ジル・ドゥルーズ
※本記事は表象文化論の探求の一貫として、差異の理論の第一人者である
同書を概括するものです。適宜追記するかも
目次
【序論 反復と差異】
【第一章 それ自身における差異】
【第二章 それ自身へ向かう反復】
【第三章 思考のイマージュ】
【第四章 差異の理念的総合】
【第五章 感覚されうるものの非対称的総合】
【結論 差異と反復】
【序論 反復と差異】
0.1
・反復と一般性は行動の視点から第一に区別される。一般性は代替可能である。反復は代替不可能性を根拠に行動することである。
0.2
・一般性は二つのレヴェル、類似と等しさがある。反復は、一般的なものに反する特異性、個別的なものに反する普遍性、変化に反する瞬間性、恒久性に反する永遠性を同時に表現する。
0.3
・法則の視点からする第二の区別。一般性は仮定(仮言)的な反復のみ表象=再現前化する。つまり相似した全体的なものにおいて、現象が量的な連関と等しいことを表象=再現前化する幾つかの要素を常に確保している。
0.4
・反復、自然の法則と道徳法則。
自然法則は反復と相容れない。道徳法則は繰り返し行われることで尊重されるために反復と馴染む。しかし意識/良心の在り方次第では、例えば習慣化されないものは、反復ではなく一般性に留まることもある。反復は、ユーモアとアイロニーに所属し、本質的に特異性と普遍性を顕示する。
0.5
・キルケゴール、ニーチェ、ペギーによる、反復の哲学のプログラム
1.反復そのものは新しい何かにすることである。キルケゴール、ニーチェの定義である
2.反復を≪自然≫の諸法則に対置することである。キルケゴールは自然から反復を得ることは適切ではないとしている。一方でニーチェは、自然自体に、動物的な確信かつ、感覚されるものとしての永遠回帰として、反復を得ることは適切であるとする。
3.反復を道徳法則に対置することであり、それによって、善悪の彼岸の思想をつくることである。
永遠回帰における反復の形式は、普遍的なものと特異的なものの形式であり、様々な媒介を解消し、法則に服従する諸々の個別的なものを滅ぼすからだ。
4.反復を、習慣に属する諸々の一般的なものに対置するのみならず、記憶に属する諸々の個別的なものにも対置すること。外から観照された反復から、何か新しいものを見出すのは、習慣の筈だからだ。
0.6
・真の運動、演劇と表象=再現前化
ヘーゲルが抽象的な理論運動/媒介に留まることに対し、キルケゴールとニーチェは形而上学を現実態/アクト/演劇等に移行させようとする点が異なる。
表象=再現前化は単純な媒介であるから、その外側で、例えば演劇における舞踏や跳躍を作り出すことに力点を置く。
キルケゴールは「アグネーテと水の精」などで音楽を通し跳躍することを重視する。
ニーチェは「ツァラトゥストラ」などで舞踏を通し哲学の実践行為を重視する。
反復の演劇において私たちは精神をダイレクトに、自然や歴史と結びつける。
ここでのニーチェの考えは、永遠回帰という反復を、神の死に基礎づけるともに、自我の崩壊に基礎づけることでもある。
0.7
・反復と一般性-概念の視点からする第三の区別
概念が、個別の事物の概念であることが可能で、無限の内包を持つとすれば、概念の無限性は、現実態における無限性として定立される。無限の内包は記憶と自己意識をも可能にする。
それらの原理を敷衍すると、差異は概念的差異となり、表象=再現前化は媒介として展開される。
0.8
・概念の内包と「阻止」の現象
あらゆる概念は述語により規定されると、一般的なものに留まる。また様々な個物は、その時間と空間に規定される場合には、概念に対応出来ず、一般性を得る(内包と外延の反比例の法則)
0.9
・自然的阻止、の三つの事例と反復-名目的概念、自然の諸概念、自由の諸概念
名目的概念は有限な内包を持つ。
≪自然≫の概念は無際限な内包を持つが記憶を持たない。
自由の概念は、意識や追想を欠いた知の無意識の反復として、表象=再現前化の無意識として現れる。フロイトは反復を一種の抑圧として定めた
0.10
・反復は概念の同一性によっては説明されず、否定的でしかない条件によっても説明されないということ
名目的諸概念は離散的なものに対応し、
自然の諸概念は疎外されたものに対応し、
自由の諸概念は抑圧されたものに対応する。
概念における同一性の形式に基づく全ての論証の欠陥は、反復についての名目的定義と否定的説明しか示さないことである。論理的阻止に対応する形式的同一性と、自然的阻止に対応する現実的同一性とを対立させることは可能だが、自然的阻止は同時に超概念的な定立的な力を必要とする。
0.11
・「死の本能」の諸機能-差異との関係における、そして一つの定立的な原理を要請するものとして、反復<自由の諸概念の例>
死の本能は、諸々の反復現象の直接的考察によって発見される。死の本能は先験的原理の役割を演じる。死と本能の関係は、反復と諸々の偽装との関係が重要だ。
反復されるものは常に己を意味するものにより意味され、己を意味するものを己の仮面とし、己自身が己を意味する仮面となるのである。
死の本能は、三つの相補的な逆説的要請に則して理解することが可能である。
反復に、ひとつの定立的な根源的原理/死の本能を与えること。
反復に、偽装のひとつの自律的な力=累乗を与えること。
反復に、恐怖が選別と自由との運動に徹底的に混じり合っているという内在的な意味を与えることだ。
0.12
・二つの反復-概念の同一性と否定的条件による反復、差異による、そして<理念/idea>における過剰による反復(自然的諸概念と名目的諸概念の例)
非対称な複数のエレメント/齟齬を備えたシステムを「信号/シニャル」と呼ぶ。
そのシステムの中で生起するものの間に成り立つ連絡を「しるし/シーニュ」と呼ぶ。
シーニュは非対称を取り消す。シーニュは一つの内的差異を巻き込むことで象徴を準備する。
自然において等時的な諸々の現象は、運動の仮象であり、抽象的なものである。
だがそれらは関係の中に置かれることで可変的で非対称な螺旋を持ち、生きる能力と死ぬ能力を同時に備え、反復を織りなす。
名目的諸概念において)繰り返される通常の語の反復、語の内部へと遡行する垂直的反復の遂行。名目的概念あるいは語詞的な表象=再現前化の不十分、欠如さによる反復に換えて、言語学的で文体論的理念/ideaにおける過剰による反復を遂行する。
シーニュは、抽象的なものの贋の運動としての表象=再現前化とは反対の、現実的なものの運動としての反復を意味する。
0.13
・反復における裸のものと着衣のもの
反復の二つの形式を区別する。以下の2が厳密な反復である。
1,前者の、差異は、同じ概念の元で無差異状態にある、諸対象間の差異である。概念ないし表象=再現前化の同一性により説明される。概念における欠如による否定的な反復である。仮言的なものである。静的である。結果における反復である。通常なものである。水平的である。繰り広げられた反復である。公転的である。物質的である。生命のないものである。裸である。正確である。
2,後者は理念/ideaの内部に存在する。差異を含む反復であり、己自身を含む反復である。理念/ideaにおける過剰による肯定的な反復である。定言的なものである。動的である。原因における反復である。特異的なものである。垂直的である。包み込まれた反復である。進化的である。精神的である。私たちの死と私たちの生との、または束縛と解放の、悪魔と神との、秘めやかな真理である。着衣的である。真正さを基準とする。1の特異な内面である。
2の反復が前者の反復の理由であり、仮装こそ裸のものの真理である。
真の反復とは、それと同じ度にある差異にダイレクトに対応している反復である。
0.14
・概念的差異と概念なき差異
二つの違いは強度的/内包的な差異的=微分的エレメントによる。それは連続的反復の形式をもち、諸理念/ideaに即して空間を内的に生み出すエレメントである。それは連続的なものを総合的に遂行する強度的=微分的エレメントに基づくプロセスに依存する。
0.15
・しかし、差異の概念<理念/idea>は、概念的差異に還元されることはなく、同様に、反復の定立的な本質は、概念なき差異に還元されることはない
【第一章 それ自身における差異】

1.1
・差異と暗い背景
差異とは一方的な区別/際立ちとしての規定作用の状態である。残酷とは規定作用そのものであり、規定されるものが未規定なものと本質的な関係を維持する明確な点である。
1.2
・差異を表象=再現前化するということは必要なのだろうか。表象=再現前化の四つのアスペクト(四重の根)
差異をこの呪いから抜き出すことが一つの差異哲学の目的だ。理由としての表象=再現前化のエレメントには4つある。
1,未規定な概念における同一性
2,規定可能な諸概念の関係における類比
3,概念内部の諸規定の関係における対立
4,概念自身の規定された対象における類似
・幸福な契機、差異、大と小
差異が概念と和解する幸福な契機を考える。どのような差異が概念一般に組み込まれるかは、その大小を決めるテストによる。
1.3
・概念的差異、最大かつ最高の差異
最大で完全な差異は対立である。完全な差異は、外在的であり、偶有的である。
1.4
・アリストテレスによる差異の論理学、および、差異の概念と概念的差異との混同
概念的差異に対して、種的差異/種差は形相的で、本質的な差異で、総合的で、媒介されたものであり、媒概念そのものであり、生産者であり、類及び類と種の体系における全ての中間的な差異を運搬するものである。
差異の運搬は、本質と連続的な質/種的差異との総体を直観的概念にまとめ、最後の差異自身が不可分の唯一のものになることで、種別化が、概念の内包における一貫性と連続性を成り立たせる。
アリストテレスは種的差異の本性を述語に求めるが、それは差異の本来的な諸要素、純粋性や内的性格、生産性や運搬が満足しているかのように欺くやり方であって、根本的に混同している。
1.5
・種的差異と類的差異
種的差異は類的差異より小さい。未規定な概念/類が同一であるという条件でのみ成り立つからだ。
種的差異の本性から借用された論拠によって、類的差異には、種的差異とは別の本性があると結論できる。まず種のロゴス/人が思考するものと語るものとが存在するが、このロゴスは類と見做される概念一般の同一性ないし一義性の条件のもとで成立する。
1.6
・四つのアスペクト、あるいは差異の従属-概念の同一性、判断の類比、諸術語の対立、知覚されたものの類似
アリストテレスの認識は前述とは異なる。類的差異はひとつの差異でしかない。
類比は判断の本質だが、判断における類比は、概念の同一性に対して類比的であるので、類比が差異の本来的な概念を示すことはないし、種的差異にも出来ない。
1.7
・差異と有機的な表象=再現前化
自然な概念と見做されるのが、大きな類とするか種の方か考える場合、その二つは有機的/組織的な表象=再現前化の限界を構成し、分類に必要な要件となる。つまり類似の知覚における方法的な連続性も、類比判断における体系的な配分も不可欠なのだ。
反省概念としての差異は、自身が表象=再現前化の全てに服従し、それにより有機的な表象=再現前化へと生成する。差異は反復的であることを辞めれば必ずカタストロフ的になる。
1.8
・一義性と差異
一義性の本質は、≪存在/ある≫が、ただ一つの同じ<意味/サンス>において、自身の個体化の諸差異/ファクターについて言われることにある。
≪存在/ある≫は唯一の意味/サンスにおいて、全ての様相について言われるが、それら自身は同じ意味/サンスを持たない
1.9
・配分の二つのタイプ
常識や良識は、自分自身を最適に配分する原理として表象=再現前化する、ロゴス的配分である。
一義的な≪存在≫は、遊牧的/ノマド的配分であり、アナーキーである。
1.10
・一義性と類比の和解不可能性
類比が個別的なもののなかで保持するのは一般的なものに合致する/形相と質料であり、類比は、個体化/差異化の原理を、個体のエレメントに探すしかない。
存在こそが≪差異≫であり、わたしたちの個体性が、或る(一義的な)≪存在≫において、多義的なままである。
1.11
・一義的なものの三つの契機-スコトゥス、スピノザ、ニーチェ
スコトゥスは、存在を一義的な中性なものとし、形相的区別と様態的区別に分けた。前者は実在的区別である。後者は存在や諸属性とそれら自身の強度的な諸変化の中で確立される。両者は一義的存在自身によって差異に関係するものである。
スピノザは一義的存在を純粋な肯定の対象とした。
実体と属性と様態との優れた割り振りをした。
諸属性は質的に異なる諸々の意味として実在的に振る舞い、ただ一つ同じ<指示されるもの>/デジニエとして実体に関係する。
実体は、それ自身を表現する諸様態に対して存在論的に一つの意味として振る舞い、その様態は強度的で本質的な度として実体のうちに存在する。
様態は力の度として規定され、自身の力と限界そのものの中で展開する義務が生じる。
1.12
・永遠回帰における反復は存在の一義性である
ニーチェの永遠回帰における反復の本質は、同一のものを差異から出発して考えることにある。
1.13
・差異とオルジックな表象=再現前化(無限大と無限小)
差異は大小の中にあるが、極限的なものは、大なり小なり、無限によって定義される。
すると無限は、大と小が同一であること、極限的なものは同一であることを示す。
表象=再現前化が自身のうちに無限を発見するときに、表象=再現前化は、オルガニック/有機的なものではなく、オルジック/無秩序(ディオニュソス的)な表象=再現前化として現れる。
1.14
・理由としての根拠
オルジック/無秩序(ディオニュソス的)な表象=再現前化は、原理として根拠をもち、無限をエレメントとして持つ。
オルガニック/有機的な表象=再現前化は、原理として形式を保持し、有限をエレメントとして保持する。
1.15
・ヘーゲルによる差異の論理学と存在論-矛盾
ヘーゲルは差異を、極限的なものどうしの、あるいは反対なものどうしの対立として定義する。
ところがそうした対立は、無限/矛盾にまで行きつかない限りは抽象的なものに留まり、無限は、有限な諸対立の外で定立されれば、必然的に抽象的な物に留まるのである。
その場合、無限/矛盾が導入されると、反対なものどうしが同一になる、≪他なるもの≫の反対のものが、≪自己≫という反対のものになる。
1.16
・ライプニッツによる差異の論理学と存在論-副次的矛盾(連続性と不可識別者)
副次的矛盾の第一のアスペクトは、相互規定であり、差異的=微分的な関係=比は、可変的な係数の相互依存のプロセスにある。
第二のアスペクトは十分な規定である。関係=比は
関数の普遍として考える限り、それに対応した[ベクトル場における]曲線の特異点の存在とそれらの割り振りを示す。
相互規定と十分な規定は、限界=極限が力=累乗と合致する。差異的=比は、諸々の限界=極限の連続性としての、連続体の力=累乗である。
不可識別者同一の原理は、本質に関する、包摂の原理であり、諸本質/モナドと、モナドのなかにある世界とに適用される。
1.17
・差異のオルジックなあるいは無限な表象=再現前化は、前述の四つのアスペクトから、どうして免れないのか
無限な表象=再現前化は、≪主体 ≫を含む。つまり第一質料としての基底/フォンと、≪自我≫/絶対的な形相としての本質との両者を含むからだ。
無限な表象=再現前化は、その前提としての同一性の原理から、解放されていない。無限な表象=再現前化は根拠を援用する。根拠は同一性の原理を重視し、無限な価値を与え、それを全体の原理たらしめ、現実的存在の支配者たらしめる方法である。
ヘーゲルにおいて差異は否定性であるとされ、末端まで行き付けば矛盾に行き付く。
ヘーゲルの円環は永遠回帰でなく、否定性を通じて同一的なものの無限な循環でしかない。
1.18
・差異、肯定と否定
空間と時間は、表面でしか諸対立(と諸限定)を顕在化させず、またそれら時空の実在的な深さにおいては、肯定され配分された諸差異を前提にする。
差異のイマージュは否定的なものであり、平板化され転倒化したものである。
差異とはテーゼ/肯定の真の内容であり、執着である。否定性は、差異の現象を捉えることが出来ない。
1.19
・否定的なものの錯覚
差異哲学は美しい魂の新たな形態として現れてしまう危険性がある。美しい魂こそ、至る所に諸差異を見い出し、連続し和解可能な、諸差異に訴えかけるからだ。
他方で、否定はまさに原動力である。肯定することは責任を負うことであり、贖罪によってでしか肯定出来ないとする考えにも転じる。つまり贖罪することで、否定されるものと否定そのものの責任を負うことで、肯定を生み出せるとする考えがありえる。
1.20
・否定的なものの排除と永遠回帰
肯定から帰結する否定としての随伴運動は、<追うもの/ナーハフオルゲ>と言える。
永遠回帰は<追うもの/ナーハフオルゲ>としての否定を利用し、「否定されうるものは全て否定され、否定されなければならない」という否定の否定についての新しい定式を考案する。
永遠回帰が一つの円環であるなら、その中心に存在するのはまさに≪差異≫であって、≪同じ≫ものはその周辺にしか存在しない。
1.21
・プラトンによる差異の論理学と存在論
プラトン哲学において、≪イデア≫は、世界を表象=再現前化の諸要請に服従させる概念ではなく、或る野生の現前であり、非表象によってしか、世界に現前しない。
差異の弁証法/問答法には、≪分割≫があり、媒介なしに直接的に働く。その方法は発生時期において、弁証法的な力/ピュイサンスの全てを集め、プラトン哲学の真価と転倒の可能性の真価を同時に計測しうるものである。
1.22
・分割の方法の諸形態-要求者たち、テスト-根拠、問い-問題、(非)-存在、および否定的なものの身分
要求者たちは、或る選択的な分有/パルテイシパシオン/関与/メテクシスという次元で真価を測る。
それは神話を援用した魂の遍歴で観照する。
天球の外側に乗って循環する魂により観照されるイデアたち/ポリティコスは、その循環的運動を司る形式で根拠が規定される。
円環の中心/根拠において、テスト/試練/選別の原理として設定されており、それが選択的な分有/パルテイシパシオンの諸々の度を固定することで、分割方法を意味付ける。
なので循環の神話は、土台の<物語-反復>である。
以下の三つを区別する必要がある。≪正義/イデア≫は根拠であること。正しいという質は、根拠づけるもの/イデアにより既に所有されており、<要求者によって>要求される対象であること。正しい者たちは、より多くまたはより少なくその対象を分有する要求者であること。
根拠によるテストの本質的な内容は神話にあり、神託であり、その答えはそれ自身問題である。
否-存在は存在せず、根拠づけられない。存在は≪差異≫自身であり、非-存在であり、否定的な存在ではなく、≪差異≫そのものである。
矛盾の彼岸に差異が- 否-存在の彼岸に、非-存在が、否定的なものの彼岸に、問題と問いがある。
※ハイデガーにおける差異哲学への注記
ハイデガーにおける諸テーゼは4つに要約できる。
1,<非/ない>が表現するのは、否定的なものではなく、存在と存在者のあいだの差異である。
2,その差異は通常の「〜あいだ」ではない。差異は≪襞/プリ≫、二つの側面からなる折り目である。
3,存在論的差異は、問いに照応する。
4,差異は表象=再現前化の対象ではない。
参照「根拠の本質について」「形而上学とは何か」「形而上学の超克」「道標」など。
1.23
・差異の問題において決め手となるもの-見せかけ/シミュラクル、見せかけの抵抗
見せかけ/シミュラクルは象徴そのもの、自分自身の反復の諸条件を内に秘める限りのしるし/シーニュである。
表象=再現前化の放棄の一つの道は、諸セリーの発散、諸円環の脱中心化であり、「怪物」である。それは脱根拠化された非定型のカオスであり、その法則は自分自身の反復、再生産である。
見せかけ/シミュラクルとは、即時的な差異を含む審廷である。
【第二章 それ自身へ向かう反復】

・反復、それは何かが変えられること
・時間の第一の総合-生ける現在
・ハビトゥス、受動的総合、縮約、観照
・習慣の問題
・時間の第二の総合-純粋過去
・≪記憶≫、純粋過去、そして諸現在の表象=再現前化
・過去の四つのパラドックス
・習慣における反復と記憶における反復
・物質的反復と精神的反復
・デカルト的コギトとカント的コギト、未規定なもの、規定作用、規定されうるもの
・ひび割れた≦私≫、受動的な自我、そして時間の空虚な形式
・記憶の不十分な点、時間の第三の総合
・時間の、形式、順序、総体、セリー
・第三の総合における-欠如によるその条件、変身のその作用者、その無条件的な特徴
・永遠回帰における反復という観点からする、悲劇的なものと喜劇的なもの、歴史、信仰
・反復と無意識-『快感原則の彼岸』
・第一の総合と拘束-『ハビトゥス』
・第二の総合-潜在的な諸対象と過去
・エロスとムネモシュネ
・反復、置き換えと偽装-差異
・無意識の本性に関する諸帰結-セリー状の、差異的=微分的な、そして問いかけ的な無意識
・第三の総合あるいは第三の「彼岸」に向かって-ナルシシズム的自我、死の本能、そして時間の空虚な形式
・死の本能、対立と物質的反復
・死の本能と永遠回帰における反復
・類似と差異
・システムとは何か
・暗き先触れと「異化させるもの」
・文学的システム
・幻想/ファンタズムあるいは見せかけ/シミュラクルの問題のなかにある
・見せかけ/シミュラクルと永遠回帰における反復
【第三章 思考のイマージュ】

・哲学における前提の問題
・第一の公準-普遍的本性タル≪思考≫の原理
・第二の公準-常識[共通感覚]の理想
・第三の公準-再認というモデル
・思考とドクサ
・カントにおける≪批判≫の両義性
・第四の公準-表象=再現前化のエレメント
・諸能力の差異的=微分的理論
・諸能力の不調和的使用-暴力とそれぞれの能力の限界
・プラトン哲学の両義性
・思考するということ-思考におけるその発生
・第五の公準-誤謬という「否定的」なもの
・愚劣の問題
・第六の公準-指示の特権
・意味と命題
・意味のパラドックス
・意味と問題
・第七の公準-解の様相
・真理論における解の錯覚
・問題というカテゴリーの存在論的重要性と認識論的重要性
・学ぶということは何を意味するのか
・第八の公準-知という結果
・差異と反復の哲学に対する障害としての諸公準の要約
【第四章 差異の理念的総合】

・問題的な審廷としての理念
・未規定なもの、規定可能なもの、および規定作用-差異
・微分
・量化可能性、および規定可能性の原理
・質化可能性、および相互規定の原理
・ポテンシャリティ、および十分な規定作用の原理(セリー的形式)
・微分法において無限小が無用であること
・<差異的=微分的>と<問題的>
・問題の理論-弁証法と科学
・≪理念/idea≫と多様体
・諸構造-それらの公準、諸≪理念/idea≫のタイプ
・副次的矛盾の方法-特異なものて正則なもの、特別なものと通常のもの
・≪理念/idea≫、そして諸能力に関する差異的=微分的理論
・問題と問い
・命令と遊び=賭け
・≪理念/idea≫と反復
・反復、特別なものと通常のもの
・否定的なものという錯覚
・差異、否定と対立
・否定的なものの発生
・≪理念/idea≫と潜在性
・潜在的なものの実在性-<スベテノ仕方デ、、存在者>
・差異化=微分化と異化=分化、あるいは対象の二つの半身
・
半身のそれぞれがもつ二つのアスペクト
・潜在的なものと可能的なものの区別
・差異的=微分的な無意識、あるいは判明で-曖昧なもの
・≪理念/idea≫の現実化のプロセスとしての異化=分化
・力動あるいはドラマ
・ドラマ化の普遍性
・差異/異化=微分/分化という複雑な基礎概念
【第五章 感覚されうるものの非対称的総合】

・差異と雑多なもの
・差異と強度
・差異の取り消し
・良識と共通感覚
・差異とパラドックス
・強度、質、広がり-取り消しの錯覚
・深さあるいはスパティウム
・強度の第一の特徴-即時的に不等なもの
・数における不等なものの役割
・第二の特徴-差異を肯定すること
・否定的なものという錯覚
・感覚されうるものの存在
・第三の特徴-巻き込み
・本性上の差異と程度上の差異
・エネルギーと永遠回帰
・永遠回帰における反復は、質的なものでも延長的なものでもなく、強度的なものである
・強度と微分
・≪理念/idea≫の現実化における個体化の役割
・個体化と異化=分化
・個体化は強度的である
・個体的差異と個体化の差異
・交錯、巻き込み、繰り広げ
・システムの進化
・包み込みの中心
・個体化のファクター、≪私≫と≪自我≫
・心的なシステムにおける他者の本性と機能
【結論 差異と反復】

6.1
・表象=再現前化批判
差異自身が生成するのは、4件の要請、概念における同一性、述語における対立、判断における類比、知覚における類比である。
それらは、充足理由の4原理、’認識の理由に反映する’概念における同一性、’生成の理由において展開される’述語における対立、’存在の理由に配分される’判断における類比、’行為の理由を規定する’知覚における類比、である。
それらを持たない差異は有機化されず、思考されず、存在しない。
アポロン/表象=再現前化の有機的なものに、ディオニュソス/差異が結合することが問題であり、ライプニッツとヘーゲルにおいて取り組みは頂点に達した。
ライプニッツは、無限小に関する技法が最小の差異とその消去を取り込む。
ヘーゲルは、無限大に関する技法が、最大の差異/矛盾とその八つ裂きを取り込む。
その二つの技法は一致し、本質の中に非本質を取り込み、有限な総合的同一性を武器にして無限を克服することである。
6.2
・有限か無限かという二者択一は無益であること
ヘーゲル的矛盾は差異を末端まで追い詰めるように見せつつ、実際は同一性に戻る。
ライプニッツ的世界における収束において、例えば非共可能性と共可能性について、共可能性を構成するのは、連続体の諸特異性の周囲に確立される諸々のセリーの収束条件だけである。つまり表象=再現前化は幾ら無限になろうと、発散を肯定する力強く脳も脱中心化を肯定する力能もない。
小と大の二者択一は、それら二つを排除する有限な表象=再現前化によっても差異に適合しない。何故なら、その二者択一は、常に支配的な同一性に関する表象=再現前化の振動/往復しか表現しないからである。
6.3
・同一性、類似、対立、そして類比-それら〈四つの錯覚〉はどのようにして差異を裏切るのか
同一性の錯覚とは、思考する主体によって差異が概念の同一性に従属させられてしまう時である。
類似の錯覚とは、差異の本性を、差異を覆う質のなか、差異を繰り広げる延長のなかにあると考えるときであり、強度的/内包的なものと見做さない時である。
対立の錯覚とは、≪理念/idea≫における規定作用の定立的なプロセスの代わりに、互いに反対の諸述語の対立のプロセスや、第一の諸述語/カテゴリーの限定のプロセスを出現させてしまうことである。
類比の錯覚とは、個体が幾つかの一般的差異を担うものとしか考えられていないことと、同時に、≪存在≫がそうした諸差異の固定した諸形式へとそれ自身に割り振られて存在するもの/主語について類比的に(〜ある/存在)言われることである。
6.4
・しかし、同一性、類似、対立、そして類比は、どのようにして反復をも裏切るのか
第一に表象=再現前化は、反復を、一般性、類比、等価のレヴェルと区別するための直接的で定立的な基準を所有していないので、完全な類似として表象=再現前化する。
第二は、表象=再現前化は、反復を説明するために概念の同一性を援用する。
第三は、反復は否定的な説明になる。概念なき諸差異の可能性を説明するからである。
第四は、反復は、一つの概念の絶対的同一性に関連して定義されるばかりでなく、或る仕方で反復自身が、その同一的な概念を表象=再現前化しなければならない。
6.5
・理由としての根拠-その三つの意味
一つ目は、同じものである。
二つ目は、同じものではない。差異の要請から逃避するものを同一の、表象=再現前化以外に従属させる手段である。
三つ目は、順序を組織することである。
6.6
・根拠から無底へ
根拠付けることは表象=再現前化を根拠付けることだ。しかし根拠は、根拠と同時に、或る無底/サン・フォンに引き込まれる間で揺れる。
それは未規定なものを規定することである。
それは抽象的な線としての思考が、未規定な無底/サン・フォンに立ち向かうことである。
6.7
・非人称的な個体化と前個体的何特異性
表象=再現前化においては、ひとが<私>と言わなくなれば、個体化もなくなり、個体化が無くなれば、あらゆる可能な特異性もなくなる。つまり、必然的にあらゆる差異のない無底/サン・フォンが表象=再現前化する。
6.8
・見せかけ/シミュラクル
見せかけ/シミュラクルとは、異なるものが、異なるものに、差異それ自身によって関係するシステムである。それは強度的なものである。概念は以下7つある。
①諸強度/差異がそこで組織される深さ、強度的空間
②諸強度により形成される、齟齬する諸セリー、諸強度によって描き出される個体化の諸々の場
③諸強度を連絡の状態に置く、「暗き先触れ」
④カップリング、内的共鳴、そこから生じる強制運動
⑤システムにおける受動的自我と幼生の主体との構成、時空的純粋力動の形成
⑥システムの二重の異化=分化を形成し、それらのファクターを覆う質と広がり、種と部分
⑦質と延長が展開された世界において、なおその諸ファクターの執拗な持続を証示する包み込みの中心
6.9
・≪理念/idea≫と問題に関する理論
≪理念/idea≫は、差異的=微分的な諸要素(dx,dy)と、それらの要素の差異的=微分的な諸関係=比と、さらにそれら関係=比に対応した諸特異性とで構成される或る多様体である。
これら三つの次元は、多様な理由の三つのアスペクトを構成する。
①規定可能性/量化可能性の原理
②相互規定作用/質化可能性の原理
③ 十分な規定作用/ポテンシャリティ/累乗的潜在力の原理
それら三つが揃ってイデア的な時間的次元/漸進的規定の次元に投射される。つまり≪理念/idea≫の経験論が存在する。
あらゆる事物は、象徴の二つの半身を持つ。
一つは潜在的な理念的半身/一方では差異的=微分的な諸関係=比/また一方ではそれに対応した諸特異性である。
もう一つは、アクチュアルな半身/一方では関係=比を現実化している諸々の質によって構成される/また一方ではそれら特異性を現実化している諸々の部分で構成される。
それら全ての仕方で規定された存在者は次を問題にしなければならない。
つまり≪理念/idea≫としての書物は、充分に規定されて(差異化=微分化されて)いることが可能であるが、アクチュアルな存在を構成する諸規定は持っていない(未異化=未分化であり個体化されてない)ことである。
6.10
・≪他者≫
≪他者≫はシステムのなかに巻き込まれている個体化の諸ファクターと混じり合っていず、或る意味でそれらのファクターを「代表=再現前化」し、それらファクターに相当する価値を持つ。他者はひとつの構造であり、私以外、あるいは君以外の全てのものである。知覚的世界における個体化を保証するものは<他者=構造>なのである。
6.11
・遊び=賭けの二つのタイプ-それらの特徴
人間的な遊び=賭けと、理想的な遊び=賭けを幾つかの特徴により分類する。
人間的な遊び=賭けは、定言的な規則を前提とし、勝ち負けを規定し、偶然を除外する。道徳的な諸前提をもち、仮言的であり、表象=再現前化の全ての要素を持つ。
理想的/神的な遊び=賭けは、規則が無く、自分自身の規則を元にし、遊牧的/ノマド配分である。
6.12
・カテゴリー批判
基礎概念は二つの観点で表象=再現前化の諸カテゴリーから区別される。第一に現実的経験の条件であり、可能的経験の条件であるだけでない。第二にそれぞれのカテゴリーは全く別々の諸配分を司る。
基礎概念はひとつの本質的な出会いの対象であって、再認の対象ではない。
6.13
・反復、同一的なものと否定的なもの
物質の側面からは、二つの特徴を結合する。
同一的なものは、あるパターンの中に絶対的に同一な概念を存在させること。
否定的なものは、同一な概念が種別化されるのを、その本質的な貧弱さ、無意識、疎外的状態であるために存在すること。
差異は、その都度全体的であり、かつ全体化するひとつの反復の度あるいは水準に向かって己を置き換え、擬装する。それぞれの水準は、己に固有な特権的な点として己の特異性を含む。
差異自身は二種類の反復の間にある。己/反復が縮約する同一的で瞬間的な外的諸要素の表面的な反復と、常に変化可能な或る一つの過去の内的な全体的なものの深い反復との間にある。
6.14
・二つの反復
記憶は二つの反復の対立する諸特徴が現れる第一形態である。
一つは同じものの反復であり、否定的で、欠如であり、外的な諸部分の反復であり、静的で、空間的広がりにおける反復であり、通常の反復であり、水平的であり、説明されるべきものであり、結果の公平性であり、対称であり、仮面をつけられる裸のものである。
ひとつは異なるものの反復であり、本質的な置き換えと擬装を含み、定立的で、過剰で、内的な変化可能な全体的なものであり、度と水準の反復であり、動的であり、強度的であり、垂直的であり、解釈されるべきものであり、原因における不等性であり、非対称であり、選別と自由の反復であり、仮面が唯一の要素の着衣の反復である。
これらから二つの帰結を導ける。
一つ目は反復を同じものだと主張することと、反復を否定的なやり方で説明するのは、同じ観点からの説明であり同時的である。
二つ目は概念の同一性とその欠如に即した、物質的で裸の反復と、定立的な理念/ideaにおける差異と過剰に即した、心的で、形而上学的な着衣の反復という二つの反復を対置するだけでは不十分であることだ。
それは名目的概念、自然の諸概念、自由の諸概念の三つのケースの説明においてそれぞれ確認された。
6.15
・病理学と芸術、常同症とリフレーン-全ての反復の共存の場所としての芸術
反復はパトス/受苦であり、その哲学はパトロジー/パトスの論理、病理学である。ひとは同時に二回反復するが、一方は水平的機械的であり、片方は深度的見せかけ/シミュラクル的象徴的である。
分裂症型の重複症と常同症を考える。そこには機械的な反復の独立では無く、2種類の反復の関係に特有の、着衣の反復が他方の裸の反復の原因であり続けるプロセスに特有の、一つの障害がある。
反復は言語の力である。その力は最高に定立的で理念的な自身に応じることで、自身の全てのシステムを着衣の反復として組織する。ここでは詩的≪理念/idea≫に適合する必要がない。私たちは共鳴を具現化するだけで良い。
例えば歌唱において先触れがリフレーンの中で具現されると同時に、異化=分化した諸セリーが節あるいは唱句として組織され共鳴する。節たちはリフレーンの周りで周りうるのである。
6.16
・存在論的な、第三の反復へ向かって
第二の反復がつくる過去と現在の諸円環は、第三の総合の中で壊されるように見える。
この総合では、根拠/フォンドマンが或る無底/サン・フォンの中で廃止され、諸≪理念/idea≫が記憶の諸形式から解放され、反復における擬装と置き換えが、差異の力/ピュイサンスとしての発散と脱中心化と縁を結ぶ。
根拠つけられた反復と根拠つける反復の彼岸には、束縛と解放、生と死が同時に依存するだって根拠化の反復がある。
物理学的反復と形而上学的反復の彼岸に、存在論的反復がある。存在論的反復の役割は、他2種類の反復に差異を配分し、誤謬を抑える。そのような発散と脱中心化を同時に演じ、反復を包み込むことこそ芸術の至高の目的である。
6.17
・時間の形式と三つの反復
全ての反復は時間の純粋な形式で順序付けられる。
時間のア・プリオリな諸規定/前、中間、後、は静的であり、それらは経験的内容と対置される。
ある途方のない行動のイマージュは、経験的状況に見出される。それが時間全体に広がり、時間の形式のア・プリオリな象徴へと生成するためには、そのような状況が行動の「強迫神経症的な」≪分離/イゾラシオン≫を可能にするだけで良い。
前、中間、後という時間の純粋な形式は、行動のイマージュに対して、それ自身が既に反復である。
前、中間、後はそれぞれの回がそれ自身反復である。問題は、途方もないイマージュに即した行動の内的諸条件に関する生き方である。
6.18
・第三の反復の選別的な威力-永遠回帰とニーチェ<見せかけ/シミュラクルたち>
反復が諸反復を対象とするとき、反復が選別の力能を獲得するのは、次に左右される。時間の形式、順序、総体、セリーのもとでの諸反復の配分である。
≪前≫の反復は、否定的で、欠如により定義される。それは最初の力/ピュイサンスとしての、エスの無意識を意味する。
≪中間≫の反復は、或る<似るように-なる>、あるいは<等しく-なる>ということで定義される。それは自我の変身や、理想自我へのその自我の投射を意味する。
≪後≫つまり未来の反復は、前と中間を直線に配分し、さらにその二つを除去し、「その都度」を保管する。境界は、≪前≫、≪中間≫の条件的な諸反復と、≪後≫の反復、つまり≪前≫、≪中間≫の反復を不可能にする、永遠回帰における反復との、あいだにある。永遠回帰の威力の本領は、反復を擬似-循環の三つの時間に配分することにあり、≪前≫、≪中間≫の反復が帰還しないようにし、≪後≫の反復/未来の反復だけが、永遠に帰還するようにすることにある。
6.19
・還帰しないもの
≪否定的≫なもの、≪同一的≫なもの、≪似ている≫もの、≪類比的≫なもの、≪対立する≫ものは帰還しない。肯定だけ、つまり、≪異なる≫もの、≪非相似的な≫もの、過剰なもの、第三の反復だけが帰還する。
永遠回帰は、差異を肯定する。偶然を、多様なものと生成を肯定する。また、表象=再現前化の前提としての類似、否定的なものを除去する。
6.20
・≪同じ≫ものの三つの意味-存在論、錯覚、そして誤謬
永遠回帰における反復は同一的なものであるが、類似と同一性は、還帰するものの回帰に先立って存在しない。同じものが、永久に脱中心化されながら、差異の周りを回るのは、同じものそれ自身が≪存在≫を引き受けつつ、「存在者」の全体を引き受ける見せかけ/シミュラクルに、適用されるときだけだ。
誤謬の歴史は、表象=再現前化の歴史である。同一的なものは、異なるものの永遠回帰における反復の意味をもち、似ているものは、同様でないものの永遠回帰の意味をもつからだ。
その場合に永遠回帰はそれ自身回りながら、ある種の錯覚を起こし、異なるものに対する自身の肯定を二重化するためにその錯覚を利用する。
6.21
・存在の類比と表象=再現前化、存在の一義性と反復
ひとが、概念一般への差異の諸限界を固定するとき、上位の限界は、規定可能な究極的諸概念によって表象=再現前化され、下位の限界は、規定された最小概念によって表象=再現前化される。有限な表象=再現前化において、類的差異と種的差異は、本性と方法の観点から異なるが、相補的なものである。
一義的なものは、自身の諸々の種に対する類であり、多義的なものは、自身の諸々あるいはカテゴリーに対する≪存在≫である。
参照
ジル・ドゥルーズ「差異と反復」河出書房新社
https://note.com/hmjm292709/n/n9c21937e4ab4
https://note.com/hmjm292709/n/n59dd4db2c690