輪るピングドラム ~未来~

アニメ

(2019.2.11追記)

『生存戦略、しましょうか』

2011年秋、震災で混迷する日本の深夜にそれは生まれた。「輪るピングドラム」。

深夜アニメの一端ながら、極めて美術的な表現と、宗教的なモチーフを戯画化して凡人の愛の終着点を描く。セクシャリテイに阿らない、難解ながらその実、非常にシンプルな姿勢を示し続けた、幾原邦彦の久しぶりのオリジナルアニメだった。

爆弾(サリン)を撒いた両親が失踪した中で、疑似家族として少年少女が日常を懸命に彩ろうとする。だが、その両親の罪を一身に受けた疑似家族の一人の少女が不治の病に伏せ、遂に果てる。しかし謎の力で一時的に復活した少女は、疑似家族の少年二人に「ピングドラム」を探すように命じる。それは両親が撒いた原罪と直面し、新たな現実を拓くための始まりだった、、、

空疎な愛情を求め続ける凡夫に、実りの果実はもたらされない。愛を与え続ける超人は、愛人の瀕死に際して狂気の淵に暴走する。愛を拒み、未来を消極的にとらえる凡夫に他人の愛情は享受できない。

現実を偏りなく認識し、惜しみない愛情を隣人に注ぎ、世界を守ろうとして消える者(神)。同じく偏りなく認識しながら、絶望して世界を消そうとする者(悪魔)。

何者にも成れない=我々凡夫は如何に生きるべきか、上記の人物描写を通して視聴者は思考をしていくことになる。

本作において、愛とは以下により示される。

愛=

現実と虚構の分別×

過去を反省し未来を志向する意思×

俯く者に手を差し伸べ続ける愛情×

自意識ではなく世界を志向する×

運命/社会習慣ではなく信念を貫く意思×

自ら与え続ける行動力

 

この真実の愛の実行により、疑似家族の少年二人は少女の為に身を滅してしまう。

「俺は見つけたよ、本当の光を、、、」

「ごめん、愛してる、、、」

 

身を賭して未来を託せる存在に無償の愛情を捧げる。

私にとってそれは無限の未来をもつ子供だ、

そう結論づけた先に、今の生活がある。

 

ところで本作はキリスト教の原罪=生自体が罰であり、人を愛することが原罪を生み出す=罪であり、牽いては未来を生み出す原動力となる、という意識を強く下地にしている。どういうことか。

あらゆる生命の犠牲に支えられて生が成り立つ。
あらゆる生命に自らの生を優先する行為と犠牲に対して尊さ、慈悲を感じる知性が罪の意識を起こす。
善良な知性に基づく生命への葛藤が罪の源泉である。

愛を与えることは即ち、あらゆる他に優先して特定対象へ行為を投じること。
あらゆる他の犠牲に支えられて愛が成り立つ。
特定対象への行為には責任が伴う。
何かを愛する為には行為が必要である。
あらゆる行為はあらゆる観点に於いて何がしかの規範を破る/影響を及ぼすことなしに為されない、つまり規範を破ることなしに愛は為されない。
愛することは罪である。

罪は相当する代価で贖う必要がある。
愛する為に生じる代価は自らの生をもって贖わなければならない。
贖いは相当する罰で引き受ける必要がある。
生きることは罰である。

愛を与える者が罰を受けることで、愛を受けた者は罰を免れる。
罰を免れることで世界全体に新しい現実=未来が開かれる。
一方で未来(新しい現実)は罰を受ける者の数よりも、多くの者で、しかも愛を受けた者で受け止める必要がある。
より多くの愛を受けた者は、罰を受けた者以外の、新しい生命で構成される。
新しい生命は即ち、子供で構成される。
未来は子供が開く。

 

これからも、子供にとってキリストのように無限の愛情を注ぐ存在でありたいと思う。

それが私の生存戦略だ。

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