本サイトの位置づけ
改めて以下にて本サイトの意義づけを行う。
・このサイトの理論
本サイトは、管理人の日常生活における活動記録であり、
特に文藝、映画、漫画、アニメ作品における表象文化を探求することを通して、
該当社会における主要な社会的背景、経済的背景、文化的背景、思想的背景、言動、欲動の趨勢を考え、
以て中長期における思想的、経営的戦略の視座を養うことを目的とする。
・他者とは何か
基本は「自分とは異なる存在」である。
ここでいう「自分」とは、自身の所属するローカルな共同体を含む。
つまり自己の都合や文脈を共有する時空間、予断を許す時空間は「自分」に含む。
反対の時空間は他者である。
SNS、例えばXやFacebook、Instagramなどの相互フォローの関係は「村落」であり、
拡張された「自分」である。
一見他者が居るように見えるが、真の意味で他者ではなく、自己を確認するための道具に過ぎない。
ここにおいて敢えて設定される「他者」は、カール・シュミットの言う、(安易な)「友敵二元論」に陥りやすい、
ある種現代社会におけるもっとも警戒すべき「他者のような自己」の対照化された存在だ。
例えば宇野常寛は「庭の話」において、
人間(他者)との交流を「庭」の比喩で語る。それは管理しようとしてもできない、
自然の力や虫などの予想外の「場」であり、
人間のコントロールの及ばない時空間として、かつ自律的なものとして「他者」なのだ。
そしてそのような存在の人間にとっての「他者」を、肯定する回路が求められよう。
あるいは都市(砂漠=海)の概念の援用として、同じ共同体(文脈)に依存しない人間同士が交流する
「交通」の場こそが社会といえる。
このように、真の他者とは、言語のゲーム的交流を共有しない者同士、つまり、
単独の「個」がそれぞれに孤立しつつ互いに影響しあえる存在であり、
自己の拡張の機会を齎すものである。
・青春物語とは何か
上記の「他者」を敷衍する。
何を目指すべきかわからない時代に、それでもなお、自分たちの外=他者を築く、
モラトリアム的で、刹那的で、切実性のある日常系の言説であり、冒険譚でありえる。
例えば1980年代までの「青春」は、社会的な枠組みの中で自己実現を目指すものだった。
1990年代以降はいわゆる「平坦な戦場」(岡崎京子)、つまり安定しているが、
生きる意味を失った日常(プレカタストロフ)に直面した。
ここでは青春物語は、冒険の舞台は「巨大な悪」から「自意識」(日常の閉塞感)へ矮小化された。
このような「大きな物語」の凋落と「小さな物語」の台頭、タコつぼ化(大塚英志)は、
周囲と隔絶した「閉じた関係性」=セカイ系として描かれやすい。
ここに登場したのが2000年代の批評言説「ゼロ年代の想像力」であり、
社会的自己実現への信頼性低下と、偽悪を引き受けて行動する(決断主義)思想の台頭や、
内面世界および仲間内の心地よさ(友達主義)の維持に重心が移動する(宇野常寛)。
本サイトがガールズバンドもの、ティーンズもの、少年ものに着目するのは、
正にその想像力の射程の範囲が、刹那的でモラトリアム的かつ切実性があるユーザーであり、
かつ現代におけるその射程距離を如実に示すからに他ならない。
・日本アニメにおける共同体
「他者」「青春物語」の定義から敷衍しよう。
他者とは言語のゲーム的交流を共有しない者同士、つまり、
単独の「個」がそれぞれに孤立しつつ互いに影響しあえる存在であり、
自己の拡張の機会を齎すものである。
青春物語とは、何を目指すべきかわからない時代に、それでもなお、自分たちの外=他者を築く、
モラトリアム的で、刹那的で、切実性のある日常系の言説であり、冒険譚である。
古い共同体とは、とりも直さず、
「逃げ出せない地獄のような関係性(イエ)」であり、アニメでいえば、サザエさん的であり、
細田守「サマーウォーズ」的であり、ミソジニー=女性蔑視と、ミサンドリー=男性蔑視の渦巻く、
戦前戦後から現在まで通底する、社会的流動性の低い時空間である。
新しい共同体とは、とりも直さず、
「自立した個人が自由に参加、離脱できる場=プラットフォーム、庭」であり、
西村純二+岡田麿里「Truetears」「心が叫びたがってるんだ」などであり、
京極尚彦+花田十輝「ラブライブ!」、
柿本広大+綾奈ゆにこ「BanGDream! It’s MyGO!!!!!」、
「BanGDream! AveMujica」などであり、
吉田恵梨香「前橋ウィッチーズ」などであり、
常にその移行性、定義性が問われ続ける時空間である。
時空間とともに揺らぎのある「共同体」であるからこそ、
その自明性と閉鎖性、メリットとデメリットを噛締め、未来を志向する日本のアニメ作品を、
あるいは文芸作品を見出すことが、取りも直さず我々の未来の時空間を創造する導線になるだろう。
ここにおいて、
本サイトは、作品を説明するのではなく
作品を読むための道具を提示する空間となる。
留意事項があれば随時加筆修正していく。
なお、以降は可能な限り次の様式を保持していく。つまり、
各記事末尾に:
主題:〇〇
表象:〇〇
社会像:〇〇
主体モデル:〇〇
とし、可読性、外部性の向上を図る。
なお筆者はその思想の多くを思想家、文筆家に依拠している。
具体的には宇野常寛「遅いインターネット」、「庭の話」などであり、上記はその梗概といえる。


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