副題:理想をどう切り出すか
Contents
・【所見】
・【理想をどう切り出すか】1
・【理想をどう切り出すか】2
・【理想をどう切り出すか】3
・【「加害者としての自覚」と「中間領域の肯定」】1
・【「加害者としての自覚」と「中間領域の肯定」】2
・【ジェンダー・コンプライアンス】1
・【ジェンダー・コンプライアンス】2
・STAFF
・総評
・【所見】

※ネタバレ全開、かつ原作表現の引用により一部に過剰な性的描写を含むことに注意。
劇場公開前に見直したので備忘録を。
・“見せない演出”により、巨大兵器戦の不可視性と民間人の恐怖を観客に体感させることが巧い。
モビルスーツを身体から切り離されたシステムとして提示すると、キャラクターの万能感に寄与せず“隣にいたら踏み潰される”実感を生みだす。
背景=情念の比喩から背景=無関係で冷徹な世界への転換により、テロリスト視点の無力感と観客の感情移入装置が強化されている。
主人公が実質何もしていないのに罪悪感に囚われる心理を描くことで、行為と倫理のズレを物語の推進力にする手法も上手い。
・上田麗奈 の演技が凄い。
閃光のハサウェイのギギは原作の静的イメージに対し、映像では動的で過敏・飽きっぽさ・頭の回転の速さなどを精緻な芝居で提示し、子供っぽさの残るスピード感を大人の世界に置く調律が優れていた。
・上田麗奈も凄いが人間造詣の濃さに圧倒される。
ハサウェイの青い正義感の悲愴も超越的なギギも凄いが、寧ろタクシードライバーが良い。。 円盤が欲しくなる。
芝居の質と世界観の提示(モビルスーツ=遺物、ディストピア性)が強く、対決・戦闘場面の純粋な快楽に回帰してしまうほどの映像的牽引力がある。
・現代社会の緊張(治安、監視、移動の不自由など)に重ねたタクシー運転手の場面や都市描写がリアルに機能し、初見の観客にも“今ここ”の物語として映っている。
ハサウェイの「千年先を見据える」理念と、現実の活動が短期(約1年少々)に収束する構図は、タクシーの「目先」発言で早期に提示され、物語の帰結へ導く。
・ガウマンの扱いが凄い。
小説では拷問・救出の“かわいそうな人”だが、映像では“空から降ってくる”存在感が付与され、裏ヒロイン感が生まれた、笑
テロリスト像の倫理性の屹立に成功している。
・ケネスのデザイン変更が非常に良い。
元の80年代的な金髪・ダブルスーツ風の印象から、現代的なデザインへ変更されたことが“大正解”である。
・スタジオについて。
『虐殺器官』は制作スタジオが倒産したが、ノイタミナの山本プロデューサーの執念でジェノスタジオが設立され、散逸した素材を回収して劇場公開に至った。
これが「死の行軍」的経験となり、サンライズの堅牢な体制で制作した『閃光のハサウェイ』では豊かな成果につながったということ。
・音響も良い。
音響は18m級の鉄がぶつかる恐怖を感じさせるリアリティがある。
前半の音設計が特に納得感がある。過去の劇場版音刷新の試みと違い、今回は質量を感じる。
・ジェンダーについても上手い。
セクハラ表現の扱いを人物責任へ帰属させ、作品全体の評価を損なわないよう現代化する戦略が機能している。
特定台詞の削除・変奏が必須ではなく、挑発性を演出・キャラ造形で示す方法もある。
尖らせるべき領域は時代で変わる。
性表現での過激さより、今尖るべき点へシフトする方針が現代の受容に適合する。
・背景美術が語りの中核で、情報量過多な原作の文体を映像的に代替・補完する設計が成功している。
リゾートの明度・格差の露骨さ・テロと空襲の演出が「明るい絶望感」を成立させ、ディストピア美学を更新した感がある。
個人的に気になるのは、以下3点だ。
つまり、
・【理想をどう切り出すか】
・【「加害者としての自覚」と「中間領域の肯定」】
・【ジェンダー・コンプライアンス】
である。どういうことか。
1. 【理想をどう切り出すか】 =「目先の生存」と「千年先の理想」の断絶
タクシー運転手の「今日の安心のために明後日の理想を犠牲にできない」という発言は、物語の帰結へ導く重要な要素だ。
それは現代の格差社会における「生活の切実さ」と、ハサウェイのような「高潔な理想(テロリズム)」の決定的な乖離である。
都市(リゾート)の明度と河岸バラックの対比も、理想と現実の乖離を隠喩している。
また、ハサウェイの「千年先を見据える」理念が、わずか1年程度の活動で収束してしまう構造的脆弱性が指摘されよう。
では、環境破壊や独裁といった長期的な課題に対し、日々の生活に追われる「弱者」が理想を「敵」と見なさざるを得ない現代の分断をどう埋めるべきか。
2. 【「加害者としての自覚」と「中間領域の肯定」】
=「ディストピア化する日常」と「身体感覚」の乖離
2020年代の「今ここ」の物語として、治安、監視、移動の不自由といった現代の緊張感がリアルに機能していると考える 。
テクノロジーの進化が「万能感」ではなく、逆に個人の「無力感」を強調している点。
それは背景が「無関係で冷徹な世界」として描かれることで、テロリスト(ハサウェイ)の視点における無力感が強化されている点にある。
つまり高度にシステム化された現代社会において、人間は「システムの歯車」ですらない「排除可能な存在」になりつつあるのではないか。
3,現代的倫理観(ジェンダー・コンプライアンス)への適応
80年代の原作を2020年代に映画化するにあたり、表現の「現代化」が戦略的に行われていることが興味深い。
つまり古典的な物語の「毒」や「尖り」を、不快感(セクハラ等)として排除するのではなく、いかに「キャラクターの責任」や「演出」へと昇華させるかという手法の観点だ。
性表現の過激さよりも、現代の観客が敏感に反応する「今、尖るべき領域」へシフトしたことが、受容の鍵となっているように思われる。
ならば、過去の価値観に基づいた作品を、単なる「修正」ではなく「再構築」することで、現代の倫理観と芸術的な強さをどう両立させるかが重要だ。
順を追ってみていこう。
・【理想をどう切り出すか】1

タクシー運転手の存在は、「高潔な理想」と「今日を生きる切実さ」の断絶にある。
「明後日の理想」よりも「今日のパン」。
「今日の安心のために明後日の理想を犠牲にできない」というニュアンスの台詞は、2020年代の格差社会における「持たざる者」の本音でもあるだろう。
ハサウェイ(マフティー)が掲げる「地球環境の保全」や「特権階級の排除」は、1000年スパンの正論だ。しかし、タクシー運転手に代表される庶民にとって、それは「今、この瞬間の生活」を破壊しかねない過激なノイズでしかない。
それは、環境問題や持続可能性(SDGs)を訴えるエリート層の理想が、インフレや非正規雇用に苦しむ層には「生活を脅かす贅沢な正論」として響いてしまう、現代の政治的・社会的分断でもあろう。
「システムへの無力感」と「諦念」。
本作では、モビルスーツを「身体の延長」ではなく「隣にいたら踏み潰されるシステム」として描いているだろう。
タクシー運転手は、社会が変わることを期待していない。彼にとってマフティーのテロは、現状を打破する希望ではなく、自分の仕事を邪魔し、日常の安全を脅かす「災害」に近いだろう。
これは巨大なプラットフォーム企業や国家システムによって個人の生活が規定される2020年代において、多くの庶民が抱く「誰がリーダーになっても、どの勢力が勝っても、自分の生活は苦しいままではないか」という強い諦念を想起するだろう。
「善良な市民」がテロの障壁となる皮肉。
ハサウェイは「市民のため」を思って行動しているが、実際にはその「市民」から拒絶されるという構造がある。
自分の理想が、救うべき対象であるはずの庶民に「迷惑」だと一蹴される。
正義感に基づいたSNSでのキャンセルカルチャーや過激な抗議活動が、結果として一般層の離反を招き、社会の硬直化を招く構造との相似形であろう。
つまり、「正しいが、人々の生活を壊す理想」と、「歪んでいるが、人々の生活を支える現状」のどちらに倫理性があるのか。
・【理想をどう切り出すか】2

この両者を統合的にどう理解するか。
結論から言えば、2020年代における倫理性は、どちらか一方を選択することではなく、「その両者の断絶を直視し続けること」に移行しているだろう。
「破壊的な理想」と「歪んだ現状」の倫理性、この二層の倫理がある。
理想=ハサウェイ=マフティー側にとって、 地球環境の保全や特権階級の排除は、数百年後の人類生存(長期的倫理)に基づいている。しかし、それが「今、ここにある日常」を破壊する時、それは庶民にとって「倫理」ではなく「暴力」として現れる。2020年代において、正論が人を追い詰める「正義の暴走」への警戒感はかつてないほど高まっているだろう。
現実=タクシー運転手側にとって、「歪んだ社会システム」に寄生してでも今日を生き抜くことは、生存本能に基づく切実な倫理だ。タクシー運転手にとっての正しさは、家族や自分自身の生活を守るという「短期的・個別的な倫理」にある。システムが腐敗していても、それが機能している限り、それを壊す者は「共通の敵」となるだろう。
「理想」も「現実」も「どちらも間違っていない」という点、この両者の間に橋を架けられない「対話不能な分断」そのものが、現代の不条理性といえよう。
これに加えて、モビルスーツを「身体の延長」ではなく「冷徹なシステム」と捉える視点などを踏まえると、2020年代の倫理は以下の3つの要素に変容していると考えられよう。
「万能感の喪失」を受け入れる倫理。
かつての物語では、個人の意志が世界を変える「万能感」が肯定された。しかし、本作が「民間人の恐怖」や「無力感」を強調するように、2020年代の倫理は「自分がシステムの一部であり、無力であること」を前提とした振る舞いを求めているだろう。大きな理想を語る前に、隣にいる人間を踏み潰さないための「抑制」こそが、現代的な誠実さと見做されよう。
「責任の帰属」を明確にする倫理。
2020年代が「構造の問題」と「個人の資質」を厳密に切り分ける時代であること考えると、社会が歪んでいるからといって、個人が何をしても許されるわけではない。逆に、個人の過ちを社会全体のせいにして逃げることも許されない、という峻別、いわばコンプライアンス的倫理が示されるだろう。
「時間軸の衝突」に耐える倫理。
「千年先の理想」と「今日のパン」の衝突は、2020年代の環境問題や格差問題そのものだ。現代の倫理性とは、この「相容れない時間軸の正しさ」が同時に存在することを認め、その矛盾の中で引き裂かれながらも思考を止めないことにあろう。ハサウェイが「実質何もしていないのに罪悪感に囚われる」のは、彼がこの両方の正しさを理解してしまっている、現代的な倫理的態度の象徴といえる。
まとめると、「『正しさ』による暴力性を自覚した上で、なおも維持すべき日常の価値をどう定義するか」が重要といえそうだ。
・【理想をどう切り出すか】3

「高潔な理想」は「歪んだ日常」を包摂できるのか。
まとめれば、ハサウェイ(マフティー)のような「千年先の理想」が、タクシー運転手の「今日のパン」をそのまま包摂することは極めて困難だ。しかし、2020年代における「包摂」の形としては、段階的な構造が考えられよう。
例えば、「生活のインフラ」としての理想提示。
理想が日常を包摂するためには、抽象的な「地球環境」や「特権打破」を語る前に、それが「明日のタクシーの客をどう増やすのか」「生活コストをどう下げるのか」という具体的・世俗的な利益と接続される必要がある。2020年代の課題は、高潔な理想を「庶民の生存戦略」のレベルまで翻訳し、ダウングレードすることにある。
また、「痛みの共有」という消極的包摂があろう。ハサウェイがタクシー運転手を「啓蒙すべき無知な民」ではなく、「自分の理想によって犠牲になる尊い生活者」として認め、その痛みを自己の罪として引き受けること。この「加害者としての自覚」こそが、理想が日常に対して持ちうる唯一の倫理的な接点(包摂の第一歩)となりうる。
「正しさ」の暴力性を自覚した上で、維持すべき「日常の価値」をどう定義するか
。
それは、「非政治的であること」の権利の保護としてありえよう。タクシー運転手の強みは、大きな物語(連邦かマフティーか)に加担せず、目の前の客を運び、日銭を稼ぐという「卑近な継続性」にある。2020年代における日常の価値とは、「崇高な正しさに動員されない、ささやかで個人的な欲望や安らぎ」だ。これを「無関心」と切り捨てるのではなく、人間が人間らしくあるための「避難所」として定義し直す必要がある。
また、「予測可能性」という名の倫理もあろう。「モビルスーツ=隣にいたら踏み潰されるシステム」という描写は、日常が崩壊する恐怖を描く。維持すべき価値とは、「明日も今日と同じように日が昇り、仕事があり、食事ができる」という予測可能性だ。どんなに正しい理想であっても、この「予測可能性」を破壊するものは、その時点で倫理的基盤を失うという厳しい線引きが必要だ。
最後に、「中間領域」の肯定だ。100点満点の正義(理想)か、0点の腐敗(現状)かという二元論ではなく、「河岸のバラック」や「ホテルでの軟禁」といった、清濁併せ呑むグレーゾーン(中間領域)で生きていく知恵を肯定すること。この「曖昧さに耐える力」こそが、2020年代における「日常の価値」の核心と言えよう。
まとめよう。
ハサウェイの悲劇は、彼が「正しさ」の暴力性を自覚していながら、システム(組織やガンダムという力)を動かすことを止められなかった点にある。
2020年代の私たちが目指すべきは、タクシー運転手が守ろうとした「生活の具体性」を、理想の「前提条件」に置くことだ。理想のために日常を壊すのではなく、「この日常を1ミリでもマシにするために、理想をどう切り出すか」という、逆転の発想が求められる。
世界が冷徹であればあるほど、タクシー運転手の語る「目先の安心」こそが、私たちが正しさに飲み込まれないための唯一の錨(いかり)になるはずだ。
・【「加害者としての自覚」と「中間領域の肯定」】1

ギギ・アンダルシアというキャラクターを「2020年代の女性像」と「調律」という二つの観点から整理したい。
ギギ・アンダルシアにおける「調律」の正体。
本作のギギのキャラクター造形については、原作の静的イメージに対し、映像では動的で過敏・飽きっぽさ・頭の回転の速さなどを精緻な芝居で提示し、子供っぽさの残るスピード感を大人の世界に置く『調律』が優れていた。ここでの「調律」とは、単にキャラクターを現代風にアレンジすることではなく、以下の三つの要素を高度にバランスさせる作業を指していよう。
異物感の維持。ギギは物語の中で、政治(ケネス)と理想(ハサウェイ)の対立という「重苦しい大人の論理」の中に放り込まれた、極めて異質な存在だ。彼女の「子供っぽさ」や「過敏さ」を強調することで、硬直した社会システムをかき乱すトリガーとしての役割を際立たせている。
観客の視点の代弁。彼女の「飽きっぽさ」や「スピード感」は、情報過多でタイパ(タイムパフォーマンス)を重視する現代観客の感覚に寄り添う「調律」でもある。重厚な設定に埋没せず、直感的に本質を突く彼女の言動が、物語のテンポを現代的に引き上げている。
「毒」の昇華。「セクシャルな目線の隠喩」や「娼婦ならではの妖しさ」といった要素を、単なるサービスカットとしてではなく、彼女の「生存戦略」や「他者を翻弄する知性」として描き直すことで、多層的な魅力へと調律されている。
2020年代の女性像としてのギギ。
「守られる対象」からの脱却と「選択」として。例えば、「守り続けたハサウェイよりケネスを選ぶギギ」の描写がある。これは従来の「主人公に救済されるヒロイン」という枠組みを完全に破壊している。彼女は自分にとっての安全性、あるいは興味の対象を自らの意志で冷徹に、あるいは直感的に選択する。この「誰の所有物にもならない」という徹底した自律性は、現代的な女性像の反映と言えよう。
「直感」という名の合理的知性として。彼女が備えているとされる「幸運を見抜く力」や「嘘を見破る力」は、2020年代の複雑化した社会において、ロジック(論理)だけでは突破できない壁を、直感(センス)で飛び越えていく現代的なスマートさを象徴しているかもしれない。
脆さと強さの同居として。「過敏さ」や「子供っぽさ」は、彼女の弱さではなく、むしろ「システムの不正や欺瞞に対して敏感であること」という一種の誠実さ(倫理観)として描かれている。強い言葉で戦うのではなく、その存在そのものが周囲の矛盾を暴き出してしまう。これは、力による支配に対する、現代的なレジスタンスの形とも読みとれる。
ここまでまとめると、2020年代の課題である「停滞したシステム(大人の論理)を、いかにして感性とスピード感(子供の直感)で突破するか」という問いが見える。
「精緻な芝居(上田麗奈氏の演技)」によって、彼女は単なるアニメの美少女キャラクターを超え、「予測不能な未来」そのものを擬人化したような存在へと昇華されている。ハサウェイが「理想」に、ケネスが「現実」に縛られる中で、ギギだけがそのどちらにも属さず、軽やかに、しかし残酷に「今」を生きているといえるのではないか。
・【「加害者としての自覚」と「中間領域の肯定」】2

もう少し実践的な、3つの行動指針を考える。
- 「直感」を「カウンター・ロジック」として言語化する。
ギギの持つ「嘘を見破る力」や「幸運を嗅ぎ分ける力」を、単なる霊感や感性で終わらせず、システムの硬直を打破するツールに変える。
違和感を覚えた際、「なんとなく」で済ませず、その違和感の正体を「既存システムのバグ」として特定し、他者が理解できる言葉に翻訳して提示するのだ。
2020年代はデータと論理(AI的思考)が重視される一方、それらが「過去の延長線上の予測」に留まるという限界を露呈している。ギギが「過敏・スピード感」で大人の世界を調律したように、システムが捉えきれない「ノイズ(違和感)」を言語化できる人間は、停滞した組織において希少な「先見性」を持つ存在となりえる。 - 「無所属」という名のポータブルな専門性を持つ。
特定の組織やイデオロギーに依存せず、「自分という個の機能」を複数のコミュニティで活用する「マルチハビテーション(多拠点居住)的キャリア」を築くこと。
ギギが「誰の所有物にもならない自律性」を持つことで、物語のテンポを現代化したと述べた。2020年代の不安定な社会において、一つの「大人の論理(組織)」に埋没することは最大のリスクだ。複数の居場所を持つことで、一つのシステムが停滞した際に、別のシステムから得た「感性」を持ち込んで突破する「風通しの良さ」を維持できよう。 - 「弱い紐帯(ちゅうたい)」と「非政治的領域」の活用。
理想(ハサウェイ)に殉じるのでもなく、腐敗した政治(ケネス)に屈するのでもない、第三の道として「日常の具体性」を盾にする。
あえて「目の前の具体的な手触りのある仕事」や「個人的な知人関係(弱い紐帯)」を優先し、それを判断の基準にするのだ。
タクシー運転手の「今日のパン」という視点は、2020年代における最強のリアリズムだ。ギギが「飽きっぽさ」を見せ、重苦しい空気を拒絶したように、過度な政治性や大義名分からあえて「距離を置く(降りる)」勇気を持つこと。この「非政治的な誠実さ」こそが、かえってシステムの矛盾を浮き彫りにし、実利的な変化を促す力になりえる。
これらは、「加害者としての自覚」と「中間領域の肯定」によって支持される。
2020年代の女性が直面するのは、正しさを追求すれば誰かを傷つけ(ハサウェイの罪悪感)、現状に甘んじればシステムに搾取されるというジレンマだ。その実践には、
1,「正しさ」の暴力性を常に疑う、2,「曖昧さ(グレーゾーン)」に耐える、こと。
つまり、「システムの重力に逆らわず、しかしその重力を使って加速し、誰も予想しなかった角度で出口を見つけること」だ。それは「子供の直感」を「大人の狡知(こうち)」で包み込み、幽玄な理想を「今日を良くする具体策」へと着地させる、きわめて高度で知的なゲームと言えよう。
・【ジェンダー・コンプライアンス】1

過去の価値観(1980年代後半の原作)を現代(2020年代)の倫理観に適合させつつ、芸術的強度を損なわないどころか、むしろ高めるための「再構築」の手法を考える。
不適切な要素を「消す」のではなく、「文脈を書き換えて、現代的な批評性を付与する」というアプローチだ。
- 属性の「搾取」から、キャラクターの「生存戦略」への転換。
原作におけるギギの「娼婦的」な側面やセクシャルな魅力は、かつては男性向け作品の「記号」として機能しがちだった。しかし、本作ではこれを「娼婦ならではの妖しさの魅力」としつつ、それをギギ自身の「生存戦略(ハピタリティ)」として再構築しているだろう。つまり、彼女が「大人の論理」を渡り歩くための武器として描き、同時に、芸術性と倫理の両立、つまり性的搾取の構造をそのまま描きつつも、キャラクターに「主体性」を与えることで、現代的な女性像としてのリアリティと、ミステリアスな物語的強度を両立させているだろう。 - 「構造の悪」と「個人の資質」の厳密な切り分け。
本作では、不快な振る舞い(セクハラ等)を「作品全体のノリ」にするのではなく、「特定のキャラクターの欠陥」として明確に帰属させている。
ここでは、「昔はこれが普通だった」という免罪符を使わず、不適切な言動を「その人物が軽蔑されるべき理由」や「時代遅れの象徴」として演出に組み込んでいる。
またこれにより、作品の世界観を損なうことなく、観客に対して「この作品は、この振る舞いを肯定していない」というメタメッセージを伝えることができる。これは物語における「悪役」や「未熟な人物」の造形を深めることにも繋がりえよう。 - 「見せない演出」による身体性の保護と心理的深掘り。
「“見せない演出”により、巨大兵器戦の不可視性と民間人の恐怖を観客に体感させる」という手法は、倫理性と芸術性を両立させる極めて現代的な回答ではないだろうか。
暴力や死、あるいは性的な要素を直接的に「消費」させるのではなく、その「影」や「影響(恐怖、罪悪感)」を描くことに注力する。
直接的な描写を避けることが、結果として観客の想像力を刺激し、ハサウェイの抱く「罪悪感」や「無力感」をより深く伝達する手段となっている。これは「不快感の排除」というコンプライアンス要請を、「情緒的深み」という芸術的成果に転換した好例といえよう。 - 過去の「尖り」を現代の「緊張感」へスライドさせる。
80年代の原作が持っていた「毒(過激さ)」を、現代において何に対して向けるべきかを再定義する。
つまり、過去の過激なセリフをそのまま再現するのではなく、本作が指摘する「治安、監視、格差」といった2020年代特有の緊張感(ディストピア性)へとエネルギーを転換する。
これが、過去の価値観を無理に正当化するのではなく、「現代の観客が等身大で感じる恐怖や不条理」に焦点を絞ることで、作品は時代を超えた「普遍的な鋭さ」を獲得しえるだろう。
2020年代における芸術と倫理の両立とは、過去の不適切さを「なかったこと」にする政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)の追求ではない。
「過去の歪みを、現代の視点からどう解釈し、どう演出のエネルギーに変えるか」という誠実な格闘そのものが、作品に新しい生命を吹き込む。
「正しさ」を、表現を制限する「鎖」ではなく、物語の解像度を上げ、キャラクターの葛藤を深めるための「光源」として利用すること。これこそが、『閃光のハサウェイ』が示した「単なる修正ではない再構築」の本質なのではないか。
・【ジェンダー・コンプライアンス】2

では、原作におけるギギの台詞「(ケネス)大佐ってセックス上手だから、オーラルもアナルも要求されたでしょう?」という描写をどう現代的に表現するか。
これは1980年代末期における「大人の汚濁を暴く子供の残酷さ」を象徴する過激な表現ですが、現代(2020年代)においては、単に性的刺激や不快感を与えるリスクが高い「毒」でもある。
本作の思想的本質である「永続する敗北としての理想主義(ハサウェイ)に対置される現実認知主義(タクシー運転手やケネス、そしてギギ)」を下敷きに再考したい。
- 「肉体的行為」から「尊厳の収奪と交換」への転換。
原作そのままではなく、「権力者が弱者から何を奪い、弱者は何を差し出して生存しているか」という構造的な非対称性を暴く言葉に変換できるのではないか。
「大佐はあなたの心なんて見ていない。あなたが彼に差し出した『肉体という機能』の品質にしか興味がないんでしょう?」といった、属性の消費を指摘する言葉へ変換する。
これにより、ギギは単なる「性の知識がある少女」ではなく、ケネスや閣下といった特権階級が、庶民(タクシー運転手やバラックの住人)を「機能」としてしか見ていないという冷徹な現実認知を突きつける存在になりえる。ハサウェイが抱く「人類全体を救う」という理想がいかに空虚であるかを、個人の尊厳の収奪というミクロな視点から対置させることができるのだ。
2,「ギギ自身の生存戦略(ハピタリティ)」の提示。
「娼婦ならではの妖しさの魅力」を、現代的な「生存のための主体性」として再構築する。
「私は選ばれたんじゃない、選んだの。この世界で踏み潰されないために、誰に何を差し出せばいいか、その価値を知っているだけ」という、客体から主体への転換を含ませる。
2020年代の女性表象として、彼女を「環境の被害者」としてのみ描くのではなく、腐敗したシステム(連邦政府)の中で、ギギなりの「現実認知主義」に基づいて最適解を叩き出している姿を強調する。これにより、彼女はハサウェイの対極にある「絶望的なまでに現実的な生存者」として確立されるだろう。
3,2020年代的「コンプライアンスの光源化」の実践。
単なる「修正」ではなく、以下の意味で「芸術的強度」を高める。
不適切な要素を「特定のキャラクター(あるいは社会構造)の歪み」として帰属させることで、観客は不快感を超えて、その背後にある「ディストピア性」を体感するだろう。
これにより、原作の台詞が持っていた「タブーを犯す衝撃」を、現代では「構造的な不条理を直視させる知的衝撃」へと昇華させうる。
「正しさ(ジェンダー・コンプライアンス)」という光を当てることで、ギギが単に「性の話題を口にする刺激的なヒロイン」から、「理想主義の欺瞞を暴き、冷徹な現実の中での生存を肯定する、2020年代の預言者」(=ハサウェイ後を生き抜く現代人)へと、そのキャラクターの解像度と物語の射程距離を劇的に深めることができるはずなのだ。
・STAFF (Wikipediaより)

[105]
第1部 第2部
原作 富野由悠季、矢立肇
監督 村瀬修功
脚本 むとうやすゆき
キャラクターデザイン pablo uchida、恩田尚之、工原しげき
キャラクターデザイン原案 美樹本晴彦
メカニカルデザイン カトキハジメ、山根公利、中谷誠一、玄馬宣彦
メカニカルデザイン原案 森木靖泰、藤田一己
美術設定 岡田有章、中村豪希(スタジオ心) 岡田有章
美術監督 N/A 大久保錦一
色彩設計 すずきたかこ すずきたかこ、久保木裕一
ディスプレイデザイン N/A 佐山善則
CGディレクター 増尾隆幸、藤江智洋 増尾隆幸
撮影監督 大山佳久
特技監督 N/A 上遠野学
編集 今井大介
音響演出 笠松広司
録音演出 木村絵理子
音楽 澤野弘之
企画 サンライズ
サンライズ
制作 N/A
製作 サンライズ バンダイナムコフィルムワークス
配給 松竹ODS事業室
バンダイナムコフィルムワークス、松竹
その他スタッフ
絵コンテ 演出 総作画監督 作画監督
村瀬修功、渡辺信一郎
松尾衡、原英和、米田光宏 キャラクター
恩田尚之
メカニカル
中谷誠一 エフェクト
金子秀一
キャラクター
寺岡巌[注 8]、木村貴宏、工原しげき、田頭真理恵、浜津武広、清水翔人、柴田淳、金世俊、凌空凛、渡部貴喜、高谷浩利、玉川真吾、茂木信二郎、冨澤桂也乃、小林利充、橋本敦稔、飯島弘也、坂本修司
主題歌
「閃光」[107]
第1部の主題歌。作詞・作曲は川上洋平、編曲は[Alexandros] & Takashi Saze、歌は[Alexandros]。
・総評

演出:
上田麗奈のギギの妖しさ、艶やかさ、激しさの演技が凄すぎる
洋上の一瞬の真っ白さが前までのパートとの切り替えを鮮やかに描く
脚本:
シャアの反乱から12年
オーストラリア北西部オエンベリのマフティー模倣犯とハイジャック失敗とケネス・スレッグとギギ・アンダルシアとハサウェイ・ノアの邂逅
メナドまでダバオ管区内空港ホテルでの軟禁聴取のハサウェイの植物監査官アマンダへの道
オエンベリにいるケネス上司との確執
混戦葛藤状況での夜襲による情勢攪乱の妙
新型モビルスーツならアナハイムはやりやがった?
夜襲に破れるガウマンのモビルスーツ
守り続けたハサウェイよりケネスを選ぶギギと落胆のハサウェイw
レーン・エイム操縦者とペーネロペーガンダム
ハウンゼンのバウンデンウテン伯爵とギギの関係という娼婦ならではの妖しさの魅力
イラムの空中受領作戦
予定海域にはいるヴァリアント、海域を特定する海上保安庁とケネス
絵コンテ:
ホテル空港のイヤリングの煌きのギギの雄弁な強調
ホテルプールサイドでギギを傍らに見通すハサウェイのセクシャル目線隠喩の絶妙なバランス
欲望のナイトダンスと不正を許せないハサウェイの涙の桃と黒の対比の巧さ
夜襲の救助に馬で駆けつけるケネス大佐w
ペーネロペーガンダムに同乗させるガウマン捕虜とレーンエイムの人質作戦拒否と過剰な自身の仇の予兆
エメラルダの空中受領作戦の緊張感と過誤と涙と固唾を呑む音響
過剰に動線の無い空中モビルスーツ戦闘が寧ろ静謐さに反比例した緊張感を産むのは焦点の定まった機体の追従と力関係の明示にあるか
生きることに執着しないギギと時計の秒針の刻みとハサウェイの生還
キャラデザ:
主要キャラの濃さに圧倒される、、、
挑発的なギギ、子供っぽい反発のギギ、人に装わせる髪飾りで挑発するギギ、
大佐の性的アプローチに不貞腐れるギギ、住所不定のギギ
通り一遍の冒頭のケネス大佐と食堂で対照的に隠喩的性欲的なケネスw、
ギギがハサウェイに気付いた違和感を気付き返すケネス大佐の鋭さ
本を捲るマフティー、父との確執のハサウェイ、レーン・エイムを「いい顔」とし返すハサウェイw
オタク左翼運動家ミヘッシャの清廉さと正直さ処女さのバランスの絶妙さ
エメラルダの怒り;気に入らないね、あんたの弱点が出た気がするよ(ギギを庇って反対方向へ奔るハサウェイ)
ケリアの彼女感の賢さの雰囲気と早見沙織、、、上田麗奈との対比、、
美術:
ダバオ環境植物園の描き込みの水鉛も凄い
なぜJollibeeで密会のミヘッシャとハサウェイ
夜襲の夜景の市街地の巧さ
音響:
ハイジャック事件の緩急の付け方が絶妙
ガウマン部隊夜襲の音響のロックでディストピアな雰囲気の醸成
ハイジャック、ホテルプール、空襲と随所以外ではほぼ効果音のみの超バランス的な音響
文藝:
マフティ「増えすぎた人類は例外なく地球から出すべき」
冒頭のハイジャックが本作全体がピエロによる革命ごっことの紐づけ隠喩への導線
ギギ「絶対に間違わない独裁政権の樹立ができるなら、あなたが神になればいい」
連邦軍の狗ハンターの市警団と弱者からの怨恨とマフティーの理想
タクシー運転手が良い「今日の安心のために明後日の理想を犠牲にできないねえ」
上空では部下の空中戦の一方で市街地を逃げ惑うハサウェイの対比という2020年代感
異性愛と甘さを捨てられず作戦に支障をきたすハサウェイとギギ
太陽神ヘリオスの娘キルケ―の部隊名称と幸運の女神ギギと夜を誘うケネスw
都市と河岸バラックの往復による理想と現実の乖離と落胆の隠喩
マフティー・ナビーユ・エリンという名の由来:
「正当なる預言者の王」を意味する造語で、スーダン語、アラブ語、古いアイルランド語を組み合わせたもの
参考文献
・ニコニコ動画 PLANETS批評座談会 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ

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