、色彩、動線、峻別された世界線を、
入植者社会の被差別階級が、原住民と連帯する過程で差別構造に迫る、
ある意味ペディグルー理論の正統な実践。
宗主国と被宗主国で確実に論争になる小ネタ満載だが、虚構だから描ける魅力。
大体↓の記載通りであり、 歴史修正主義との対峙、
差別の構造的解体アプローチ(但し哺乳類と爬虫類に限る)の観点が重要 大人も子供も楽しめる。
https://virtualgorillaplus.com/anime/zootopia2-finale-explained/
foxは英国的皮肉、rabbitはポジティブ米国、snakeは潜在意識恐怖の先住民族と読み替えると、
先住民族村落におけるセイウチの凋落白人階級、バーマスターや楽曲の黒人的意匠によるギャグは、
視聴者に強制的な宗主/被宗主意識を惹起させる。
社会経済文化的蓄積が差別を生み出す構造に自覚的でありたい
・劇場版 小林さんちのメイドラゴン さみしがりやの竜

本作のテーマの一つにある異種族対立と相克は、
映画版においては特に「声」(携帯電話、ボイスレコーダー、往復書簡、直接対話)による試みを強く印象付けるが、それは日本のアニメーション産業が長らく重視してきた「性と暴力」(セックスとバトル)ではなく、「思索と提案」を本作が提示するものである故と理解できる。
勿論、ドラゴン同士の戦闘や魔法描写、雲間のドッグファイトなどにおける描写はすさまじいが、キャラクターそのものの描写はあくまで抑制的に描かれ、緻密な描写に由来する性欲の発生を極力排除しようとするかのようである。
代りに息を吞む雲間の航空描写、異世界植物との遭遇、鮮やかな世界の夕焼けが配置され、アニメーション空間ならではの表現の可能性を模索するものといえるだろう。
そして、異種族対立の折衝の丁寧さは飽くまで相手の文脈により達成される。
考えには考えで、力には力で。
具体的には小林さんとキムンカムイの酒の酌み交わしであり、小林さんの歩み寄りによる魔法の援用によるキムンカムイとの往復書簡であり、アザードの魔法の謀略に対する現代技術(通信、記録)を援用した小林さん及びカンナの意思疎通であり、アザードの魔法に対する小林さんの魔法であるだろう。
本作が優れて全年齢的であると考えるのは正にここであり、統治者側のドラゴンたちはあくまで思考回路が停止した中高年成人の隠喩であり、カンナは未分化な存在として意思疎通の断絶に抗おうと情緒的に行動する児童そのものであり、小林さんは中間的な存在として両者を必死に繋ぎ留めようとする媒介者である。
そしてその媒介手段がキリスト教的な「大工には大工の言葉で」、相手の文脈で交渉と脚本が進むことに、異民族同士の剥き出しの対立や紛争が絶えない状況と化している現代(グローバリズムの広がりとアンチグローバリズム)の寓話としても読めるだろう。
と同時に、そのような対話の姿勢を失わない思想こそが、現代のビルドゥングスロマン足りえると示しているとすらいえるだろう。
だから、終盤に、カンナをネグレクト的父(キムンカムイ)には阿ねらせず、且つ小林さんにも無理な父役を与えず、異種族の「友」として関係を結び直す構造は、日常と美少女意匠の微睡に揺れる京都アニメーションを完全に別の次元へと導いたといえるだろう。
日常の切断だからこそ、静謐な音響が唸りを上げる、才川との別れ、キムンカムイへ怒りと嘆きを打つけるカンナ、父から小林家への帰還を迎える最期の音響が心に響く(エンディングが小林幸子、、、、)
またアニメーションならではの表現として、繰り返される金色の草原、綿毛の浮遊が、自律と郷愁との葛藤であり、地を這うドラゴンと舞うトールたちが白く渦巻く雲を介して屹立されるだろう。実写では決して無し得ない雲間を縫う空間展開、異世界の動植物による色彩豊かな造形と画角がその可能性を示すだろう。
雲は葛藤の意匠であり終盤まで晴れ渡らず対立は続くことを予期するが、一方で虹模様の夕焼けは対立の先にも希望があることを示す。
石原立也監督始め、本作のスタッフに拍手を送りたい。
その他
・ペリリュー 楽園のゲルニカ

現実と虚構、戦争と平和、狂気の彼岸と此岸を、創作でしか描けない世界で緻密に描く。
象徴世界の現代的倫理を強く感じた。
楽園とは生物の謳歌するユートピアであり、
弱肉強食のディストピア ゲルニカで描かれる様相とは虚構でしか描けない凄惨な現時点であり、
反転する倫理観 デフォルメされる人間と殲滅される生命に対照化される、
緻密で優雅で逞しい自然界のペリリューがそれを強調する。
留意点 緻密な虚構と現実の造り込が織りなす漫画家の倫理的世界は儚く残酷で美しい。
吉識隊長の最後の言葉も染み入る が、アニメ的快楽、
動線設計や脚本構成までリアリズムに徹している為、何人か寝ている人が居た、、
多分に驚異的に緻密に繰り返される動植物の描写の意図は明らかだが、
籠城作戦以降のそのモチーフは、映画や象徴作品鑑賞の初心者には厳しいのかもしれない
映画を創るのは難しい、、、
デフォルメでしか描けない世界に対する姿勢が貫徹されるのは自然考証や音楽においても表れる
川井憲次の素晴らしい楽曲で情動を過度に刺激せずリアリズムに則る構造は、虚構と現実を更に往復させるだろう。
現代の虚構における倫理観は最期の少尉にも表れるだろう。
信念と狂気で残党を導き損ねた彼を殺さない作品姿勢は、狂気すら包摂する虚構の可能性を提示する

細田守が創りたかった現代の新童話にして、
現時点でのイラストルック3DCGアニメーションの最高峰。
※イラストルックCGについて ガールズバンドクライ 1,2, 参照
シェイクスピアのハムレット復讐劇と、ダンテ「神曲」を下敷きに、
男女逆転構造で現代社会への生と死、愛と復讐を問いかける。
冥府世界で過去欧州/女性/王女と、近現代/男性/看護師を対置して、復讐を恋愛で昇華する構図。
カタストロフ後の世界における人間の在り方を模索する方向性は明確。
ただ脚本は細田守でなく、虚淵玄や花田十輝など、
二項対立構造が得意な脚本家などへ分担すべきかもしれないが、、、
・この本を盗む者は

閉鎖的村落共同体で、本の公共性と私的性を巡る世代抗争。
背景美術、小物造詣では特に本や紙の描写が素晴らしい。マテリアルの躍動感も特筆。
変遷する本の妄想世界のバリエーションも豊か。祖母の狂った感じも良い。
留意点 人物描写全体、特にマテリアルの躍動感に反比例し人間の全身の動線が淡白で人形的。
動物も同じ。
主人公の本嫌いは良いが、祖母の本への妄執含め背景描写不足のため最期の涙腺崩壊は辛い辻褄を感じる。
何より世代抗争において本嫌いが本へ収歛していくと暴力の再生産を危惧。
説明台詞が多く背景も動線も動かない場面が多く、3回ほど寝落ちしかけた。
折角の素晴らしい背景とテーマなのでもう少しアニメの力を信じて欲しいかもしれない。
本を書く、読むとは極めて個人的な行為であり、
これを盗むとは他人の人生の窃盗で冒瀆 。
ならば本に呪いを掛け、人と本を呪う祖母の造詣の気狂いさは、もう少し作劇で説明があっても良かった。
気狂い亡者が気狂いピエロに止まってしまうのが残念。
虚構の中の虚構を体現する真白の想像的な動線や思考回路は面白く、飛躍の可能性を充分に感じるだけに、
真白自体を中心に据え置いた物語の方がアニメーション特性的に良かったかもしれない(未来少年コナン風に。


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