映画「不思議の国でアリスと」
・前提
・所感
・総評
・参考文献
・前提
予め断っておきたいのは、筆者はP.A.WORKSの純粋なファンであり、
特に「Truetears」
「花咲くいろは」
「SHIROBAKO」
「さよならの朝に約束の花をかざろう」など、
2000年代のアニメーションの豊饒性を支える傑作作品を多く生み出した代表的なスタジオとして、記憶されるだろう。
また近年は「真夜中パんち!」「菜なれ花なれ」
「プロジェクトセカイ 壊れた世界と歌えないミク」などでシーンを支えてきた重要な会社であり、今後も動向を注視していく姿勢に変わりはないだろう。
・所感
ルイス・キャロル原作「不思議の国のアリス」の、
アリス以外のキャラクターたちは全て英国の諺であり、
固有名詞でありながら一般的な意味に隣接している点で、固有性を失っている。
キャロルにとって、固有名詞が常に「今」と結びついており、
今の空洞化は、代わりに過去や未来を肥大化させる。
その意味で本作「不思議の国でアリスと」は、
原作の純粋なリファレンスであると言える。
ルイス・キャロルの文学は、
ノンセンスの美学を極めて手の込んだやり方で、
しかもこの上なく大衆的なエンターテイメントとして提示した。
そこには今日のサブカルチャーでもなお用いられる道具立が揃っている。
翻って口唇性を通じた世界との接触(福嶋良大)の観点で言えば、
本作は各種要素を援用しつつも、
リファレンスがシミュラークルに昇華し切れていない、
所謂「いっちょ噛み」に陥っている印象が拭えなかった。
また、「ずっと一緒にいる、それはナンセンス」終盤で繰り返される構造は、
字義通りであるとともに、現在のシリアスネスを対照化する思想であり、
セミ・ラティス的言語構造(福嶋亮大)を発展させるルイス・キャロルの手法の直接的なリファレンスでもある。
ナンセンスはセンス(今)を解体し、新しい価値を創造するだろう。
P.A.WORKSにおけるワンダーランドとは、
最期に推しを見つけて安らぐ推し活初心者に向けられるものであるが、
推しの闇のような側面に突っ込んでも良かったかもしれない。
・STAFF
原作 – ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』
監督 – 篠原俊哉
脚本 – 柿原優子
音楽 – コトリンゴ
主題歌 – SEKAI NO OWARI「図鑑」(ユニバーサル ミュージック)
プロデューサー – 田坂秀将、斎藤朋之
キャラクター原案 – 髙田友美、鈴木純、木野花ヒランコ
キャラクターデザイン – 川面恒介、藤嶋未央
作画監督 – 関口可奈味、川面恒介
コンセプトデザイン – 新井清志
美術監督 – 秋山健太郎
撮影監督 – 並木智
色彩設計 – 田中美穂
3D監督 – 鈴木晴
編集 – 髙橋歩
音響監督 – 山田陽
音響効果 – 山谷尚人
音響制作 – サウンドチーム・ドンファン
アニメーション制作 – P.A.WORKS
配給 – 松竹
製作幹事 – 松竹、TBSテレビ
製作 -「不思議の国でアリスと」製作委員会(松竹、TBSテレビ、KADOKAWA、ジェイアール東日本企画、P.A.WORKS、TBSラジオ、毎日放送、CBCテレビ、RKB毎日放送、HBC北海道放送、中国放送、東北放送、新潟放送、RSK山陽放送、静岡放送、チューリップテレビ)
・総評 63点
演出 70/100
篠原俊哉の事象と人物造詣が殆ど平坦に示され、
児童向け意匠と実顧客への距離感の乖離を顕にする。
短い射程距離が剥き身で提示するのは芸術作品としての展示物以上のものを見い出そうとする日本の縮図でもありえる。
致命的なバランスの悪さが悔やまれる
脚本 50/100
「今」を喪失した存在(ジル・ドゥルーズ)としての原作の
「不思議の国のアリス」をモチーフに、就職活動に悩む女子大生を重ねて描く。
原作「不思議の国のアリス」並びに「鏡の国のアリス」の各種要素を下敷きに、
現代日本若年層へ向けた再話と言える。
大枠では、祖母の遺産のVR世界に、
就職活動の失敗に悩む安曇野リセ(a lice =自我のないアリス)が訪う。
VR世界のアリス=安曇野リセの童心と、各表紙で区切られた世界へ移る。
風船部屋、
チェス盤空間、
マッシュルームと青虫、
ハートの女王と斬首兵士達、
マッドティーパーティー、
チェシャキャットとハンプティダンプティ兄弟サーカス、
海面の栓抜き、
夜の林檎とジャバウォック化するリセ、
白兎と裁判、
透明化するリセと祖母の思い出、
回復するリセとアリス。
現実世界に戻るアリスはゲーム世界にアリスを見つけ推しとして自我を支えつつ就職する。
課題が発生→リセが諦め、アリスが励まし進む構図が繰り返され、
また同様に現れては消える変人達の純粋な質問(優しさ?美しさ?私らしさ?)の繰り返しが、リセの童心への回帰と怠惰な思考停止を揺さぶる。
一方でそれらのパターナリズムは、
躍動感に乏しい絵コンテと重畳し緊張感を著しく削ぐだろう
絵コンテ 60/100
序盤の溢れたキャンディの瓶が萌芽する自我とアリスの二つのキャンディを示す。
就職活動ネタに血眼のリセ、スマホで囲う女子会、
ゾンビの撃ち殺しゲームの3DCGが良い。
溢れて弾ける風船よりチェスの多次元空間における回転世界が本作の白眉。
海の栓抜きに飲み込まれる二人も良い。
却って、マッシュルーム、ハートの女王、ジャバウォック裁判、
アリス世界からの別れに至る躍動感の無さ、
特にキャラクター達と美麗な背景の解離が辛い
キャラデザ 70/100
就職活動と自我の忘却に悩むリセ、奔放なアリスは好対照。
一方でリセとアリスの、好きを詰める終盤の、
台詞と構図の平板さは、
本作の対象客層の狙い(児童)と実際の客層(中高年)の乖離により強化されてしまう。
リセは女子大生ではなく中高生にすべきだったか。
リセがジャバウォック化し、
「切り取られた時間と空間で私を判断しないで」と叫ぶ様相は、
情動の端緒であるとともに、タイムラインの潮目を読む悪しき現代人の習慣であり、
ルイス・キャロル原作「不思議の国のアリス」における時間性質も援用する構図である。
不思議の国のアリスの、アリス以外のキャラクターたちは全て英国の諺であり、
固有名詞でありながら一般的な意味に隣接している点で、固有性を失っている。
キャロルにとって、固有名詞が常に「今」と結びついており、
今の空洞化は、代わりに過去や未来を肥大化させる。
その意味で本作は純粋な原作のリファレンスであると言える。
美術 90/100
アリスのワンダーランド意匠は隅々まで美麗であるが故に、
キャラクターとの乖離が凄まじい。
アリスの世界の変人達の、絵画的意匠とも絶妙に乖離が観てとれる。
浮いている。
リセの部屋は良い。
ひたすらに漂う白鯨の透明感も、小説白鯨の意図を成しているように感じられない
音響 60/100
控えめである故にクライマックスの、
リセとアリスの語らいにおける萌芽的意匠音響と、
中核を成すアリス達の台詞と思考回路の幼さの距離感が遠過ぎる。
折角ルイス・キャロルの原作「不思議の国のアリス」を、
直接的に援用するのであれば、
原作の音声要素に拘ったナンセンスを発揮する余地が大いにありそうだった
文藝 50/100
ルイス・キャロルの原作「不思議の国のアリス」における児童と玩具的暴力、
思考実験と不条理世界は、
そのまま19世紀における西洋と大西洋の向こうへ広がる世界との距離感だった。
同様に、本作、における常時漂う白鯨は、
18世紀欧州の名作小説、メルヴィル「白鯨」の直接的オマージュであり、
圧倒的な自然と対峙する西洋の新世界への畏怖と実利という挑戦だった。
本作においても玩具的、
不条理の暴力は現代人リセの感覚を通して忠実に再現される。
ルイス・キャロルの文学は、ノンセンスの美学を極めて手の込んだやり方で、
しかもこの上なく大衆的なエンターテイメントとして提示した。
そこには今日のサブカルチャーでもなお用いられる道具立が揃っている。
感情に働きかける音の響き、
「今」を脱落させた生成、
固有名の一般名への還元、
動物と人間の共存、
言葉遊びによる結合や接続と分離、
微弱な性を称えた少女、
口唇性を通じた世界との接触、
事物のスケールの変更、
ゲームのルールを定める観念的ゲーム要素など。
然るに本作においては、
「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」の要素を欲張るために、
突き詰めが何れも半端で、「いっちょ噛み」以上の提示が無い、
射程距離の短いものとなってしまっている印象が拭えない。
何れかのエピソードに絞って掘り下げを行うべきだった。
その掘り下げの先に、
ルイス・キャロルが見出した審美的世界観の現代化、
あるいはP.A.WORKS独自の審級の美的世界が見出せただろう。
なお、アリスの述べる「林檎より葡萄が良い」は、
性的意匠の林檎より、
群体生物でロマン象徴の葡萄(酸っぱい葡萄)を実直に求める構図で良い。
「ずっと一緒にいる、それはナンセンス」終盤で繰り返されるナンセンスは、
字義通りであるとともに、現在のシリアスネスを対照化する思想であり、
セミ・ラティス的言語構造(福嶋亮大)を発展させるルイス・キャロルの手法の直接的なリファレンスでもある。
ナンセンスはセンス(今)を解体し、新しい価値を創造するだろう。
P.A.WORKSにおけるワンダーランドとは、
最期に推しを見つけて安らぐ推し活初心者に向けられるものであるが、
推しの闇のような側面に突っ込んでも良かった。
・参考文献
ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」
石井桃子ほか「子どもと文学」中公文庫
福嶋亮大「神話が考える」青土社
福嶋亮大「世界文学のアーキテクチャ」PLANETS