魔法少女まどか☆マギカ

アニメ

 

(日本トラウマティックストレス学会2018深夜アニメ系譜 資料より)


副題:システムが痛みを背負う社会


Contents

・所見

・概要

・課題 暁美ほむら、鹿目まどか、美樹さやか

・暁美ほむらの現在地 支配と救済の共犯関係

・暁美ほむら 私的な情熱」と「公的な理性」のハイブリッド

・暁美ほむら システムが痛みを引き受ける

・鹿目まどかの現在地 新しい『関係性のインフラ』

・鹿目まどか 即時的な再分配のアルゴリズム

・鹿目まどか システムが痛みを引き受ける

・美樹さやかの現在地 相互の絶望の確認

・美樹さやか 傷ついた者同士のネットワーク

・美樹さやか 「人間の条件」としてのメタバース

・美樹さやか システムを「祈り」の土壌にする

・美樹さやか システムが痛みを引き受ける

・システムが痛みを背負う社会

・STAFF

・全話総評

・所見

2026年冬(春?)、アニメーション作品「魔法少女まどか☆マギカ」の完全新作映画である「魔法少女まどか☆マギカ ワルプルギスの廻天」が上映される。

原作のTVアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」をリアルタイムで追いかけ、知人たちと毎週展開を討議していた地点から15年経過することに先ず驚きがある。

「蒼樹うめのほのぼのイラストで殺し合いをやる=血だまりスケッチ」

「主体同士のバトルロワイアル、タイムリープによるディストピア社会の表象」

「超越者による犠牲獣的解決」

様々な修飾語による作品の形容はあるが、本質的に、2020年代において本作を継続する意義を考えたい。

つまりバトルロワイヤル的、「決断主義的」(宇野常寛「ゼロ年代の想像力」)な状況において、卓越主義的、設計主義的な思想及び政治体制(アニメ「コードギアス反逆のルルーシュ」における「ゼロ」、もしくはいわゆる米国のバラク・オバマ的な政治思想)がゼロ年代の最適解とされていた故に本作が絶賛された側面もあった。

しかし、結果的に英国のブレグジット、米国のドナルド・トランプ体制の返り咲きや日本国内のSNS基調の支持母体による政治家や運動関係など、先行する政治思想の失敗を経て、本作を作り直すうえでどのような思想体系、あるいは態度表明がありえるのかということだ。

本論の結論としては「システムが痛みを背負う社会」が必要と考える。

思想体系より踏み込んだ(政策提言のような)内容になるが、お読みいただければ幸いです。

※以下、ネタバレを含みます。

・概要

平凡な日常と「契約」の誘い。主人公のまどかは、ある日、転校生のほむらと謎の生物キュゥべえに出会う。キュゥべえはまどかに「願いを一つ叶える代わりに、魔法少女になって魔女と戦ってほしい」と持ちかける。

まどかの友人たち(美樹さやか、巴マミ、佐倉杏子)も魔法少女となり、一緒に「ナイトメア(魔女の使い)」と戦うが、その裏には「ソウルジェム」と呼ばれる力の源が濁ると魔女になってしまうという過酷な真実が。

少女たちの「願い」が、いかに大きな「代償」や「絶望」を生み出すか。

仏教の因果律にも例えられる世界の構造の中で、少女たちが「選択」を繰り返す果てに選択する答えとは。

・課題 鹿目まどか、暁美ほむら、美樹さやか

便宜上、巴マミ、佐倉杏子は省略し、3人に絞って考えたい。

鹿目まどか、暁美ほむら、美樹さやかだ。

2011年の放送当時、本作は「搾取構造」と「個人の願い」の対立を描き、衝撃を与えた。

しかし、不確実性が増し、SNSを通じた自己承認と集団心理が複雑化した2020年代においては、単なる「絶望」を超えた、より切実な観点が浮き彫りになる。

暁美ほむらにおいては、「ケアの倫理」と「悪魔化」の再解釈の観点がある。


特に映画[新編] 叛逆の物語において、暁美ほむらはまどかを救うために世界を再構築し、自らを「悪魔」と称した。
これは現代の「ケア(他者への配慮・責任)」の過激な形態として捉え直すことが可能だ。
公的な救済(円環の理)が届かない場所で、一人の人間が身を削って他者を守ろうとする時、それは社会から見れば「エゴイスティックな逸脱」に見える。
2020年代は、従来の「正義」よりも、「特定の誰かを守り抜くための呪い」という個人的な責任感が共感を呼びやすい。                        
この「救済」と「支配」の境界線はどこにあるのか。ほむらの行動を「究極のケア」として分析することで、現代的な愛の形をどう解釈できるか。

鹿目まどかにおいては、「感情の資源化」とデータ資本主義への抵抗という観点がある。


キュゥべえが少女たちの「感情」を宇宙の熱力学的死を防ぐ「エネルギー」として回収する構図は、現代のプラットフォーム資本主義と重なる。                                         
私たちの日常的な行動、感情、人間関係がデータ(資源)として抽出・利用される現代において、キュゥべえの「感情をエネルギーにするのは効率的だ」という論理は、もはやSFではなくアルゴリズムによる統治のメタファーでもある。                                     
まどかが「システム自体を書き換えた」ことは、現代における「プラットフォームからの脱却」や「個人の尊厳の再定義」としてどう解釈できるか。


美樹さやかにおいては、正義の暴走の問題がある。

彼女の悲劇は、単なる「失恋」や「挫折」ではなく、「純粋すぎる正義が、システムと現実の前に無力化し、自己破壊に至るプロセス」として描かれる。
これは現代のデジタル空間における「正義の暴走」や「キャンセルカルチャー」の構造と一致する。
現代のSNSにおける対立は、しばしば「悪を叩くことで正義を証明する」という応報的な構図を取り、「正しい発信」が「いいね」や「称賛」という報酬(承認)に結びつかない時、その正義感は急速に「攻撃性」へと反転する。
また、SNS上で「常に正しく、清廉潔白な自分」という記号(キャラ)を演じ続けることで、生身の人間としての弱さや矛盾を許容できなくなる構造もあり、「自己の記号化」と「生身の感情」の乖離が、さやかが陥った「正義の限界」と重なる。
また、さやかが「正しい魔法少女の在り方」に固執する様子と、SNSで「自分の正義に反する意見はすべて悪」と切り捨て、対話を放棄する態度とが相似している。
美樹さやかの崩壊は、「デジタル化された純粋正義が、不完全な現実と衝突して砕け散る様」の先行事例ともいえる。
2020年代、彼女のたどった道を通じて、「正しさ」という呪いからいかにして自分を解放し、他者との不完全な対話を再建するかという課題を考えたい。

順を追って、暁美ほむら から辿ろう。

・暁美ほむらの現在地 支配と救済の共犯関係

2020年代においてなぜ「正義」よりも「特定の誰かを守るための呪い」が共感されるのか、そして「救済」と「支配」の境界線はどこにあるのか。

ほむらの行動を「究極のケア」として分析することで、現代的な愛の形をどう解釈できるか。

例えば美樹さやかが「公平な正義」を求めて破綻する一方で、ほむらが「個人的な願い(まどかの救済)」に固執し続ける対比がある

(森茂起+川口茂雄「<戦い>と<トラウマ>のアニメ表象史 「アトム」から「まどか☆マギカ」以後へ」日本評論社 第10章 祈りつつ戦う者たちーー「魔法少女まどか☆マギカ」考 上尾真道)。

2020年代、SNSやマスメディアが掲げる「正義」は、しばしば抽象的で、個人の痛みから乖離している。

人々は、誰にでも当てはまる「正しい答え」よりも、「たとえ世界を敵に回しても、あなた一人を離さない」という、非合理で個人的な執着(呪い)に、より真実味を感じるようになっている。

ほむらの「まどかを守る」という決意は、もはや「救い(祈り)」の段階を超え、自分自身をシステムから逸脱させる「呪い」となっている。

しかし、この「逃げ場のない責任感」こそが、ケアの不在に苦しむ現代人にとっての「究極の愛」として映る。

映画『叛逆の物語』では、ほむらがまどかの「神としての役割(円環の理)」を引き裂き、一人の少女としての幸福を強いたことが描かれている。

ここで「救済」と「支配」の境界線が問われる。

救済の定義: 相手が「こうありたい」と願う姿(主体性)を支援すること であるなら、

支配の定義: 相手の意志を無視し、こちらが定義した「幸福」を強制することである。

ほむらの行動は客観的には「支配」に見える。

しかし、「まどかが救済(神)という名の犠牲を強いられているシステム」への抗いとして見れば、それは「強制された聖性からの解放」という名の「救済」になりうる。

2020年代における愛の境界線は、「相手を社会的な役割(システムの一部)から、いかにして『ただの個人』へと引き戻せるか」にあると言える。

ここで「究極のケア」としての「悪魔化」を考える。

ほむらの「悪魔化」は、「相手を成熟(死や犠牲を伴う成長)から守るために、自分が全責任を負ってシステムを停止させる」という、極端なケアの形態ともいえる。

ケアとしての暴力を考えると、ほむらはまどかの「神としての尊厳」を奪ったが、引き換えに「温かい日常」を与えた。

これは、現代における「過保護」と「献身」の葛藤といえる。

現代の愛は、もはや「共に成長すること」だけではない。

困難すぎる世界において、「相手に代わって泥を被り、相手が傷つかずに済むシェルター(庭)を構築すること」

この、ある種の自己犠牲を伴う「支配的な愛」が、ほむらというキャラクターを通じて私たちの心に突き刺さる。

つまり、救済と支配は「共犯関係」にあるといえる。

ほむらの行動が「共感」を呼ぶのは、私たちが「自由という名の放任(孤独な正義)」に疲れ、「支配という名の絶対的保護(個人的な呪い)」を、心のどこかで求めているからだろう。

「救済」と「支配」の境界線は、固定的なものではなく、「その保護が、相手の絶望を一時的にでも止めることができているか」という、極めて個別的で臨床的な対話の中にのみ存在する。

ほむらが「悪魔」と呼ばれようともまどかの手を離さなかったことは、私たちにとって、「システムに最適化されること(神になること)よりも、特定の誰かに固執されること(人であること)」の尊さを再確認させてくれるだろう。

・暁美ほむら 私的な情熱」と「公的な理性」のハイブリッド

この「呪いとしてのケア」」が社会で共鳴する理由をもう少し考えたい。

例えば、ヤングケアラーと家族の呪い。

家族という閉鎖空間でのケアは、ほむらのループと同様に「終わりのない反復」だ。

そこでは、自らの人生を「特定の誰か(親や兄弟)」に捧げる責任感が、美徳であると同時に、自らを社会から隔離する「呪い」に変質する。

あるいは、推し活における責任感。

「推し」を支えることが生きがいとなる「見守る側」の心理も、相手の存在に自分の生を賭けるという意味で、私的な「呪い」の形態をとる。

これは、公的な正義や連帯が機能不全に陥った社会において、唯一手触りのある「生の実感」となっているだろう。

エーリッヒ・フロム(E・フロム)は、孤立した個人が自由の重荷に耐えかねて権威に屈従する「自由からの逃走」への処方箋として、愛と仕事(労働)を通じた「積極的自由」を提唱した。

役割として、フロムの説く「生産的な生」は、他者との自発的な結びつき(愛)と、世界を創造的に変えること(労働)で、個性を保ったまま孤立を克服することを目指した。

これは、まどかが「概念」となって世界を救おうとした「祈り」の形に近い。

限界としては、現代の「ワルプルギスの夜」は、労働が単なる資本主義の歯車(キュゥべえ的搾取)となり、愛が「呪い(依存的なケア)」へと変質しやすい構造を持っている。

「仕事が好きなのではなく、頑張るのが好き」という自己犠牲的な労働観は、容易に自己を摩耗させ、フロムの理想とする「積極的自由」を「過労死・過労自殺」の淵へと追い込んでしまう。

つまり、個人の精神性だけでは、システムによる搾取とケアの重圧を突破できないという限界が露呈している。

ここで、2025年春アニメ「前橋ウィッチーズ」におけるチョコちゃんの事例が、2020年代の極めてリアルな「処方箋」を提示しているだろう。

魔法(精神性)の敗北。

「まどか☆マギカ」において、まどかの祈りは宇宙の理を変えたが、現代のヤングケアラー問題において、個人の「祈り」や「愛」という内面的な力だけでは、困窮した生活実態を救うことはできない。

前橋ウィッチーズ」のチョコちゃんが直面する課題は、家庭内の労働が特定の個人に偏るという「構造的不平等の再生産」だ。

救済としての再分配

「魔法少女が制度的現実から弾き出される」構造を打破するには、まどかのような「奇跡」ではなく、社会経済的な「再分配(リディストリビューション)」が必要だ。

ケアを「個人の呪い(美徳)」に閉じ込めるのではなく、公的サービスとして外部化し、経済的支援を行うこと。

2020年代の現在地とは、ほむら的な「究極の献身」を称賛して終わるのではなく、それを「ケアの社会化」という政治的な次元に引き戻せるかどうかにある。

2025年における「再生のプロセス」の着地点について。

「呪いとしてのケア」は、個人の救済(メンタル・レジリエンス)としては強力な動機付けになるが、社会問題としてのヤングケアラーや家族の崩壊に対しては、以下のような二段構えの処方箋が必要となる。

1,内面的レジリエンス(ほむら的・フロム的):

「誰かのために」という個人的な呪い(愛)を肯定し、孤立感を癒やす。

これは上述のプラットフォームが担う「精神の庭」の役割だ。

  • 構造的再分配(まどか的・社会民主主義的):

前橋ウィッチーズ」が示唆するように、魔法(自己啓発や精神論)を過信せず、具体的な「労働と時間の再分配」を行う。

ケアを担う個人が「自由からの逃走」を選ばずに済むよう、ベーシックサービスを拡充し、ケアの重圧をシステム全体で引き受ける「新しい円環の理(公的扶助)」を構築すること。

現代的な愛の形は、ほむらのように「呪いを引き受ける」覚悟を持ちつつも、同時にその呪いを解くための「社会的な再分配」を要求するという、「私的な情熱」と「公的な理性」のハイブリッドであるだろう。

2026年現在の「ワルプルギスの夜」を越える未来は、魔法(個人の内面)に依存しすぎず、かといってシステム(キュゥべえ的効率)に魂を売らない、泥臭い「制度設計と共感の融合」の先に拓かれるはずだ

・暁美ほむら システムが痛みを引き受ける

しかし、「公的な理性」が未成熟な現状で、善意や犠牲心といった「私的な情熱」に頼りすぎると、待っているのは「魔法少女の魔女化」、すなわちケアの担い手の共倒れや燃え尽きである。

フロムの説いた「積極的自由」を現代の脆弱な社会基盤の上で成立させるには、情熱を「消費」するのではなく、「情熱を資源として温存し、自動的にケアを外部化・分散する中間的な仕組み」が必要だろう。

設計指針としては3軸ある。

1. ケアの「小規模分散型コモンズ」の構築

公的な制度(大きな政府)が未整備であるなら、私的な情熱(一人で背負うほむら)に頼るのではなく、その中間にある「共助のプロトコル」をITや地域コミュニティで実装する。

それはヤングケアラーや特定の誰かを守る者が、その「呪い(重荷)」の一部を「タスク(労働)」として細分化し、信頼できるネットワークに投げられる(デリゲートできる)仕組みだ。

脱・情熱ポイントとして、「助けて」という叫びを、感情の吐露ではなく「リソースのリクエスト(空き時間の募集)」という事務的な手続きに変換する。

これにより、フロムが指摘した「愛」を、重苦しい「固執」から、軽やかな「社会的交換」へと戻す。

2. 「負の感情」を検知するデジタル・セーフティネット

公的な人材が不足しているなら、AIエージェントを「キュゥべえ(搾取者)」ではなく「防波堤(見守り手)」として配置する。

仕組みとして、ケアの担い手のSNS発信や生活ログから、さやかが陥ったような「正義の空回り」や「絶望の予兆」をAIが検知し、本人が自覚する前に「強制的な休息」や「外部支援の提案」を差し込む。

脱・情熱ポイントとして、本人の「頑張らなきゃ」という情熱を「エラー」として検知し、システム側からストップをかける。

これは、ほむらのような「無限ループ」に陥る前に、外部から強制的にクロック(時間軸)を止める介入だ。

3. 「生産的な生の在り方」を測るレピュテーションの転換

フロムの「愛と労働」を2025年版にアップデートし、「どれだけ犠牲を払ったか(ソウルジェムの濁り)」ではなく、「どれだけ自分を損なわずにいられたか」を評価軸にする。

仕組みとして、DAOやクリエイターエコノミーにおいて、ケアを担いながらも「自分のための時間(庭を耕す時間)」を確保している人を高く評価する(Self-Care Proof)。

脱・情熱ポイントとして、「前橋ウィッチーズ」のチョコちゃんのように、自分を削って魔法(情熱)を出すことを「美談」にせず、むしろ「魔法を使わずに済む環境を作ったこと」を実績としてカウントする。

設計図としては次のようになるだろう。

観点私的な情熱(ほむら的)理想的な公的理性2026年の代替案(中間組織)
主体孤立した個人国家・公的機関DAO、地域テック、相互扶助ギルド
動力呪い(自己犠牲)再分配(税、福祉)トークン化されたケアの交換
解決奇跡(限界突破)制度設計(予算化)自動的なアラートとタスク分散
リスク魔女化(共倒れ)官僚化(無関心)AIによる情熱の摩耗監視

結論:システムが痛みを引き受ける。

「公的な理性」が追いついていない状況では、「私的な情熱を、個人の意志に任せず、テクノロジーとコミュニティの『型(ルーチン)』の中に埋め込むこと」が解だ。

チョコちゃんを救うのは、全知全能の魔法でも、まだ見ぬ完璧な行政でもなく、「あ、今日は私が代わるよ」と事務的に言える複数の「隣人」と、それをマッチングする「システム」の存在だ。

それは、ほむら一人が孤独に戦う世界を、まどかが「みんなの物語」へと書き換えたプロセスそのものとなる。

実務的なアクションガイドラインは以下となる。

特に「応報的正義」を避け、「私的な情熱」をインフラに変えるための具体的な指針だ。

  1. 「ケアの英雄」を称賛しない:
    • 「健気に頑張る子供」という美談(英雄化)を禁じ、ケアを「不当に偏った重荷」として淡々と処理する。
  2. 「無責任である権利」を保障する:
    • 週に一度、あるいは一日に数時間、ケアの義務を完全にオフにできる「デジタル身代わり(代行)」の予約システムを標準装備。
  3. 「家族という密室」を開放する:
    • 家族という閉鎖空間は「呪い」を強化。外部の「庭師(支援者)」が定期的に介入することを、システムの基本仕様とする。

これは「情熱を使い果たさなくても、一人の人間が守り抜かれるための、非効率で泥臭い分散型のインフラ」だ。

公的な理性が十分に育っていない今、私たちはテクノロジーという「新しい魔法」を使い、チョコちゃんのような子供たちが「魔法を使わずに(自分の人生を削らずに)普通の女の子として生きられる」ための庭を、デジタルとリアルの境界線上に作り上げる必要がある。

つまり、システムが痛みを引き受けるのだ。

・鹿目まどかの現在地 新しい『関係性のインフラ』

再確認すると、鹿目まどかが「システム自体を書き換えた」ことは、現代における「プラットフォームからの脱却」や「個人の尊厳の再定義」としてどう解釈できるか。

まず、プラットフォーム(キュゥべえ)からの脱却:搾取構造の「ルール変更」だ。

キュゥべえのシステムは「感情消費」を動力源とする構造的欠陥(パラドックス)を抱えている。

これは現代における巨大なデジタル・プラットフォーム(GAFA等)や、個人の情熱を吸い上げる資本主義的システムのメタファーでもある。

これらは「願いを叶える(利便性)」と引き換えに、「魂(データや生命時間)」を回収し、ユーザーを「ゾンビ(過労や依存)」化させる。

そしてまどかの決断は、システムの中での「勝ち残り」を目指すのではなく、システムのOS自体を書き換える(メタレベルでの解決)ことだった。

これは、既存のプラットフォームが提示する「成功報酬(魔法少女)」や「リスク(魔女)」という選択肢を拒絶し、全く新しい「円環の理」というプロトコルを立ち上げたことを意味する。

それはプラットフォームからの「退会」ではなく、「中央集権的な搾取を無効化し、苦痛が絶望に変わる前に回収する、分散型あるいは利他的な新インフラ」への移行として解釈できる。

次に、個人の尊厳の再定義として、「有用性」から「存在の全肯定」への方向がある。

現代の女性(労働者)が「がんばること」を強いられ、自己犠牲を「自慢」や「夢」にすり替えてしまう過酷な状況(過労死の構造)が、本作との相似形として指摘されている(川口茂雄「アニメ・エクスペリエンス 深夜アニメ研究の方法」叢書パルマコン・ミクロス)。

旧来は、「何か(戦果や労働)を成し遂げなければ価値がない」という条件付きの尊厳だった。これはソウルジェムが濁れば破棄される「使い捨ての部品」としての尊厳である。

まどかは「かつて希望を抱いたすべての魔法少女」を救済する。これは、「たとえ目的を果たせず、途中で倒れたとしても、その祈り(意志)自体に不滅の価値がある」と定義し直したことを意味する。

現代においては、生産性や市場価値で人間を測る「評価経済」に対し、まどかは「ただそこに在り、願ったこと」そのものを尊厳の根拠とした。

これは、現代におけるベーシックサービスや心理的安全性の究極形であり、個人の尊厳をシステムの外部(神話的・倫理的な次元)に再配置する試みと観える。

そして「私的な情熱」と「公的な理性」の止揚の観点ももてよう。

まどかの行為が「イエスの贖罪」に例えられ、世界史的な摂理と個人的な関係性が結びついたことが指摘されている(「夏休みの終わりに」PLANETS SELECTION2011 「宮台真司インタビュー 父殺し(の不可能性)から「父赦し」へ ー3.11後の世界とその意味」)が、ほむらの「私的な情熱(特定の誰かを守る呪い)」をまどかが受け止めたことで、それは「公的な理性(世界を救うシステム)」へと昇華された。

まどかによるシステムの書き換えとは、「個人の極めて私的な『悲しみ』を、統計上のデータとして処理(放置)せず、公共の仕組みとして『あまねく救う』ための新しい論理(ロゴス)を構築した」ことだ。

以上をまとめると、「既存の社会システム(プラットフォーム)が、あなたの善意や情熱を食い潰す『魔女化』の装置であるならば、そのルールの中で戦ってはいけない。悲しみや弱さがそのまま尊厳として認められるような、新しい『関係性のインフラ』を想像し、実装せよ。」となる。

・鹿目まどか 即時的な再分配のアルゴリズム

もう少し具体的に考えたい。

まず、「感情の外部化」と「負債のシステム処理」だ。

本作では、女性の労働観が「頑張ること自体を宝物にする」ことで、過労死さえも「生き方という夢」にすり替えられる危うさが指摘される。

これに対する実装案として、ネガティブ・フィードバックの自動変換がある。

個人の「悲しみ」や「弱さ」を、精神論(頑張り)で解決させるのではなく、「システム側のエラーログ」として扱う。

デジタル・プラットフォームにおいて、ユーザーの疲弊や悲しみを検知した際、それを「自己責任」に帰さず、システム側が自動的にリソース(休息、代替人員、経済的支援)を割り当てるアルゴリズムを組み込むのだ。

意義としては、まどかが魔女化(絶望)の瞬間に現れ、その穢れ(負債)を自身で引き受けたように、「個人の破綻をシステムが未然に、かつ無償で肩代わりする」構造へのアップデートとなる。

次に、「有用性」ではない「脆弱性」に基づくアイデンティティ設計だ。

キュゥべえのシステムが「感情消費」を最大化するために、少女たちの主体の空虚感を利用していることが示唆されている

(魔法少女まどか☆マギカ ユリイカ臨時増刊 斎藤環「まどか⭐︎エチカ、あるいはキャラの倫理」 参照)。

実装案としては脆弱性(Vulnerability)のトークン化だ。

「何ができるか(生産性)」ではなく、「何を辛いと感じているか(脆弱性)」をベースにした新しいステータスを定義する。

弱さを開示することが、コミュニティ内での「信頼」や「ケアを受ける権利」に直結するプロトコル(DAOや地域通貨)の実装である。

弱さを隠して強がる(ソウルジェムを濁らせる)ほど損をし、弱さを共有するほどシステム全体が安定する仕組みだ。

意義として、「弱さ=無価値(魔女)」という定義を、「弱さ=システムの改善点(聖性)」へと180度転換し、個人の尊厳を市場価値から切り離すのだ。

最後に、「見返りのない救済」のインフラ化(イエスの贖罪の現代版)だ。

まどかの行為は「他者に反応できるものだけが救われる」という「イエスの贖罪」の意味論を持つ

(「夏休みの終わりに」PLANETS SELECTION2011 「宮台真司インタビュー 父殺し(の不可能性)から「父赦し」へ ー3.11後の世界とその意味」)

実装案としては無条件の「忘却」と「再試行」の保証だ。                                                                                                                                       

敗や悲惨な過去(ループ)が、将来の足を引っ張らない「忘却の権利」をシステムに組み込む。

ブロックチェーンのような「消せない記録」の対極として、個人の「痛み」の記録だけを、まどかが「忘却と引き換えに救済」したように、社会的な負債(前科や借金、精神的トラウマ)をシステムが定期的に清算し、再チャレンジを保証する仕組みである。

意義としては犠牲を「物語のスパイス(美談)」に消費するのではなく、「なかったことにしてあげる(円環の理)」という究極の慈悲を、法やコードとして実装することである。

このアップデートの本質は、「自己のゾンビ化」を止めることにある

(成熟という檻 山川賢一 )。

「社会のために自分を殺して成熟する」のではなく、「弱いままであっても、システムがそれを包摂するように拡張され続ける」こと。

前橋ウィッチーズ」のチョコちゃんが「再分配」でしか救われないように、私たちは「魔法(精神論)」に頼るのをやめ、「悲しみが観測された瞬間に、公的なリソースが自動的にその場所へ流れ込む」という、即時的な再分配のアルゴリズムを構築する必要があるだろう。

・鹿目まどか システムが痛みを引き受ける

ここで、「構成主義的情動理論(Constructed Emotion Theory)」(リサ・フェルドマン・バレット)、及び社会設計における「フリーライダー(ただ乗り)」や「モラルハザード」という、まさに共産主義が直面した歴史的課題であり、現代のベーシック所得論争などでも必ず突き当たる壁も考えて置く必要があるだろう。

つまり観測される「悲しみ」は社会経済文化および個人史に依拠するために数値化が困難なこと、たとえそれらを計測可能な状態として、構成主義的情動理論に従えば、情動は「予測」によって構成されるため、「弱さを出せば得をする」という予測が定着した瞬間に、システムは崩壊(魔女化)へと向かう。

つまり「不誠実な絶望」と「真の困窮」のバランスを取るための、具体的かつ動的なアルゴリズムを再構築しなければならないだろう。

まず、「自己申告(情念)」に依存しない「客観的負債」の計測が必要だ。

実装の転換として、 ユーザーの「絶望しています」という言葉(シグナル)をトリガーにするのではなく、「ケアの総量と外部接続の断絶」という構造的指標をリソース配分の根拠にしておく必要がある。

例えばヤングケアラーであれば、本人の発信内容ではなく、家庭内の介護量、通学・睡眠時間の欠如、社会関係資本(友人や相談相手)の減少といった「物理的な負債」をリアルタイムでスコアリングしていく。

意義としては、情熱や言葉で訴える必要(ほむら的な呪い)をなくし、「構造的にこれ以上の負担はアロスタシス(身体予算)を破綻させる」という物理的エビデンスに基づいてリソースを投入するのだ。

次に、「直接給付」ではなく「ケアの外部化」による再分配である。

まどかが行ったのは「魔女になるという結果を、システム側が肩代わりする」ことであった。

実装の転換としては「絶望したからお金をあげる」のではなく、「あなたの負担となっている具体的なタスクをシステムが物理的に取り去る」ことに特化させる。

これは不誠実な絶望の発信があっても、システムが提供するのは「家事代行」「介護補助」「代替人員の派遣」といった特定の目的を持ったケア・サービスである。

意義としては、サービスそのものが「労働の代替」であるため、本当に困窮(ケアの重圧に曝露)していない人にとってはこのリソースの価値は低くなり、自然と「真の困窮者」に最適化されるはずだ。

最後に、「生産的な生の在り方」としての「寄与」のゲーミフィケーションだ。

E・フロムの説いた「積極的自由」(「愛するという事、など」を維持するため、救済(受動的)を終着点にせず、「小さな生産的行為(能動的)」への移行をシステム内に組み込む。

実装案としては、ダイナミック・レピュテーション(動的信頼指標)である。

救済リソースを受け取っている期間中、システムは「回復のための小さな創造的行為(例:今日の庭の観察日記をつける、誰かの投稿に絵文字を送る)」を推奨する。

これらは「義務」ではありませんが、行うことで「社会(庭)の一部である」という感覚を再構築させるのだ。

意義として、単なる「弱者」として保護し続けるのではなく、「身体予算が回復した分だけ、緩やかに他者との共鳴(活動)へ戻るパス」を自動生成する。

サボタージュは「孤立」を招くため、このパスを歩むこと自体が個人の利益となるよう設計する。

まとめると以下のようになる。

課題キュゥべえ/旧共産主義モデル2025年版:デジタル・ガーデン・システム
判定基準本人の「願い(申告)」身体予算と構造的負債(客観データ)
リソースの形万能なエネルギー(現金等)特定の負荷を軽減する「代替労働」
モラルハザード対策契約による拘束・罰則「ケアの外部化」によるサボタージュの無意味化
終着点永遠の労働(ゾンビ化)「庭」への緩やかな社会復帰(積極的自由)

システム側が「痛み」を引き受ける。

「個人の犠牲を美談にしない」とは、個人の「やる気」や「正義感」に社会の存続を委ねないことだ。

前橋ウィッチーズ」のチョコちゃんが、自らの魔法(情熱)で家族を養うのではなく、「彼女が何もしなくても、家庭の負担が社会的に解消されている状態」をシステムが作り出す。

バレットの言う「身体予算の赤字」を、本人が叫ぶ(概念化する)前にシステムが検出して埋める。

この「予防的再分配」こそが、不誠実な絶望を誘発せず、かつ「本当に独りで限界な人」を救い出す、現代における「プラットフォームからの脱却」の形式になりえるだろう。

・美樹さやかの現在地 相互の絶望の確認

美樹さやかの崩壊は、「デジタル化された純粋正義が、不完全な現実と衝突して砕け散る様」の先行事例ともいえる。

2020年代、彼女のたどった道を通じて、「正しさ」という呪いからいかにして自分を解放し、他者との不完全な対話を再建するかという課題を考たい。

ヒントとしては、映画[新編] 叛逆の物語において、さやかは「魔女だった頃の記憶」を受け入れ、杏子と共闘する強さを得たことだ。

「かつての敵が、相手の絶望を自分のものとして引き受ける」という泥臭い共感のプロセスに隠されているのかもしれない。

(山田奨治編「マンガ・アニメで論文・レポートを書く」ミネルヴァ書房

  • 語りーーマンガ・アニメの伝統的コンテンツからの継承性(谷川健司))

さやかと杏子の関係から導き出す「2020年代の対立解消」分析の軸としては3つだ。

1. 「鏡像としての敵」の再発見(自己投影の軸)

SNSでは相手を「非人間的なアイコン」として処理するため、攻撃に躊躇がない。

杏子がさやかに自分自身の過去(純粋だった頃の挫折)を投影したように、「敵の中に自分自身の未熟さや古傷を見出す」ことができるか。                                       

相手を倒すべき対象ではなく、かつての自分、あるいは自分になり得た可能性として再認識するプロセスを考える。

2. 「情報的理解」から「身体的共鳴」への転換

文字情報(テキスト)のみのやり取りでは、文脈が削ぎ落とされ、誤解と反発のみが増幅される(ディスコミュニケーション)。

杏子は言葉でさやかを説得することに失敗しましたが、最終的には自らの命を賭して「寄り添う」という身体的な行動で対立を終わらせた。

SNSにおいて、論理的な正破(論破)ではなく、「痛みの共有」という非言語的・身体的な共感がいかにして対立の温度を下げる鍵となるかを検討する。

3. 「独りぼっちは、寂しいもんな」:孤立の外部化

現代の対立の根底には、承認欲求の飢餓と「誰にも理解されない」という孤独感があると仮定する。

杏子の最期の言葉は、相手の「正しさ」を認めるものではなく、相手の**「孤独(寂しさ)」を承認するものだった。

SNSの対立を「主義主張のぶつかり合い」としてではなく、「孤独な個人の叫び」の衝突して捉え直すことで、対話の解像度を上げる。

これらを踏まえ、SNS上の対立を解消・分析するための3つの軸を提示する。

分析の軸魔法少女まどか☆マギカの構図2020年代のSNS対立の課題深掘りすべき問い
背景のオーバーレイ杏子がさやかの「青さ」に自分の過去を見るプロフィール以外の「個人の歴史」が見えない相手を「敵」という記号ではなく「背景を持つ個人」として可視化できるか?
コストの支払い杏子が自らの魂(命)を賭してさやかを救う指先一つで攻撃でき、誰もリスクを負わない「自分が傷つくリスク」を負わずに、真の和解は可能なのか?
共通の敵の再定義二人を追い詰める「魔法少女のシステム」への気づきユーザー同士で叩き合い、プラットフォームの構造に無自覚攻撃すべきは「目の前の相手」か、それとも「対立を煽るシステム」か?

現代において必要なのは、相手を「論破して変える」ことではなく、「あなたの絶望の形は、私と同じだった」という相互の絶望の確認ではないか。                                                 

この「泥臭い共感」を、匿名性と即時性が支配する2020年代のデジタル空間にどう実装するか、という点が重要と考える。

「魔法少女システム=感情消費システム」は、現代の「アテンション・エコノミー(関心経済)」そのものだ。

感情のデータ資源化: キュゥべえが感情をエネルギーに変えるように、現代のAIやSNSアルゴリズムは、人々の「怒り」「悲しみ」「正義感」をエンゲージメント(広告収益)として抽出する。

「魔法少女の契約=自由を捨てて万能になる(成熟の停止)」という構図は、現代では「自ら考え、葛藤する自由を捨て、アルゴリズムの提示する『正解』に従うこと」に置き換えられる。

キュゥべえにとって、少女の死や絶望は「宇宙の寿命を延ばすための効率的なコスト」に過ぎず、SNS上で個人の尊厳が炎上や誹謗中傷によって消費されても、プラットフォーム全体が活性化すれば「良し」とされる、冷徹なデータ主義と相似形である。

・美樹さやか 傷ついた者同士のネットワーク

ここで「泥臭い共感」のデジタル実装への挑戦を考える。

杏子がさやかに対して行った「絶望の共有」は、「即時性」と「匿名性」というデジタル空間の特性を真っ向から否定するプロセスだ。

これを実装するための3つの分析軸を考える。

A. 「即時性」への抵抗:スロー・コミュニケーションの再導入

相手の返答を数日間待つような、あえて不自由なインターフェースの設計。

杏子が時間をかけてさやかの心の壁を溶かしたように、感情の「発酵」を待つシステムが、泥臭い共感には不可欠だ。

B. 「匿名性」の変容:痛みの履歴の開示

単なるIDとしての匿名ではなく、そのユーザーが過去にどのような「絶望(挫折や失敗)」を経験してきたかを、プライバシーを守りつつ抽象化して提示する機能。

「属性」ではなく「傷跡」でつながるマッチング・アルゴリズムへの転換だ。

C. 「功利主義」への反逆:非生産的な寄り添いの評価              

「役に立つ情報」や「いいね」ではなく、「ただ隣にいる」「一緒に悩む」という生産性のない行動に価値(デジタル的な重み)を与えるスコアリング。

効率や解決を急がず、相手の絶望をそのままにしておく「耐性」を育む空間の構築だ。

この対立構造を、これからの社会分析における「評価軸」として整理しよう。

評価軸キュゥべえ的なAI/アルゴリズム杏子・さやか的な「泥臭い共感」
目的感情を資源(データ)として回収する感情を「分かち難い個人の尊厳」として守る
アプローチ効率、解決、最適化、論破非効率、寄り添い、共有、心中
人間観感情エネルギーの「供給源(家畜)」絶望を抱えたまま生きていく「不完全な友」
SNSの実装トレンド、バズ、レコメンド文脈、沈黙、過去の痛みの共鳴

キュゥべえ(AI・資本主義システム)は「絶望をエネルギーに変えよ」と言うが、

私たちは杏子のように「あなたの絶望は、私と同じだった(だから、一人で死なせない)」と言い合える「傷ついた者同士のネットワーク」を、デジタル上に再構築する必要がある。

それは例えば、

スローインターネット運動や、「遅いインターネット」(宇野常寛)のように、システムに最適化されない不完全な個人のための避難所を、デジタル上に築くような、

非効率な繋がりがありえるだろう。

具体的には、

メタバースの隠れ家化(活動ログや社会的評価から断絶した空間設計)、

身体の書き換え(実名性や一貫したアイデンティティの拒否による、システムの補足からの逃走)、

会員制のクローズド・ネットワーク(鍵付きのDiscordサーバーや、限られた知人しか入れないメタバース上の「溜まり場」のようなもの)があるだろう。

しかし、このような、ほむらの「偽りの世界」は「隠れ家(避難所)」としては機能するが、それは同時に他者を排除した「視界狭窄の檻」になるリスクを孕む。

・美樹さやか 「人間の条件」としてのメタバース

ここで、ハンナ・アーレントの「人間の条件」と、宇野常寛氏の「庭の話」を補助線に引きたい。

アーレントが説いた「複数性(Plurality)」のある公共圏(公的領域)が、現代のアルゴリズムによって「私的な消費の場」へと解体されている現状に対し、どう抗うか。

「感情の資源化」への抵抗を、「閉じこもる(心中)」から「自律的な庭を作る(労働・製作)」へと転換する、現代的な適応を考える。

  1. 「心中」から「作庭」へ:受動的消費への叛逆    

アーレントは、生命維持のための「労働」、永続的な世界を作る「製作」、そして他者との関わりである「活動」を区別した。

そこで、SNSで「流れてくる情報に反応する(受動的労働)」のをやめ、たとえ小規模でも自分の価値観に基づいてコンテンツや場を「作る(製作)」こと。                                   

メタバース空間を「逃避場所」として消費するのではなく、「自分たちのルールで庭を耕す(作庭)」場所として定義し直す必要があるだろう。

2. 「複数性」の再構築:アルゴリズムを通さない「活動」

アーレントの「人間の条件」における「活動」は、予測不可能な他者との出会いの中にある。

そこで、共通の「推し」や「正義」で固まるコミュニティではなく、「異なる目的を持つ個人が、たまたま同じ空間を共有し、互いを観察し合う」という、                                     

弱い紐帯のメタバース実装を考える。

これは、自分の庭(自我)を護りつつ、他者の庭の存在を認める「複数性」の回復だ。

  • 「自律的な孤独」と「公共的な関わり」の両立

宇野氏の「庭」の思想は、完全に社会を捨てることではなく、「確固たる個の領域(庭)」を確保した上で、初めて健全な「公共」に関われるという順序を示す。

そこで、メタバースやVR空間を、単なる「現実逃避の場」にするのではなく、「自律的な個(Private)」を回復させ、アルゴリズムの干渉を受けない形で「他者(Public)」と出会い直すための訓練場(アリーナ)として活用することが考えられるだろう。

さやかのような「正義感の強い若者」が、視界狭窄の罠に陥らず、かつキュゥべえに搾取されないためには、「悪魔の執着(個人的な愛)」を「庭師の誠実さ(自律的な世界作り)」へと昇華させることが必要だろう。

・美樹さやか システムを「祈り」の土壌にする

具体的な実践として、現代のWeb3・メタバースプロジェクトのケーススタディをしてみる。

ケーススタディ1:Lens Protocol(分散型SNSプロトコル)  

Lens Protocolは、ユーザーのプロフィール、フォロワーとの繋がり、投稿内容をNFT(データ資産)としてユーザー自身が保有する分散型グラフだ。

「庭」の機能としては、特定のプラットフォーム(XやInstagram)という「キュゥべえの結界」に縛られず、自分の「庭(コンテンツとフォロワー)」を別のアプリへ持ち運ぶことができる。

これは「身体(アイデンティティ)の記号化と搾取」に対する技術的な解法でもある。

ここではさやかのような「真面目な正義感」が、過激なインフルエンサーという「魔女」に駆逐される構造を再生産するリスクを減らすことができるだろう。

ケーススタディ2:Gitcoin(クアドラティック・ファンディング)

Gitcoinは、公共財(パブリックグッズ)への資金供給に「クアドラティック・ファンディング(QF)」という仕組みを導入している。

「庭」の機能としては、少額でも「多くの人から支持される(複数性)」プロジェクトに、大きな助成金が配分される。                                   

これは、キュゥべえ的な「最大効率の抽出」ではなく、「小さくても多様な庭の芽(公共性)」を保護するガバナンスの実装でもある。

ケーススタディ3:VRChatの「プライベート・インスタンス」

特定の企業資本のメタバースとは異なり、ユーザーメイドの空間が中心のVRChatにおける「閉じ方」の考えだ。

「庭」の機能としては、誰でも入れる「Public」ではなく、招待制の「Invite」空間で時間を過ごす文化。

これは、外部のレコメンドアルゴリズム(キュゥべえ)から完全に隔離された「時間と場所の占有」を可能にする。

ここで若者たちは、宇野氏の言う「作庭」としての創作活動(アバター改変やワールド制作)に没頭することが可能だ。

まとめると、

1. プロトコル・レベルでの自律性: Lensのように、自分の「庭」を特定の土地(アプリ)に縛り付けない技術を使いこなすこと。                                                          

2. 「少数の複数性」への投資: Gitcoinのように、効率一辺倒ではない「小さな支持の重なり」を価値とするコミュニティに属すること。                                                                           

3. 「開かれた結界」の設計: VRChatのように閉じつつも、時折「未知の他者」を受け入れるための垣根(インターフェース)を自分たちで設計すること。                                         

これらは、まどかが最後に行った「宇宙の法則(システム)を、少女たちが絶望しないように書き換える」という行為の現代的な実践であるだろう。

それらの実践上の指針としては、

システムが「沈黙」を許容し、

対話は「時間」をかけ、

正義は「密室」で議論する(悪を倒す、というナラティブに回収せず、コミュニケーション齟齬を修正するといった、事務的報告など)と換言できるだろう。

この「時間をかける」のが課題だろう。

例えば生物学的に、1時間の待機は、情動的な衝動を「構成的なナラティブ」に書き換えるための、脳が最小限に必要とするメンテナンス時間ともいわれる(リサ・フェルドマン)が、単なる待ち時間であり、情動煽動に強い現行のシステムでは抗うことは難しい。

また経済合理性(いいね!の数がマネタイズの指針となる)からも難しい。

単なる「待ち時間」にさせないために、「待っている間にだけアクセスできるアーカイブ(過去の良質な対話集)」や、「下書きを推敲するためのAIアシスタント(批判ではなく、言葉の粒度を高める手助けをする)」を併設する設計が要るだろう。

・美樹さやか システムが痛みを引き受ける

それは以下3つの要件から成るだろう。

1. 過去の良質な対話集:アーカイブ・レゾナンス(共鳴型書庫)

単なるログの羅列ではなく、現在のユーザーの「言葉の温度」に近い過去の対話を提示し、孤独を和らげる設計だ。

下書きを入力した瞬間に、その内容の「感情的文脈(例:さやかの正義感、ほむらの焦燥)」をAIが解析する。

「1時間の待機中のみ」アクセスできる限定公開のアーカイブから、似た葛藤を抱えた過去の対話や、それに対する「救済的な返信」をレコメンドする。

自分の想いが理解される確信が必要であり、待機中に「かつて自分と同じように悩んだ誰かの記録」に触れることで、待機時間は「自分を理解するための準備期間」に変わるだろう。

これはベクトル検索(RAG)を用いれば、下書きの内容と過去ログのセマンティックな一致度を瞬時に計算し、提示することは技術的には可能だ。

2. 推敲AIアシスタント:グラニュラリティ・ミラー(粒度の鏡)

「批判」ではなく、リサ・フェルドマンの説く「概念の粒度」を高めるための鏡(ミラー)としてのAIだ。

AIが「あなたの文章のここがダメだ」と言うのではなく、「この『悲しい』という言葉の裏には、期待外れの痛みがありますか? それとも、孤独の重みですか?」と、解像度を上げるための問いかけ(プロンプト)を生成する。

「自慢」という言葉一つが重荷になるように、不用意な言葉は呪いになる。

AIを「下書きの守護者」とすることで、反射的な発信を「責任ある表現」へと昇華させる。

LLMに対して「批判を禁じ、概念の分節化を助けるソクラテス的対話」のロールを付与することで、2025年の技術水準で十分に実用的なレベルで実装可能だ。

3. 「時間の諸相」を視覚化するプログレス・バー

「過去・現在・未来の併存」をUIに落とし込む。

1時間のカウントダウンを単なる数字で見せるのではなく、「あなたの言葉がソウルジェム(下書き)から浄化され、公共の場に放たれるまでの変容プロセス」として視覚化する。

これは例えば、時間の経過とともに背景のテクスチャが「結界(閉じた自己)」から「開かれた庭(社会)」へとグラデーションで変化していく演出でもある。

あえてギャグに寄せるなら、シャフトの演出のように「角度を刻みながらローテーションする」幾何学的な視覚効果をUIに取り入れることで、ユーザーは「待たされている」のではなく「儀式に参加している」という感覚(聖性)を得られるだろう。

まとめると以下となる。

コンテンツ実現方法システムが引き受ける「痛み」
限定アーカイブX Bot + ベクトルDB「私は独りだ」という孤立感の吸収
推敲アシスタントLLM API (Claude 3.5/GPT-4o)「正しく伝わらない」という不安の解消
儀式的UIReact/Three.jsによる動的背景「待たされるストレス」のエンターテインメント化

システムが痛みを引き受ける。

この設計において、サーバーコストやAIの演算リソースは、ユーザーの「即時発信」という衝動を抑えるために浪費される。

これは従来のSNSが「いかに早く、多く発信させて広告を見せるか」という最適化を行っていたのと真逆の投資だ。

システム側があえて「効率の悪い、ゆったりとした時間」を維持するためにリソースを割くこと。

これこそが、個人の精神的負荷をシステム側がインフラとして肩代わりする、新しい「関係性のインフラ」の具体的実装と言える。

・システムが痛みを背負う社会

まとめよう。

「情熱を使い果たさなくても、一人の人間が守り抜かれるための、非効率で泥臭い分散型のインフラ」(暁美ほむら)、

「予防的再分配」による、不誠実な絶望を誘発せず、かつ「本当に独りで限界な人」を救い出す、現代における「プラットフォームからの脱却」(鹿目まどか)、

「過去、現在、未来」の各時系列における共鳴と、感情粒度の磨き上げによる、新しい「関係性のインフラ」の構想。(美樹さやか)。

このような「システムが痛みを背負う社会」像が提示されているのか。

それが2026年の現在地において、「魔法少女まどか☆マギカ」を更新するための一つの手掛かりになるだろう。

それがとりもなおさず、暁美ほむらの妄執の愛を回収し、鹿目まどかの超越愛を乗り越え、美樹さやかの弱い正義感を包摂する、
2020年代における回答になりえるのではないか。

・STAFF

原作        Magica Quartet
監督        新房昭之
企画        夏目公一朗、孝壽尚志、峯岸卓生
でじたろう、太布尚弘、久保田光俊
竹田靑滋
シリーズディレクター        宮本幸裕
脚本        虚淵玄(ニトロプラス)
キャラクター原案                 蒼樹うめ
キャラクターデザイン        岸田隆宏
アクションディレクター    阿部望、神谷智大
総作画監督             谷口淳一郎、高橋美香
レイアウト設計    牧孝雄
プロダクションデザイン 異空間設計             劇団イヌカレー
美術プロデューサー             増山修¥
美術監督                 稲葉邦彦、金子雄司(第1話 – 第6話)内藤健(第7話 – 最終話)
美術設定                 大原盛仁
色彩設計                 日比野仁、滝沢いづみ
ビジュアルエフェクト        酒井基
撮影監督                 江藤慎一郎
編集        松原理恵
音響監督                 鶴岡陽太
音響効果                 田中秀実
音響制作                 楽音舎
音楽        梶浦由記
音楽プロデューサー             森康哲
音楽制作                 アニプレックス
プロデューサー    岩上敦宏、加藤昱夫、細川修
土居由直、金庭こず恵、丸山博雄
アニメーション
プロデューサー    岩城忠雄
アニメーション制作             シャフト
製作        Madoka Partners、毎日放送

・全話総評

1話

概要:大好きな家族がいて、親友がいて、時には笑い、時には泣く、そんな平和な日々を送る中学二年生、鹿目まどか。ある晩、まどかはとても不思議な夢を見る。その日も訪れるはずだった、変わらぬ日常――。しかし、訪れたのは非日常――。まどかの通うクラスにやってきた、一人の転校生・暁美ほむら。まどかが夢で見た少女と瓜二つの容姿をした少女。偶然の一致に戸惑うまどかに、ほむらは意味深な言葉を投げかけるのだった・・・。

演出:カタストロフの夢落ち、マスコットキャラの可愛げ反転、黒少女のヒールの反転、構造的に魔法少女システムを逆手に取る仕掛け

絵コンテ:冒頭の舞台装置の暗転明転から白黒の舞台への反転と螺旋階段への導線が円環構造物語の隠喩。

流れ込むシンク穴への水流の生活から彼岸への隠喩。通学途中の崩れる三人は日常世界を虚構と見做す導線もある

キャラデザ:朝から家庭菜園でミニトマトを採取する父、朝寝坊の母と弟。恋愛相談に応えつつタオルを差し出して口紅を塗り女性性を強調調教する母。冒頭から男女関係の拗れを説教する先生は同性愛への導線。

美樹さやかの萌え言及的オタク親和性は少女性の発現か、、

ヒーロー然の登場のマミ。

美術:繰り返されるトマトの表象は完成品としての日常世界であり弟がそれを圧し潰すまでの崩壊の導線。イヌカレーの複層的異空間は虚構空間における虚構らしさの演出と見せて日常こそ虚構として反転させる隠喩にもなる。

音響:鐘の音ベースのほむら登場は神への導線か

演出付記:

・冒頭、螺旋状の階段、格子状のギンガムチェックの回廊を走り抜けるまどか。既にループ構造の示唆がある。

・劇団イヌカレーの異空間、幕間/ワルプルギスの夜から始まる入口。巴マミ登場まで殆ど異空間が現れず。

※ワルプルギスの夜との戦いで殆ど傷や汚れを演出させないほむらの描写に違和感→夢オチへの連続性を強調か?

・教室は収容所の檻の様、まどかとほむらを見やる人達が囚人の外を見るそれのよう

・さやかが上条への贈り物の会話をする場面で、仁美が背を向ける演出。前後の、習い事に対するネガティブなコメントも含めてミスリードを誘う

・ほむらも巴マミも、諦念のような目線と表情、マミは未だ優しさ?を含む印象

・巴マミはまどかとさやかに取り憧れの印象付けを、ほむらは完全にヒールの役割を表面的に与えられる

文藝:家族と友達か、大切な誰かのための犠牲獣かの問いかけの二項対立が示される。が止揚的な理論もありえるか

文藝(カタストロフ表象):カタストロフのジェンダー表象について1。冒頭のワルプルギスの夜vsほむらの状況で、まどかは悲痛を訴える。ほむら単独で立ち向かう状況が理不尽であると訴える。しかし、(尺の関係もあるが)「僕と契約して、魔法少女になってよ!」と迫るキュゥべえに対し、まどかは、あくまで傍観する。

文藝(ジェンダー表象):

・冒頭のワルプルギスの夜。ほむらに対する畏れも憧れもまどかには現時点で発生し得ないが、セクシャリティ的には未分化で「幼体」(虚淵玄、談)のままとして描かれる。 

・まどかのセクシャリティ/ジェンダー志向について。

自らのセクシャリティ志向について判断を保留し続ける態度が示されている。

虚淵玄が言及する、「単純に父親像を反転させて、憧れる対象としてのバリキャリOLを配置しただけ」であるように、奇形的な母親の言動に対し距離感のあるまどか。

母からの、可愛さの志向の教唆について判断を保留しているように見える(視線が泳いでいる)。さらに登校中の3人、さやかからピンクリボンを指摘された時も、あくまで母の判断であると言い訳する。視聴者はここに、受動的な生活を受け取りがちだが、彼女はあくまで、過剰に立場を決める(女性的に成る)ことを避けているようにも見える。 

3話の真夜中の母介抱後の父親との言動(頑張る姿勢に自ら惚れ、自己愛の為に頑張る。異性からそれを認められる)にも繋がる。ここでも母の生き方(及び父の生き方)に賛同しかねる様子が描かれる。

3話で、素敵な人と巡り会えますように、などを魔法少女化するための願いとしてはどうか?とするマミとの会話(直前で魔法少女は恋愛も普通の人生も諦めろ的主旨の発言があり、既にここで錯乱していたのかもしれない)でも、まどかは、ほとんど反応を示していない。

・担任女教師の、男女交際に対する訓示があるも、ギャグ程度であり、緩急の為の場面程度だろう

文藝(家族):

・不自然に広大な流し場、為替レートのディスプレイまで。母娘の私的な空間感が強調される。母親が過剰にまどかにジェンダー的に教条的かつマチズモに近い言説(上から物言い)、まどかに可愛いさを指示する(ピンクリボン)代わりに自らは黒の髪結とスーツ。父親の温和な雰囲気と明確に対照化させる意図。

・食卓での弟に対する母の態度が前シーンと対照的に温和であり、本家庭の最重要人物がだれであるか隠喩的に示唆

文藝(お約束要素):

・シャフト特有のキャラクターや背景の微分的絵コンテは控えめ、蒼樹うめ風(ひだまりスケッチ)キャラデザと世界観を活かす方に力点。ほむらとまどかの保健室行き会話の場面のみシャフ度。

・登校中のまどか、さやか、仁美の会話や背景やアニマにプリキュア(特にハートキャッチ)への手本感が。

・EDが酷い、、適当な止め絵にひたすらまどかのほんわか歌、、本質的にミスリード誘いすぎ。多分ここで視聴を断念する視聴者が多いのではないか

2話

概要:ほむらに襲われたキュゥべえを助ける途中、迷い込んだのは摩訶不思議な空間。絶体絶命のピンチに陥ったまどかとさやかを救ったのは一人の魔法少女、巴マミ。その後二人が誘われたのは、魔法少女の部屋。語られしは、キュゥべえに選ばれし者に与えられる資格。魔法少女という存在、そして魔女という存在について。どんな望みをも叶えるチャンスと、その先に待つ過酷な使命。悩む二人に、マミは「自分の魔女退治に付き合わないか」と提案をするのだった。

演出:1話に続き目覚めるベッドのまどかがループ構造の隠喩

絵コンテ:さやかの願いに対して空虚な目付きのキュゥべえ

キャラデザ:さやかの幼児的な欲望充足の願望の可愛さと虚しさ。まどかたち中学校の制服のプリーツスカート模様とワルプルギスの夜の裾の相似形が魔法少女と魔女との導線でもある。

さやかの男勝りの防御の訴求はバット持参含め庇護欲と母性の照らし返しでもある。複層的自己の管理失敗が魔女化の導線にもなる

美術:学校の電波塔のような白い巨像の造詣がロケットでもあり、街並みの白いドームや塔の造詣が小宇宙の隠喩。青い空のほむらと赤い空の魔女対峙同定の照射。園芸魔女の意匠は園芸員か園芸趣味の過労の隘路か。

音響:魔女退治訓練の音響にフルート調を差し込む意図

演出付記:

・魔法少女に成るべく願いの説明を受けるまどかとさやか。窓際の影に配置されるマミと、日向のまどか、微妙に影刺すさやかの座席。3人テーブルの意図は、元々仲間を欲する=寂寞の現れ

・高層ビルに囲まれて願いごとの相談をするまどか、さやか。さやかの発言:幸せバカ、こそ現代日本的な考えで、素晴らしい印象→8話の「あたしって、ほんとバカ」と対比

・バットで剥き出しの戦闘意欲を示すさやか、魔法少女衣装のデッサンを持ち込むまどかとの対比。どちらが地に足が付いているか。むしろまどかではないか?(魔女の状況受け入れをそこまで素早く可能か?→さやか)

→マミと魔女退治に乗り込む場面でも、飛び込むさやかと、躊躇うまどかの対比

・魔女の名前が読めない、、虫、花、綿毛、から植物園の職員?どういう怨念の魔女なのだろうか

・たまに笑うキュゥべえの目線が、いつまで演出が続くのか

文藝:さやかのボケとメタの往復が自意識の隘路にも観える「幸せ馬鹿」

文藝(ジェンダー表象):

・飛び降り自殺のOLのハイヒールが2回強調される。1話のまどか母のハイヒールと対比されると面白い。

ハイヒールについて。童話「シンデレラ」におけるガラスの靴は、(都合良く家事が出来る)男性に取って都合の良い女性の象徴だと理解している。

※敷衍すれば、ガラスは純潔、靴は女性性器の象徴でもある。アト・ド・フリース「イメージ・シンボル事典」参照。

ここでは役割が完全に逆転し、労働社会で身を粉にして働くことが出来る女性の象徴と受け取れる。

但し2011年当時の日本の労働環境を顧みるに、あくまで男性優位の労働社会において、となる。

文藝(家族):母に願いを相談するまどかに対し、極めて現実的な(仕事の人事など)願い、というか呪詛に近い言葉を出す母。バリキャリとしても造り込み過ぎな印象(娘への悪影響を省みてない)

文藝(お約束要素):

・3人の登校シーン、過剰にお嬢様ムーブの仁美、異性愛交友以外認められない保守感

・正義感剥き出しのさやか、判断をひたすら保留するまどかとの対比。なぜさやかが、正義に惹かれるのか?の根拠を探すのも面白いかもしれない

3話

概要:マミの魔女退治体験コースにも慣れつつある、まどかとさやか。ただし、肝心な願い事は未決のまま。悩むふたりに明かされた、マミの過去。「願いの内容が、自分のための事柄でなくてはならいのか?」と問うさやかに、マミは、厳しい口調で「他人の願いを叶えるのなら、なおのこと自分の望みをはっきりさせておかないと」と窘めるのだった。翌日の放課後、恭介の見舞いに行ったとさやかと付き添いのまどかは、その帰り道、偶然にも病院の駐輪場で孵化しかけたグリーフシードを発見する。放置すれば、大惨事になりかねない事態に、さやかはキュゥべえと共に見張りを、まどかはマミを助けを求め、呼びに走るのだった。

演出:願い事を打ち明ける会話のコンテの黒塗りとクスリの瓶の群れが絶命への導線

脚本:魔女発生→退治→ほむらとの対峙という円環構造が破綻する

絵コンテ:駐輪場の向こうに現れる魔女の住処が惨殺されるマミの車輪の屑への隠喩か。まどかの願いと同情に涙を浮かべる背景の光の群れの打ち上げが絶命への導線。マミの絶命を明示せず二人の怯えとほむらの救済で導くのが芦野コンテの緊張感の良さ

キャラデザ:さやかの純粋な願いは冒頭から願いの具現化まで純真。誰かの為の願いが絶望に飲まれる構造。

マミの内面独白と情動バランスの崩壊が願いの破綻への導線にある。

美術:鈴木博文のEDコンテの明滅する白光が魔法少女と魔女、虚構と現実を隠喩する構造でもあるか

演出付記:

・巴マミ、灯籠の頂上から使い魔退治。ソウルジェムが濁るだけ

・巴マミとほむら、お菓子の魔女の前夜の会話。なぜマミは「今日が最後の夜」と口にしたのか?→魔法少女実習でソウルジェムを濁らせ過ぎた?

・病院に巣食うグリーフシードを監視する役目を買って出る、正義感溢れるさやか。何も出来ないのでは?に対しキュゥべえが同席するフォロー

・魔女の結果に飛び込むまどか、マミ。直後の自転車の車両の不穏な輝きが、斬首を予期

・劇団イヌカレーの異空間が贅沢に占める後半。一見注射の群れから病院と見せかけ、お菓子の材料(瓶など)やお菓子自体の羅列

・ほむらの代替対応を拒否して拘束するマミ、前日の「いじめっ子の発想」理論から至る言動か。

・マミの魔法少女化する動機の説明シーン、虚淵玄の他ゲーム作品のグロ描写を思わせる血塗れマミ

・まどかの、憧れの存在になりたいから、魔法少女に成るトートロジー。憧れにマミが居ることで舞い上がり、情緒不安定化するマミ。心情の吐露=死を予期させる。

・ぬか喜びで浮かれる間に、お菓子の魔女に喰われるマミ。首から下だけが魔女に捨てられるパンアウトの描写

・お菓子の魔女退治に対し、マミの死にひたすら怯えるまどか、ほむらに反抗的に八つ当たりするさやか。

・新ED。魔法少女たちの影を追いかけるまどかの影。終着する、まどかを包む繭のような存在(太陽?星?業火?)

文藝:頑張る自分を愛する母はまどかの迷いと父の承認とともに、自己肯定に見せかけた遣り甲斐搾取の予兆である。ハイヒールの錯乱が性的にも暴力的にも破綻を予期する

文藝(カタストロフ表象):

・カタストロフのジェンダー表象について2。巴マミの死が、まどかと、さやかを立ち竦ませる。魔法少女として行動するほむらと、対照されている。

まどかは、1話冒頭(ワルプルギスの夜)でも、1話後半(最初の魔女との遭遇前の、ほむらとの対峙)でも、そして今回も同様に「幼体」的であり、庇護を前提とした行動となっている。一方で、対照的なのは、さやかだ。1話後半(最初の魔女との遭遇前の、ほむらとの対峙)では、消火器をなげつけ、2話でも魔法少女見習いにバットを持参するなどアグレッシブなさやかだが、ここでは、憧憬の対照の損失(マミ)も影響するが、何も出来ない。自らの窮地を救ったほむらに、感謝どころか、「マミさんのもの(ソウルジェム)を返せ!」と突っかかる始末だ。

この憧憬の消失=淡い同性愛の消失が、異性愛(上条くん)への行動を(異性愛は無意識的なままに)明確化させる契機となる。さやかは、かなり活動的な、ほとんど男性的な、感情表現を示す。ここで、1話冒頭におけるまどかとの会話「いいよなーまどかンちは。バリキャリだし、美女だし」と合わせると、むしろ男性優位社会で活躍する女性(女性の男性化〉にこそ、憧憬を持っていると言える。

文藝(ジェンダー表象):

・冒頭の上条くんとさやか二人で聴くヴァイオリンのCD、上条の個室の広さと対比される涙。

・対照的に中盤で面会拒否されるさやかと病院のグリーフシード。

・巴マミとさやかの、魔法少女になる動機の相談。マミ「貴女は(無私で)彼を救いたいの?それとも彼の恩人になりたいの?(見返り)」に対して、さやか「酷いです」と、

思考と内省の機会から逃避。マミ自身が魔法少女の運命/魔女化を把握していないゆえのすれ違い。演奏を聴きたいだけなのか、恋愛関係を紡ぎたいのか混同する。さやかが狡い/打算的な人間であれば、病院で上条を独り占めする選択肢/恋愛関係がありえた。

彼女の倫理観/正義感がそれを許さない。では彼女の正義感の根本は何であるのか?

ここを問うべきだろう

文藝(家族):

・酔い潰れるまどか母詢子と傍らのハイヒールが2話の自殺未遂の場面と対比

・夢と生き方相談。頑張る自分が好き、な母が好き、という父の説明。対比される、納得できないまどかの描写。

→マミに魔法少女の動機を告白するくだり、カッコよさと生き方をモデルに出した暫定案

4話

概要:マミと魔女との壮絶な戦いの翌日、訪れたのはいつもと変わらない平和な日常。魔法少女の敗北の結果を目の当たりにしたまどかとさやかは、魔法の世界に関わったことの重さを実感し、魔法少女になることを諦める。その日の夕方、誰もいなくなったマミの部屋を訪れたまどかは、帰り道、マンションのエントランスでほむらと出会う。夕日の中、並んで歩く二人。魔法少女としての死ぬことの現実を語るほむらに、まどかは切ないほど優しい言葉をかけるのだった。

演出:さやか回。OPにマミさん残留するが。忘れない決心と決意に対して階段を下りながら否定するほむらの彼岸と此岸の構造。「奇跡も魔法もあるんだよ」叫び還すさやかの哀愁と不甲斐なさの演技が胸を打つ。恭介の自暴自棄具合は差し込み的に絶妙なのが冒頭の不在との対比でもある。                                 

脚本:魔法少女の最期の忘却による救済を潔しとしないまどかの大きな影の独白。

絵コンテ:純粋な見舞いと心配を向けるさやかの冒頭。目玉焼きにマミの死体を観るまどかの朝の涙。暗転して「ごめんね」マミとキュゥべえと自らにに謝罪するまどか。自らの弱さに自責するまどかを慰めるほむら。夕暮れの工場の群れの背景に「一人を救う尊さ」を説く独善的ほむらと未来の功利主義まどか。魔女空間における、Tv、天使の魔女に平面化されるまどかが虚構の虚構化と現実の視聴体験を引き裂く構図にあるか

キャラデザ:沙耶の唄の沙耶はさやかに受け継がれたか。ありがとうの先を求める罪深いさやかの呟きと独白。朝の通学路で切り替えを図るさやかと自我を分離できないまどかだが、本当に受け入れられていないのはさやかなのか。世界線の変動を嘯くさやかと魔法少女を躊躇い嫌がるまどかを慰めるさやか。魔法少女に過剰な正義感を求めるさやか。まどかより、マミより背の高いさやかは過剰に男性的であろうとする異性愛の少女造詣

美術:病院ELVを下り見下ろすビルの群れ

演出付記:

・学校屋上、マミ宅の訪問と、自責と嘘(マミへの憧れが、マミの死に打ち勝ち、魔法少女への畏れが強まった現実)に、無力感に打ちのめされるまどか。幼体としての存在感を強める演出

・まどかを追尾しつつ、工場群を背景にまどかを尻目に歩き話を聴くほむら。工場群が、マミの死を「その他大勢」(の死)の暗喩に印象付ける。

「私は忘れない、ほむらちゃんのことも」に対し、「忘れないで、その優しさが、誰かを深く傷つけることもあることを」と返すほむら。この会話の始めから終わりまで、パンとズームアウトを繰り返しなが螺旋状に視点位置をずらし続ける絵コンテ。この問答が(この時点では)堂々巡りである暗喩。

・再び帰宅時、呆然とする仁美を説き伏せ失敗するまどか。背景の噴水やデジタルサイネージの描写が非常に虚ろで素早い切替りで、シャフトの腕前に感心仕切り。

・キネマトグラフの魔女?螺旋状に取り巻くフィルム、テレビジョン、追憶、さらに平面化するまどかを引き裂こうとする天使たち。中田健太郎×長岡司英は、劇団イヌカレーの平面的異空間と通常のアニメーション平面との境目こそ、生死の境目との主旨の言説があったが、この魔女の異空間がそれを強調したに過ぎない?

文藝:工場経営の失敗を苦に魔法に乗せられる民衆のプロール、ゾンビ。経済的失敗が重要か

文藝(ジェンダー表象):

・上条を見舞い、再び不在の状況に落胆するさやか。看護婦は陰ながら見舞いに感謝している様子。帰宅のエレベーターで自らの願いの結果を思案し、ネガティブな自分の願いに気付きそうになり自己嫌悪。自己嫌悪の先に進めなかった点がさやかの正義感故の甘さか。

・上条の見舞い、三度目の正直ながら、上条の逆上に慄きつつ、彼のために決断するさやか。個人的には、泣き叫ぶ上条を抱きしめて宥めるほどの関係にも関わらず、その後の上条の塩対応はどうなのかと思うが、むしろ、さやかは、姉か妹のような存在だったのでは?

文藝(家族):

・朝食、最高位の弟(補助テーブル)を世話焼く母、まどかを急かす母。マミの死と生ある今に打ちひしがれて涙するまどかと、気遣う父。同情的=父、教条的=母、という完全なキャラ造形逆転が。なお弟は視線を泳がせるのみで、まどかも弟も何かを意識する様子無し。

・魔女に誘導され、化粧水の爆薬化の防止で、まどか母詢子のアドバイスを思い出すまどか。ここでむしろ物理的、危険回避の教条的示唆を与えている点こそ考えるべき。詢子は真正に父的存在として振る舞っていると見える

文藝(お約束要素):

・出産適齢期からの結婚期検討の無為を解き英語構文に落とし込む担任。旧来派の象徴的なパロディとして繰り返される

・まどかを救い出し、ほむらと敵対するさやか、次回予告の発言も踏まえ、完全に男性的ヒーローの風情。

5話

概要:魔法少女として、魔女の手からまどかと仁美を救ったさやか。キュゥべえとの契約により願いを叶えた今、その心は清々しく、魔法少女となったことに後悔はない様子。反対にまどかはさやかよりも先に魔法少女になる決意をするも、諦めてしまった自分に悩む。そんなある日、病院の屋上で開かれたのは恭介の手の快復祝い。父の手から、かつて自分が愛用していたバイオリンを渡され躊躇するも、意を決してバイオリンを披露する恭介。まったく衰えていない天才の才能に、聴き惚れる一同。その光景を見たさやかは、至福の喜びをかみ締める。一方展望台には、そんな病院屋上でのさやかの動向をうかがう杏子の姿があった。

演出:たった一つの希望と引き換えに全てを諦める(ほむらの魔法少女解釈) 瞳で語り掛けるキュゥべえとまどかの、声ではない会話の虚構における意義を考える

脚本:杏子とさやかの魔法少女撃ち合いの終止符に横やり入れるほむらで終わるカットアウト

絵コンテ:赤と黒に染まる夕焼けの病院、ビルの群れ、赤く染まる花畑で契約するさやかとキュゥべえ。闇のアタシ再生産。風車の群れに工場の群れの表象は明るい未来の背後に迫る量産される悲劇の予兆であり河岸で話すまどかとさやかが常に日陰射すのはその導線。病室ベッドわきの無数の椅子が透明なギャラリーと転調。160階屋上へ夕焼けと共にELVで立ち昇る世界の向上。恭介バイオリン演奏と黒塗りされるギャラリーが音への集中と来るべき暗転の予感。

キャラデザ:魔法少女の躊躇いと恥じらいを道化的に演じ少女性を隠すさやか。「後悔なんてあるわけない」信じ込もうと感情に蓋をする半端な覚悟が少女的。「思い込みが激しくて意地っ張りで、勇気があって優しい」まどかのさやか解釈に対し「魔法少女は見返りを求めるな」諭すほむら。お菓子だけ貪る杏子というダンサー的ヒールの造詣

美術:クレヨンの魔女の使い魔空間の玩具の群体と階段的意匠を飛び交う使い魔。杏子とさやかの赤い鎖で隔てるビル谷間の戦闘空間という路地裏感=周縁=被差別民=異端者の配置

音響:まどかの願いで呪詛的に流れる魔女導線的音響

演出付記:

・チョコちょこズームアウトで崩れる作画(学校での3人、キュゥべえなど)

・さやかの魔法少女化した身の上を心配するまどか、後悔なんか、あるわけないと自分を納得させようとするさやか。背後の風車の群れが初登場となるが、思考回路や祈りの志向が堂々巡りしていることを暗示?新しい魔法少女=さやか誕生による新風の暗喩?これから対峙する杏子の暗喩?

・後悔なんか、あるわけない。魔法少女化した場面の抽象化に、魔女の瞳の中に囚われるさやかの図式。

・落書きの使い魔と対峙するさやか、路地裏の剥き出し配管/社会の影で行われる杏子とさやか。利己主義vs利他主義は然し自己愛の強さ、開き直り、相対化の強い杏子に軍配。

槍から変形する三節棍と、さやかの剣戟のアニマが非常に見易く、かつ程よく流動性がある。

最終的にほむらの時間停止に救われるさやか、もう少しほむらに感謝するべきでは?

・正味バトルアクション以外は、、

文藝:さやかの幼い正義感が友人=恋情=恭介に基づき、その根幹が揺らぐ瞬間に彼女自身が瓦解する導線となるのは関係性と情動の妄執と隠匿に依拠する

文藝(ジェンダー表象):

・冒頭のキュゥべえと契約し、心臓を抜かれるさやか。病院屋上の花園の中心で花が咲き乱れ、花弁が舞う=人間/女性としての終わりを示す?

・上条の手首回復を祝うシーンにおける花園を半分背後にした演出、さやかが半分人間から引いた存在であるとともに、上条の半回復を表象するものと解釈。というか屋上が160階って、、

6話

概要:さやかと杏子の戦闘現場に、突如現れたほむら。戦闘の仲裁に入った彼女はさやかを一撃で気絶させ、それを見た杏子はほむらを警戒し、その場を離脱したことにより、戦闘は終息する。翌日、杏子の乱入により取り逃してしまった使い魔の痕跡を探すさやかとまどか。戦闘の痕跡が残るその現場で、杏子との平和的な解決を提案するまどかと、命を賭けた魔法少女同士の闘いに覚悟を決めたさやか。二人の意見は擦れ違ってしまう。そんな二人のやりとりの一方、ゲームセンターでは、とある目的のため、ほむらは杏子と接触するのだった。

演出:浅利藤昭の演出。まどかの相談を受けるダイニングバーの母の随所の空白地帯、テーブル右やダイニングは会話劇内容自体の虚構と失敗の導線にも観えるか。夜の歩道橋の決闘は眼下の危険以上に魔法少女と魔女との彼岸と此岸の分岐点でもある。影を強調する場面づくりの多用は虚構と現実を交錯させる本作の主要課題に見える

脚本:魂のありかに拘る人間、効率を求めるキュゥべえ

絵コンテ:笹木晋作のコンテ。冒頭のほむら介入のコンテ変調の線画の強調の虚構の強化。ビル谷間の上を塗って逃走する杏子を見上げる視聴者。焼けのビルの谷間の罅割れた地面と配管とさやかとまどかが虚構と激情と終焉に溶け込む導線。夜のビルの光線を縫ってソウルジェムを取り戻すほむらは生死の境界線を彷徨うゾンビでもある

キャラデザ:さやかの部屋に多数の姿見と写真。さやかの思い込みと信念に恭順する煽情性に弱い造詣。目的のアノミー化と分散化は観念の殺人鬼への導線。

美術:Dog drug Reinforement ダンスゲームと享楽性。夕焼けのビルの谷間の罅割れた地面と配管とさやかとまどか

音響:グラスの氷と響き合う吹奏楽器の優しさがよい

演出付記:

・マミの後釜としての不安を吐露するさやか。まどかの潜在能力を説明し、さやかを扇動するキュゥべえ。

・マミの意思を継ぐ決意表明と、彼女にとり不正義の魔法少女とも競争する、バトルロワイヤル宣言のさやか。涙ながらに留めようとするまどかの声も届かない。事実認識の誤認に基づく行為は勇猛では無く蛮勇である。

・ここでも魔法少女化によりまどかを扇動するキュゥべえ。2話まであった、キュゥべえから笑顔が消えていることを確認

・Dog drug Reinforementで、杏子に託そうとするほむら。シャフ度で切り替えす杏子。彼女の回答は両儀的で賛同も否定も無いように見える。

・杏子とさやかの対峙、割って入ろうとするほむら、留めようとソウルジェムを投げ捨てるまどか。泣き叫びつつさやかを抱き抱えるまどか、キュゥべえを吊し上げる杏子、魂の在処や肉体への拘りに疑問を呈すキュゥべえ。有機的反応と無機質反応の対比がいい。

文藝(ジェンダー表象):上条の連絡なく不在の病室訪問のさやか。上条くん酷い。上条邸宅から響くバイオリンに、躊躇するさやかと、尾行を明かす杏子。杏子のアドバイス:手足を打ちのめし、あんた無しに何も出来ない身体にすれば良い、は図星だと思うゆえに逆上するさやか。基本的にさやかを打ちのめしたい杏子の動機が最終的にさやかへの好意に反転することを考えると、むしろ放っておけない心理から関係を持とうと行動していると見るのが妥当。

文藝(家族):詢子と相談するまどか。まどかを子供として「合格」と褒めつつ、早く大人になるよう急かす詢子。「正し過ぎる誰かの分まで、間違えてあげれば良い」という詢子のアドバイスが、ソウルジェム投げ捨てに繋がる構造。むしろここではアドバイスを語る絵コンテが、螺旋階段とテーブルを取り巻きながら、螺旋状に活写されることで、これらのシーンが逆効果を生むことを暗示しているように感じる。

グラスを指で舐め回す詢子の描写もそれを加速する。

7話

概要:魔法少女となった自分の体の真実を知ったさやか。戦いの運命を受け入れてまで叶えた願いと、その代償の大きさの間で揺れてしまう。そんな自宅でふさぎこむさやかの元に現れたのは、敵対していたはずの佐倉杏子。彼女はさやかを外へと連れ出し、とある廃墟の教会へと誘う。そこで杏子の口から語られたのは、自身が魔法少女となった理由。果たして彼女の真意とは――

演出: 城所聖明演出。教会の昔日をペープサートとライニガー的影絵の二次元化を操る杏子は現実に虚構が侵食する構造の二重化に観える

絵コンテ:  西田正義画コンテ。物理的合理性と情動的非合理を、口と眼の変化なく無表情で説明するキュゥべえの恐怖演出。杏子の祈りが呪いに変わる背景の廃屋教会と正負のバランス。喫茶店で右に配置される敗者のさやかと勝者の仁美、なぜさやかだけ食べ物=仁美が提供する機会、据え膳、、

ライニガー風の魔女戦闘描写に観る自らの過剰な虚構化、ピュグマリオン化がある

キャラデザ:正義に恭順し不正義に騙されるさやか。「アタシに価値なんてない」弱るさやか。正義感の情動に順じ、自らの嫉妬に情動に逆襲されるさやか。

美術:屋上のまどかとほむらの影の揺らめきと奇跡と対価。夕焼けの公園の足と影と廃屋教会とステンドグラスと杏子とさやかと、神への供物造詣。正義感に順じ、正義への信奉に溺れるさやか。

劇団イヌカレーの無駄を削いだライニガー風味魔女世界による意味の集約

音響:廃屋教会のオルゴール

演出付記:

・魔法少女=ゾンビ化の事実と、キュゥべえの認識の違いに憤るさやか。憤りにはやや迫力が欠けるが、さやか自身の迷いもここに影響されての演出とみることが出来る。

・学校を休むさやか、彼女の身を案じて相談するまどか、冷たく前言を繰り返すほむら。何かを選択することの責任を感じさせるべく塩対応しているように、絵コンテも追従してパンアウトやほむら目線の多用が。

・さやかを教会へ連れ出す杏子。自身の魔法少女化の経緯を平面劇で示すとともに、自らの掌も同席させることで、昔話ではなく現在と接続した内容であることを強調/混濁させる意図を感じる。

・利己主義を説きながら他人を説教する矛盾を指摘するさやか。利他主義への後悔が無いことを再確認するとともに、不正(盗まれた林檎)に対する否定を繰り返す。妄執的な正義感から後戻りが出来ない、他人の話を聞き入れられない状況が既に見て取れる。教会を後にするさやか、見送りながら林檎を繰り返し噛み潰す杏子との対比が中々に見応え。「希望と絶望は差し引きゼロ」

・仁美の告白、斜めカットの多用に象徴される様に揺れ動くさやか。仁美は何度も忠告し、あまつさえ権利と猶予を与える。いい子じゃないか仁美、、さやかの時間軸も看病のことも知り尽くしている言及。よく他人を観ている。自分とも対峙している。魔法少女でなくとも、いずれ仁美に上条くんは横取りされていたように感じる

・今回の白眉。魔女の夜襲のさやかを支えるほむら。過剰な優しさとして困難な現実を訴えるさやか。声優の演技が迫真に迫っていてうまさを全面に感じ

・影絵の魔女、石岡良治)ライニガー風の影絵と、人物たちの瞳、口元の強調が、杏子のペープサート作劇と協業し、さやかの狂戦士ぶりを強調。

白黒の強調が、エログロ系のニトロプラスのノベルゲームと共振する雰囲気

8話

概要:自らの負傷も意に介さず、ただ目の前の魔女を切り刻むさやか。治癒魔法のおかげで最終的には無傷で魔女に勝利するも、もはや憔悴しきった様子。その帰り道、雨宿りがてらの休憩中、憔悴しきったさやかの様子を見かねたまどかは、さやかの戦い方について、口を出してしまう。きれいごとばかりに感じるまどかのその言葉に、さやかはついに感情を爆発させ、その場を立ち去ってしまう。涙に暮れながら、それでも追いかけられないまどか――雨の中をはしりながら、自己嫌悪に悔し泣きをするさやか――彼女のソウルジェムは、黒く黒く濁っていくのであった。

演出:川畑喬演出。行く電車の二極通行、白黒社内のホストと帰り電車の一方通行。渦巻に飲まれるさやかの正義の暴走。誰かのために、とキュゥべえに唆されるまどかを包む桃色の円環と噴水の星への上昇。それを覆すほむらの時間停止魔法で桃色が緑に変わる

絵コンテ:小俣真一画コンテ。工場群体背景で疲労困憊するさやかを介抱するまどかは終わりのない労働の結末の相似形でもあるか。電車内の白黒、ライニガー風戦闘の白黒は、正義と不正義の二価値極端な思想のさやか心象世界であり、推し活ホストに迷う女子の終末の相似形か。ソウルジェムの濁りが頂点に達するとともにさやかの瞳孔の全開と力ない涙、吹き飛ぶ杏子、鳴り響く音響が絶妙

キャラデザ:疲労の蓄積で自我制御を失うさやかとまどかの喧騒、正義の暴走の歯止めがあるとの妄想は規則を確認不足の故。

ほむらのまどかへの妄執と自省の低下、杏子のさやかへの同調

美術:ほむらの家。三叉路の高層階で大きな鎌の振り子と魔女絵画の揺らめく壁面。ワルプルギスの夜対策で「統計」と適当を述べるほむらと、信頼できないと不満の杏子。闇から現れ、闇に消えゆく白いキュゥべえ。混乱と判断未定を象徴するようなコマ割りと美術。

魔法少女と魔女の構造を説明するキュゥべえへの導線の無数の真夜中のビル群が終わりのない民衆の苦悩、労働、カタストロフ表象でもあるか

音響:嫉妬と怒りと悲しみの弦楽器とさやかとまどかの喧騒

演出付記:

・影絵の魔女との対峙と終結、グリーフシードを杏子にほうり投げるさやか、倒れる彼女を介抱するまどか。前回ラストより狂気ぶりが強調される冒頭描写。シャフ度が多用されるさやかが、狂気ぶりに拍車を、。

・終バス後の豪雨の中で、さやかとまどかの痴話喧嘩。多用されるシャフ度。魔法少女にならない故に要領を得ない激励を続けるまどか、まどかの潜在能力に嫉妬して彼女の優しさへの嫌悪を口にするさやかの対比。それでもさやかを追いかけよう、励まそうとするまどか。まどかの芯の強さが見える

・ほむらの家。三叉路の高層階で大きな鎌の振り子と魔女絵画の揺らめく壁面。ワルプルギスの夜対策で「統計」と適当を述べるほむらと、信頼できないと不満の杏子。闇から現れ、闇に消えゆく白いキュゥべえ。混乱と判断未定を象徴するようなコマ割りと美術。

・魔女狩で消耗するかさやか、ほむらのグリーフシードを拒むさやか。まどかへの意志を理由にするも信じないさやか、完全に無感情に。

光刺すほむらと項垂れるさやか、完全な逆転構図に。煌めく星空が希望と絶望を相対化するように痛ましい。さやかに止め刺そうとするほむら、留める杏子

・さやかを救うべくキュゥべえに懇願するまどか。それを防ぎキュゥべえを打ち抜くほむら。キュゥべえの存在状況(多数で一個体)を知り得ないまどか、必死の涙ながらのほむらの説得にも耳を貸す事が出来ない。初めて感情的になるほむら

・駅のホーム、さやかと見つける杏子。背後のディスプレイが傘を差す紳士と距離のある誰か。

希望と絶望は差し引きゼロ、何かを祈った分だけ誰を呪わずにいられない、濁り切ったソウルジェムが炸裂し魔女になるさやか。

・真夜中の三日月、ガントリークレーンの先端で魔法少女と魔女の原理説明のキュゥべえ。白黒のシンメトリーの対比が、真実の開示の演出効果を抜群に。7話あたりから、キュゥべえの瞳が二重車輪化され、キュゥべえの本質開示と並列した演出に見える

文藝(カタストロフ表象):魔法少女と魔女の構造を説明するキュゥべえへの導線の無数の真夜中のビル群が終わりのない民衆の苦悩、労働、カタストロフ表象でもあるか

文藝(ジェンダー表象):

・仁美と上条くんの微笑ましい会話の裏側で苦痛に呻くさやか。

・環状線の往路と復路。ホストのホステス操作と突っかかるさやか。視聴者の視点を惑わす絵コンテ、暗中の電車内で切替り続けるホストとさやか、徐々に黒く渦巻きに塗り潰されていく。シーンの終わりには一方向のみの環状線に。

9話

概要:漆黒のグリーフシードと化したさやかのソウルジェム。そのグリーフシードは孵化し、新たな魔女が現れる。さやかの身体を抱え、迫りくる魔女の攻撃に防戦一方の杏子。魔女の結界に割って入ってきたほむらは、杏子を先導し結界から脱出する。一方まどかは、さやかの捜索途中、重い足取りで歩く杏子とほむらの姿を見つける。変わり果てた姿となったさやかの前で泣き崩れるまどかに、ほむらは冷淡な口調でソウルジェムの最後の秘密を語り、その場を立ち去る。その日の深夜に、キュゥべえが、京子の前に現れる。キュゥべえとの会話の中でさやかの身体を元に戻す一縷の可能性を見出す杏子。翌朝、京子は登校途中のまどかをテレパシーで呼び出し、驚きの提案をするのだった。

演出:向井雅浩演出。ほむら、杏子、まどか、顔のアップパンが表情と認識の強調に多用されるのは前回の衝撃の緩和でもあるか。杏子の弱みの認知とさやかへの禱りの断念と自爆的突撃は理不尽で王道だが胸に熱く来るものがあるのは「ひとりぼっち」を最期に認め呼びかける孤独の杏子が潔いからか

脚本:エントロピーとエネルギーバランスの情動管理が説明し過ぎ感があるが、、

絵コンテ:七嶋典子画コンテ。冒頭の電車線路の整備工場の電灯に群がる蛾の死体への導線。3人の末路の説明に反射する4つの影が未来の分岐する予兆。まどかの人形の群れに紛れて魔女システムを説明するキュゥべえが無感情生物の直喩。

キャラデザ:キュゥべえ:枯れ果てた世界を引き渡されても、君たち困るよね!

杏子の口調が変化する「ちょっとツラ貸しな」、→「顔貸してくれる?」

虐め合うさやかと杏子の百合的意匠が寧ろ少年同士の友情の相似形も兼ねるか

美術:オーケストラの指揮者の魔女表象に観る五線譜と線路と赤青と白黒の空間

路地裏の家屋の装飾道具に観る人魚、一角獣、魚のアイコンの、理想と現実に引き裂かれる寓話は、直後の杏子の自嘲する「正義と愛が最期に勝つストーリー」に呼応する。

杏子が投げ槍するLOVE ME Dow 青のさやか、赤の杏子が影絵で混ざり合い溶け合いカフェラテアートに堕ちる清濁の結末の醜さ

音響:白黒の線路を奔るトロッコ音

演出付記:

・楽譜と電車の線路、音楽が織りなす異空間の魔女、人魚の魔女。さやかの魔女化を信じられない杏子。

線路内、さやかの死体を抱える杏子とほむら、駆け寄り説明を受け泣き崩れるまどか。状況説明に憤慨する杏子。通過する電車。事態が一方通行である暗喩。

・まどかの部屋、人形の位置と数量減少、空席の増加。心情風景から幼児性の減少、親友や憧憬対象(マミ)の喪失感を反映か。魔法少女の魔女化に伴う、キュゥべえの目的の開示。キュゥべえに感情が無い分、合理的で無慈悲な説明に得心いかないまどかとの窓辺の対比が著しい。繰り返される無感情のキュゥべえと焦燥溢れるまどかの切替え続けによる緊張感の醸成が、音響効果も合間って仕業の水準が高い。

・さやか奪還の可能性を相談しながら盗品のジャンクフードを貪る杏子。可能性を仄めかすキュゥべえ(僕の知る限りでは、(方法は)無いね)。→救済可能性を示唆することで防戦一方化して杏子の消耗を当初から目論んでいたものと考えられる。

・雑談する仁美と俯くまどか、遠方から視線で射抜く杏子。パンとズームアウトの繰り返しで少ない時間軸ながらに日常と非日常の緊張感のある絵コンテ。

・人気の無い工事現場に魔女さやか/人魚の魔女の入口を見出す。異空間の先へ先へと扉を開き続けて進む杏子とまどか。自責と軽蔑を覚悟して感覚を尋ねるまどかを一蹴する杏子。「(魔法少女に成るのは)そうするより他に仕方ない奴だけだ」彼女の倫理観が垣間見える。

・杏子を教唆したキュゥべえをなじる、不合理なほむら。前回から引き続きかなり感情的に。まどかを取り巻く環境の悪化とワルプルギスの夜の接近とで余裕がなくなりつつある

文藝(ジェンダー表象):

・ステージ(人魚の魔女の幕)前の回廊で走馬灯のように示される上条、まどか、杏子。彼等もさやかの魔女化の遠因となったことが示唆される

・繰り返し呼びかけるまどか。防戦一方の杏子。人魚の魔女の車輪攻撃増加で手負が増える。致命傷のタイミングで参入するほむらに、結界で防護する杏子。「頼むよ、神様、、最後くらい、幸せな人生だったって信じさせてよ、、」

「いいよ、さやか。独りぼっちは寂しいもんな、さやか」そう言って、互いにソウルジェム/グリーフシードを打ち抜き、自爆する杏子。

人魚の魔女らしい攻撃はあまり無いが、杏子が呼びかける中で水中に溶けていくさやかと杏子、混ざり合う赤と青のモチーフがそれらしいとも言える。

本シーンにおける杏子とさやかのラストの独白のやり取りは感動的な場面だが、自爆を観念する前後のタイミングから、音響を含めた連続性の断絶がある。ある意味で視聴者を突き放し、メタ的に認知させる効果を狙っているようにも見える

・EDが、さやか、杏子のキャラソンに、、ある意味2人へのレクイエムと言える

文藝(お約束要素):さやか奪還作戦の協力要請の杏子とまどか。西欧風街並み路地裏でひしゃげた金属音とともに鶏や犬の吊りモニュメントが棚びく。ブレーメンの笛吹きの隠喩か。杏子がまどかに頼みかけるも、握手はお菓子経由(うまい棒)=単なる利用関係の暗喩。それとともに、杏子自身もさやか奪還作戦を信じていない風情が見える「そういうもんじゃん?愛と正義が勝つストーリーって」→アイロニーである

10話

概要:それはとある少女の転校風景。必要以上に緊張し、萎縮する気弱そうな少女は、クラスの全生徒の視線を一身に浴びながら、慣れない自己紹介をする。休み時間、押しかけて興味津々に質問をしてくる女子たちに、気圧されておどおどしている彼女を、その場から連れだしてくれたのは、クラスの保健委員を名乗る少女。優しい笑顔を向ける彼女は、自分を名前負けだと感じる少女に対し、カッコいい名前だと言う。長らくの入院生活により、学力も体力も他の生徒に劣る彼女は、劣等感に肩を落として帰宅する途中、ふとしたことで魔女の結界に迷いこんでしまう。彼女の絶体絶命のピンチに現れたのは、二人の魔法少女だった。

演出:八瀬祐樹演出。四周目のほむら、時間遡行の螺旋の白黒の階段の渦へ意思ある歩みのほむら

絵コンテ:笹木真一画コンテ。一周目:青空廊下で向かい合う正反対のほむらとまどか

二周目:スカートの魔女の股下へ爆弾を投げ込むほむら

三周目;ヤクザ事務所から重火器を盗難するほむら、魔女化で感情を失う恐怖を訴えるまどかの死を象る黄金の夜明けのような情景

キャラデザ:

一周目:保険係の快活なまどかが田舎娘の初代ほむらを助ける構図にまどかへの妄執の端緒を観る

二周目:実直でドジっ子のほむら

美術:

一周目:ほむらの通学路帰りの床のゲルニカのカタストロフ表象。ワルプルギスの夜に負けて泣き叫ぶほむらの紫の水没する世界表象。

ほむらの願い:3つ。かなめとの出会いをやり直す。彼女に守られる私でなく、彼女を護る私に。

音響:一周目:魔女を撃退する背景の進軍的鎮魂歌の表面的意匠

演出付記:

・ほむら1周目。人見知りで運動不足、頭脳も不足のほむら描写。周囲のモブの止め絵が多く、やや異次空間である布石が。まどかは対照的に気が利く良い子の描写

・ほむら、まどかの表情ズーム多用

・ほむらへの魔法少女説明、巴マミとほむらの座席入れ替わり

・ワルプルギスの夜との決戦、愛の告白でまどかを止めようとするほむら。死したまどかを前に「彼女との出会いをやり直したい。彼女に助けられる私じゃなく、彼女を助ける私に」

・ほむら2周目。やや快活に。でもやや頭脳足らずか、魔法少女化したことをクラス前でまどかに公言、戸惑うまどか。

・時間操作の説明でゴルフクラブを振り回してドラム缶処分するほむら、爆薬作りのほむら

・スカートの魔女?スカート内に爆薬投擲

・まどか、ソウルジェム濁りきり魔女化。魔女の具体的なイメージ不明で長い手足が黒く伸びる

・ほむら3周目。さやかの、ほむら嫌悪で始まる後半。未来予測やキュゥべえの意図予想に疑念。巴マミからも爆薬のみの攻撃手段に疑念。ヤクザ事務所潜入し銃火器を搬出するほむら。

・人魚の魔女/さやか戦で、さやかへ呼び掛けて戦闘回避しようとする面々。元の姿へ戻ってと懇願するまどか。車輪/レコード攻撃からまどかを助け、人魚の魔女へ爆薬の止めを投擲するほむら。

・生還後、いきり立つ杏子、状況を受け止めきれず集団自決へと凶行し、杏子をのソウルジェムを打ち抜き、ほむらを捕縛するマミ。ほむらを打ち抜こうとするマミのソウルジェムを打ち抜き、「こんなのイヤだよ」と泣き崩れるまどか。「2人でワルプルギスの夜を、一緒に倒そう」と宥めるほむら。

・魔女化し巨大な山?台風?と化するまどか、「私の戦場はここじゃない」と背を向けるほむら。

「繰り返す、私は何度も繰り返す、ただ一つの出口を信じて」

・ほむら4周目。「誰も未来を信じない、ならば私も誰も信じない、魔女は全て私独りで倒す」

夜這いしまどかに忠告するほむら。単独で全ての魔女に挑むも、第一話の冒頭へのループに接続。まどか「ひどいよ、こんなのって、ないよ」「本当に私でも、力になれるのかな?」

ほむら「ダメよ、そいつの口車に乗っては」、、、

・ほむら5周目。キュゥべえ追跡、1匹目射殺。2匹目がまどかに逃げ込む

・OPの差し替え。ラストカットにほむら、杏子の2人が追加。OPの主人公がほむらであったことが明かされる

文藝(カタストロフ表象):

・ほむら1周目のカタストロフ表象。まどかが率先して自己犠牲し、ほむらは傍観者。ただまどかへの愛のみ基づき言動、まどかを留められず

・ほむら2周目のカタストロフ表象。まどかと二人でワルプルギスの夜打倒するも、まどか魔女化。みんなに知らせなければ、という正義感と焦燥感

・ほむら3周目のカタストロフ表象。立ち向かうまどかとほむら、濁るソウルジェムを前に愛ゆえの暴走を唆すほむら、遮って愛する皆のために間違いを正してと、最後までいい子のまどかの対比

・ほむら4周目のカタストロフ表象。一人で只管立ち向かい、最後にまどかに看取らせるミスを犯すほむら。絶望の中で時間遡行の実行

→徐々に男性化するほむらの素行と対象的に弱気になるまどか、繰り返すほど判断が先鋭化するほむらと中庸に近づくほむら

文藝(ジェンダー表象):

ワルプルギスの夜退治後、仰向け倒れる2人。隠し持っていたグリーフシードを手渡し、ソウルジェムを浄化するまどかのいい子天然ムーブ、、

ほむらの愛の告白ははぐらかされる「ねえ、このまま2人で間違えちゃおっか?魔女になって、こんな世界、めちゃくちゃにしちゃおうか」

(力無く首を振るまどか)

「キュゥべえに騙される前の馬鹿な私を助けてあげて」「魔女にはなりたくない。大切な人たちを傷つけたく無いから」

文藝(お約束要素):

・ほむら1周目、魔女の呼び声に誘われる際のビジュアルが、ピカソのゲルニカ。絵画の魔女?来たるべきカタストロフの予兆?

・ほむらを助けるまどかと巴マミ、典型的な魔法少女の登場

11話

概要:雨の中、しめやかに行われたさやかの葬儀。うつろな目をして家に戻ったまどかは、玄関で出迎えた詢子への挨拶もそこそこに自分の部屋に入ってしまう。一人悲しみに暮れるまどかの元に現れたのはキュゥべえ。さやか達の死について淡々とした口調で語るその姿に、さすがのまどかも怒りを感じる。そんなまどかの態度が理解できないキュゥべえは、自分たちと人類がこれまで共に歩んできた歴史を語るのだった。

演出:渡辺こと乃演出;避難所の窓外の森林のざわめきが過剰に絵画的であるのが虚構と現実以上に終焉を示す。

良い子の私を信じて、行かせて。ガメラリバースでも繰り返される構図の原典。

絵コンテ:伊藤智彦画コンテ:時間遡行の副作用の説明台詞で繰り返されるキュゥべえの目線のパンが無表情と視聴者の情動喚起の結節点として提示される。円監し螺旋の虹色と赤が排水溝に流れ込む、血の海の歴史

キャラデザ:教師とまどか母のバーでの相談が大人と子供の非対称であり、天地創造の指先が断絶の直喩でもある。男同士の語らいにも同じ情景が反映可能にも観える。

ほむらの独白、強がり、涙、告白はツンデレであり一途であり魅力的で涙腺刺激的でもあるが偏執的な純愛に殉じる危うさと表裏一体でもあるのは昔日の恋愛モード視聴者向けでもあるか

美術:家畜動物たち、過去の聖女たち歴史の変遷の二次元的な絵画。

工場の河岸の向こう岸から立ち昇るワルプルギスの夜は現実と虚構の終焉の境界線を示す。

ワルプルギスの夜の淑女反転の舞台装置の造詣は舞台装置ゆえに物理的な干渉を無効化する意匠の隠喩にも観える。レーザーで飛び出す黒い子供たちが未来の魔女、魔法少女への導線。

演出付記:

・せまる無表情のキュゥべえ、因果律の重さとまどかの素質の説明。くちを曲げるほむら。振れる時計の振り子と魔女の画角たち。

「時間遡行の魔法だね」と見抜くキュゥべえ

・OP、ラストカットにほむらと杏子の追加が固定

・キュゥべえを問い詰めるまどか。弱肉強食、共存関係と家畜の歴史、魔法少女と権力、社会変革を解きつつ、譲歩の姿勢を訴えるキュゥべえ。クレオパトラ、卑弥呼、ジャンヌダルクなどが異空間演出として入れ替わり立ち替わる。まどかとキュゥべえを交互に写しながら運命の輪が画面を螺旋状に渦巻き、排水溝に流れ込む形で収束する。

何度も提示される排水溝の役割がここで明示される、運命の発散と収縮、希望と絶望の相転移の結果の暗喩。

説明中、妙に増えているまどか部屋のぬいぐるみ。大サイズが多めだったが小サイズが多めに。

キュゥべえ「僕らこそ驚きだよ、個別の個体を持ちながら、さらに感情まで持っている生命体がいるなんて」「(感情が理解できたなら)こんな星まで来る必要は無かったんだけどね」

文藝:殉教者ほむらを卓越主義システム的に救済するまどか

文藝(カタストロフ表象):

・災害対策本部のスーパーセルの説明絵コンテ、佇むほむら

・ワルプルギスの夜との対峙。対峙の直前に差し込まれるシャフ度、そして戦闘へ。ミサイルの連写、爆弾の連投、タンクローリーの投擲。無傷で使い魔/魔女の群れを放つワルプルギスの夜。避難所への接近

・トイレを口実に離れるまどか。ほむらの「1人でも遣れる」意図をキュゥべえに確認。あくまで希望の可能性を仄めかしつつ、希望を抱いて魔法を繰り返す限り終わらない未来しかない、希望=絶望でしかないことを解くキュゥべえ。過去の魔法少女/魔女をフラッシュバックさせる。「でも」と、抗うまどか。

このシーンに至る台詞、演出、絵コンテが完璧過ぎる、、

・ワルプルギスの夜の、ビル投擲で脚を挟まれ身動きが取れなくなるほむら。ゼンマイを巻き戻し、時間遡行を試みるも、キュゥべえの牽制「因果律の重さは、時間遡行を繰り返すほど高まる」に後ろ髪を引かれ、躊躇し、涙し、絶望が増える。ソウルジェムが濁り切りそうになる。

・「もういいんだよ、ほむらちゃん」立ち寄るまどか。キュゥべえと佇むまどかに茫然自失するほむら。「ごめんね、ほむらちゃん」。EDがオーバーラップする

文藝(ジェンダー表象):

・ほむら宅、チェーン越しに、入室願うまどか。ワルプルギスの夜対策で、1人でもやれると、嘘をつくほむら。信じられないと、まどか。これまでの経緯と、現時点での不安、さらにこれ以上独りになれないという焦燥も踏まえているか。堪えきれず、まどかに駆け寄り抱き締めるほむら。「本当の気持ちなんて、言えるわけない、、だって、私は違う時間軸の人間なんだもの」

・まどかに時間遡行の経緯を語りかけるほむら。画面構成の三面鏡が重複し螺旋状に展開する時間軸のメタファー。背面の複数の額縁には無数の過ぎ去る色彩、何かを悟るまどか、複数の時間軸の動画、連動するほむらの説明「何度も何度も繰り返し、死ぬあなたを観てきた」「あなたを助けたい、ただそれだけだったのに、、(中略)今ではそれが、最後に残った道標」

文藝(家族):

・さやかの葬式、事件説明と天候不順を伝えるtv放送。葬式から戻り嘘をついて詢子とのやり取りを避ける無表情のまどか。ここで作中、初めて母に嘘を付く。放りだされるまどかの靴、3話で投げ出される詢子のハイヒールと対比。

・バーカウンターで相談する教師、早乙女和子とまどか母詢子。薄暗い赤と青の対比。和子:赤:情熱的、共感的、女性的?に対し詢子:冷静、論理的、男性的?の暗喩か。和子「昔から、(多感な年頃に対する対処などの機微に触れる事案に)苦手だったもんね、(詢子)」

・避難所(恐らく放送当時より長めの尺)の描写、父母、タツヤから背を向けて離れて三角座るまどか

・階段を降りるまどかを引き留める詢子。

「友達を助けなきゃ」「消防隊に任せろ」

「でも、あたしが行かないといけない」

「(まどかを叩いて)バカ言うな、そうやって無茶して、どれだけの人が悲しむと思ってる」

「わかってるよ。パパもママも大切だもん。ねえ、ママ、私、いい子だったよね?言う事を良く聞くいい子になったよね?なら、今度だけは私の事を信じてみて。お願い」

「なら私も連れていけ」

「ごめん。ママはここに居て。パパやタツヤを安心させてあげて」

「誰かの嘘に踊らされたりしてねえな?絶対に下手打ったりしねえな?」

まどかはここで2つ嘘をついた。恐らく皆大切だ、という代わりに、「パパとママ」が大切だと切り替えした。そこに弟タツヤは居ない、つまり大切な皆んなは、皆ではない。残るは、下手打つ可能性が充分あるが、信じさせるために、根拠なく頷いた点だ

文藝(お約束要素):「もういいんだよ、ほむらちゃん」立ち寄るまどか。キュゥべえと佇むまどかに茫然自失するほむら。「ごめんね、ほむらちゃん」。EDがオーバーラップする

12話

概要:一人ワルプルギスの夜に挑み、深手を負ったほむら。何度挑戦しても勝てないくやしさ、自分の行為がかえってまどかを苦しめる結果になったことへの絶望で、自らのソウルジェムを黒く染め上げていく。そんなほむらの前に現れた少女、鹿目まどか。まどかは、決意のまなざしでワルプルギスの夜を見据え、ほむらに言い放つ。「叶えたい願い事をみつけたの」魔法少女となる者の運命を全て知った彼女は、果たして何を願い、どんな決断を下すのか?

演出:宮本幸裕演出;虹色の光に包まれ概念と化したまどかを嘆くほむらは殉教的であり、包摂される信者でもある。異性愛による救済を信用しない虚淵玄の解法の一つに観える。二つの宇宙空間に引き裂かれるまどかとほむらは永遠に交わらない円環の理に観える

脚本:上条恭介を救済する世界線の保護として思念体のまま残地されるさやか

絵コンテ:呪詛の音響に包まれてほむらを抱擁し謝罪し進むまどか

さやかが上条恭介のために流す涙を、民衆の救済と忘却として片付けない世界線を考えたい。

キャラデザ:マミの三角形の卓上で説教する現実的リスクと切り分けたケーキ

杏子の貪るケーキとリスクと他者肯定。

ほむらもさやかも存在しない空間は他者肯定の庭

美術:舞台装置の土台から崩れ去るワルプルギスの夜の嗤い。

まどかの齎す新しい宇宙法則のホワイトアウト平原と無限の闇の彗星のまどか表象であり希望の終焉として絶望と希望に基づいた宇宙体系も終焉する暗闇の群れと宇宙線条体

音響:上条恭介のAveMaria ,私たちの母、聖母マリア=まどか

演出付記:

・再び閃光。月面と思しき世界にほむらとキュゥべえ。

概念化したまどかの説明を受ける。宇宙を高速で突き進むまどかのソウルジェム、地球に飛び交い、魔女化して乗り移ろうとする。瞬間に魔女を射抜くまどか。「大丈夫。私も魔女にならない。私が希望」円記号を様々な言語で円環させながら纏うまどか。

永遠に宇宙を漂い、宇宙の一員からの消滅の説明を受けるほむら。

「そんなの、死ぬよりひどい、、!これが、あの子が望んだ結末なの?」

・駅のホーム。マミ、杏子、ほむら。さやかが生き帰れないことを嘆く杏子。

「まどか、、、」呟くほむらに、二人が返す「まどかって、、誰?」

・ビル屋上先端で、魔女亡き後の世界と前の世界を話すほむらとキュゥべえ。世界線が完全に書き換わり、キュゥべえにもまどかの記憶が無い模様。グリーフシードを撒き散らし、慌てて回収するキュゥべえ。

・舞台装置のネジ巻きとともに5人の魔法少女、そのほか名もなき魔法少女の後ろ姿、幕間を引く。

・Cパート。砂漠で魔獣の群れと戦うほむら。「頑張って」とまどかの囁き。ニヤリとし、悪魔のような翼とともに空を駆けるほむら

文藝:まどか弟タツヤの描くまどかは物語の補完以上に幼児における聖性の保存と可能性を示すように思える。フーコーの野生の思考の構造的提示にも観える。

魔女の代わりに魔獣が立ち上がる世界線はビル群体に群がる男性集団に観えるのは、結局攻撃対象が女性から男性に変遷したに過ぎず、まどかは男性社会自体を包摂できなかったと観ることも可能

文藝(カタストロフ表象):

・「ごめんね、ほむらちゃん。私、魔法少女になるね。私、やっと見つけたの。私の願い」

「そんな、、それじゃ、私は今まで、何のために、、」涙ぐむほむらを抱き締めて伝えるまどか。

「ごめんね。ほむらちゃん、でも私を信じて。・・・全ての魔女を生まれる前に消し去りたい。過去も、未来も、生まれてくる魔女を、この手で全て」

「そんなこと、、それこそ因果律に対する反逆だ!まどか、君は、神にでもなるつもりかい!?」

「神だって何だっていい!さあ、叶えてよ、インキュベーター!」→タイトル画面。

・まどかの心象風景。マミの部屋「いいんじゃねえの?そうするより仕方ないんならさ」と杏子。

「希望を叶えるんじゃない。あなた自身が希望になるのよ。だから、これは(ノート)返さないとね」とマミ。苦笑いするまどか。

・淡い桃色の閃光とともに魔法少女まどか爆誕。桃色の弓矢から無数の矢が天空へ放たれ、魔法陣で過去と未来へ拡散し、中東の、南米の、アジアの、未来文明の、欧州の、アフリカの、エジプトの、あらゆる魔法少女のソウルジェムの濁りを消し去る。

「あなたたちはもう、誰も呪わない。誰も絶望しない。全ての願いは、果たされる」

徐々に落命する、高らかに笑うワルプルギスの夜。まどかに許される「もう、いいんだよ」

文藝(ジェンダー表象):

・二つの巨大な円環の狭間で、裸体のまどかとほむらが語りかける。

「いいんだよ、ほむらちゃん。今までありがとう。ようやくわかったよ、今まで何度も、何度も傷つきながら、私を守ってくれてたんだね。こんな姿になって、ようやくわかったよ。私には、こんなに素敵な友達がいたんだって。私の、最高の友達だよ」

ほむらが泣き咽びながら、まどかに抱きつく。

「でも、本当にこれでいいの?こんな事になって、ずっと独りぼっちじゃないの?」

「ううん違うよ、独りじゃない。みんながいるよ。過去も未来も」※ほむらは、フラれる。

「でも!皆んながあなたを忘れる!私だってきっと、忘れてしまう、、!」

優しくカムリを振るほむら。

「大丈夫、ほむらちゃんなら。こんなところまで付いてきてくれたんだもの。奇跡はきっと起こるよ。信じようよ。だって私たち、魔法少女だよ?」ピンクのリボンを手渡すまどか。

「それじゃあごめんね、皆んなのところに行かないとだから、、、」

巨大な円環の狭間の向こう側へ消え去るまどか。OPの裸体のまどか二人と重なるが、ここでは二人とも幼体のままである=幼体のまま成熟体となっている

・コンサートホールで上条と審査員、袖に仁美。語りかけるまどかに、被りを振るさやか。

「ごめんね、何もかもなかったことにしちゃうと、きっと(上条が復帰出来ないことを示して)さやかちゃんの望んだことにはならないと思って」

「いいんだ、ありがとう。あたしもやっと思い出したんだ。あいつ(上条恭介)の演奏を、ただ皆に聞いて欲しかっただけなんだって。そりゃ少しは悔しいけど。仁美なら仕方ないよ。恭介には勿体ないくらいだもん」演奏を終え、何かに気付く上条。「さやか、、?」嘘をつかないと成仏できないさやかの表象

・魔獣と戦うほむら「魔女が消えても、人の憎しみは消えない。相変わらずこの世界には新たな火種がある。でも、私は守ってみせる。あなたが守ろうとした、この世界を」

魔獣は顔面がモザイクアートの叔父さんに見える=前回「パパもママも大好き」=それ以外の男性=弟?

文藝(家族):

多摩川?土手で、まどかの絵を描く弟タツヤ。「まどか!まどか!」

可愛いね、と返すほむら。駆け寄るまどか父母。まどか父が労働者に、まどか母が兼業主婦風になり、口調も柔らかく見える。タツヤの育児に全面的に関与さているかのような会話。「まどかって、アニメがなんかですか?あの子のこと見ているつもりで、わからなくて、、」

まどかが居なかったことになっている世界、まどか家族。まどかが家出することでしか、安定し得なかったのか?

・参考文献

・「夏休みの終わりに」PLANETS SELECTION2011 
「宮台真司インタビュー 父殺し(の不可能性)から「父赦し」へ ー3.11後の世界とその意味」
・「夏休みの終わりに」PLANETS SELECTION2011 
「誌上ニコ生PLANETS 魔法少女まどか☆マギカ」石岡良治、黒瀬陽平、宇野常寛
・サイゾー5月号臨時増刊 別冊サイゾー×PLANETS「文化時評アーカイブス2011-2012」 「「魔法少女まどか☆マギカ」 深夜の魔法少女アニメはなぜ熱狂を生む作品になったか」石岡良治、黒瀬陽平、宇野常寛
・石岡良治「現代アニメ「超」講義」PLANETS
・魔法少女まどか☆マギカ ユリイカ臨時増刊 魔法少女たちの舞台装置 石岡良治
・山田奨治編「マンガ・アニメで論文・レポートを書く」ミネルヴァ書房 語りーーマンガ・アニメの伝統的コンテンツからの継承性(谷川健司)
・小山昌宏+須川亜紀子「アニメ研究入門 増補改訂版」現代新書 鈴木真吾 第4章「サウンド/ヴォイス研究 アニメを奏でる3つの音 ーアニメにとって音とは何か」
・小山昌宏+須川亜紀子「アニメ研究入門 増補改訂版」現代新書 小池隆太「第7章 アート研究 アニメにおける美と汎美」
・小山昌宏+須川亜紀子「アニメ研究入門 【応用編】アニメを究める11のコツ」現代新書 小山昌宏 第10章「マルチモーダル情報論 ーアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」にみる視聴覚・音楽情報の読解」
・藤津亮太「ぼくらがアニメを見る理由」FILM ART社 『魔法少女たちに永遠の花束を』
・川口茂雄「アニメ・エクスペリエンス 深夜アニメ研究の方法」叢書パルマコン・ミクロス 3 カタストロフ表象の変遷、およびそれにともなうジェンダー表象の変遷?
・ミシェル・フーコー『監獄の誕生―監視と処罰』新潮社, 1977年
・ミシェル・フーコー『知の考古学』河出書房新社, 1977年
・ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅰ―知への意志』新潮社, 1986年
・ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱』青土社, 1999年
・ジュディス・バトラー『アンチゴネの主張―親族の絆と政治の場』みすず書房, 2006年
・ローレン・マムト, 「映像における視覚的快楽と物語映画」, 『映画批評』, 1988, pp. 16-26
・杉田敦『表象の政治学―メディアと権力』岩波書店, 2010年
・杉田敦『イメージの力―表象の政治学入門』ちくま新書, 2017年
・上野千鶴子『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平』岩波書店, 1990年
・上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』青土社, 1998年
・若桑みどり「お姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー入門」ちくま書房
・読むフェミニズム『母性という神話』
・『倒錯の偶像―世紀末幻想としての女性悪』(パピルス) – 著者:ブラム・ダイクストラ 翻訳:富士川 義之 鹿島 茂
・若桑みどり「戦争がつくる女性像」ちくま学芸文庫
・森茂起+川口茂雄「<戦い>と<トラウマ>のアニメ表象史 「アトム」から「まどか☆マギカ」以後へ」日本評論社 第2章戦後マンガ・アニメの方法論としての「傷つく身体」(1)ーー「サイボーグ009」から魔法少女が受け継いだもの
・森茂起+川口茂雄「<戦い>と<トラウマ>のアニメ表象史 「アトム」から「まどか☆マギカ」以後へ」日本評論社 第9章戦後マンガ・アニメの方法論としての「傷つく身体」(2)ーーまどかが守りたかったものとほむらが奪い返したもの
・森茂起+川口茂雄「<戦い>と<トラウマ>のアニメ表象史 「アトム」から「まどか☆マギカ」以後へ」日本評論社 
第10章 祈りつつ戦う者たちーー「魔法少女まどか☆マギカ」考 上尾真道
・魔法少女はなぜ変身するのか 石井研士 
・成熟という檻 山川賢一 キネマ旬報社
・「魔法少女まどか☆マギカ講義録 メディア文藝への招待」 志水義夫 新展社新書
・魔法少女まどか☆マギカ ユリイカ臨時増刊 藤環「まどか⭐︎エチカ、あるいはキャラの倫理
・魔法少女まどか☆マギカ ユリイカ臨時増刊 この世界に希望がある理由 虚淵玄×田中ロミオ、司会・構成村上裕一
・魔法少女まどか☆マギカ ユリイカ臨時増刊 螺旋の理に導かれて 中田健太郎×長岡司英
・魔法少女まどか☆マギカ ユリイカ臨時増刊
更新される「魔法少女もの」 アニメ史における「まどか☆マギカ」 泉信行×小川びい
・魔法少女まどか☆マギカ ユリイカ臨時増刊 魔法少女と緋牡丹博徒 石田美紀
・ニコニコ動画 PLANETS 石岡良治の最強伝説Vol83 虚淵玄 トランスメディアストーリーテラー
・日本のマンガ・アニメにおける「戦い」の表象 足立 加勇・宮崎アニメにおける「戦う少女」の表象 浅賀小百合
・『HUG っと!プリキュア』における ジェンダー表象 堀 桃恵
前橋ウィッチーズ 反転するアイドル像と格差の問題
ガールズバンドアニメ  ~日本アニメの世界戦略、あるいは、ほどよい自意識と物語の狭間で~
・「イギリス1960年代 ビートルズからサッチャーへ」小関隆、中公文庫
・「ガールズバンドアニメ みんな『程よい』主体が見たい」
PLANETS Mail Magazine:PLANETSチャンネル(PLANETS/第二次惑星開発委員会) – ニコニコチャンネル、石岡良治
・『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』青弓社
・「『BanG Dream! It’s MyGO!!!!!』の達成 アイドルの成熟から大ガールズバンド時代へ」|徳田四 PLANETS Mail Magazine:PLANETSチャンネル(PLANETS/第二次惑星開発委員会) – ニコニコチャンネル:社会・言論
BanGDream! It‘s MyGO!!!!! No.2  ~迷子の倫理、詩的言語の可能性の果てへ~
・大野裕「はじめての認知療法」 講談社現代新書
・前橋ウィッチーズ PLANETS批評座談会 なぜチョコちゃんの家は「貧乏」なのか?2025.06.28放送
・真木悠介「自我の起源」岩波現代文庫
・宇野常寛「庭の話」PLANETS
ヤングケアラーとは?問題や現状は?何歳までがヤングケアラー?日本の支援や取り組みを簡単に解説! 
【家族を看る10代】一過性の支援ではいけない。ヤングケアラーを研究する澁谷智子さんに聞く日本の課題 
・宇野常寛「ゼロ年代の想像力」ハヤカワ文庫
・「情動はこうしてつくられる ―脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」
リサ・フェルドマン・バレット 高橋洋訳 紀伊国屋書店
・「自由からの逃走」E・フロム 現代社会哲学叢書
・「愛するということ」E・フロム 紀伊国屋書店
・「悪について」E・フロム ちくま学芸文庫
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語 感想・考察(象徴・モチーフ)
大阪大学人間科学部 2022 年度卒業論文 『魔法少女まどか☆マギカ』論
希望と絶望、二つの共感のすれ違い 荻野将太

雑考 まどマギ分析



※Google Gemini Nano Banana 制作イラスト

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