【推しの子】とは何だったのか 令和最大の女児向けコンテンツの興亡を考える

さて、「推し」「推し活」とは何か?
・日本の「推し活」市場は2020年代において4000~8000億円程度と視られ、コロナ禍を境界にその規模は伸長傾向である。
・日本では3人に1人が「推し」がいると自認している。
・「推し」は「オタク」よりもポジティブなイメージの言葉であり、カジュアルに用いられている。
・「推し」とは、「好き」とは異なり、その存在自体が活力源となる存在とされる。
・「推し活」とは、若年層ほど、生活に密接したものになっている。
・「推し活」は、若年層ほど、可処分所得に占める割合が高まっている傾向にある。

では「推し」とは具体的にどのようなものか?
・・・博報堂 オシノミクスレポート
https://www.hakuhodo.co.jp/humanomics-studio/assets/pdf/OSHINOMICS_Report.pdf
好きな対象を受け身的に愛好しているだけでは なくて、
「その対象に対して自分から働きかけている状態」=「推し活」、
「働きかける対象」=「推し」と定義される。
「推し活」は、自らの働きかけで自分の内部世界 とモノや他者といった外部世界をつないでいるので、まさに プロジェクションという心の働きで起こっている行動。
プロジェクションというのは、心の働きの一つで、想像力と、
かつその想像を信じる力が鍵となる。

プロジェクションしやすいコンテンツには、「余 白 」が大事だ。
一方で、日常性を小出しにすることも重要、例えば自分と推しの世界が地続きであることの実感などが必要だ。
「推し活」の行動根拠は3つ。1つ目は、「推し活」が現実を生きていくために息抜きできる、とても身 近 な 非日 常 の ひとときを提 供してくれること。
2つ目は、「推し活」が間接的な自己開示を行える媒介的役割 を持つこと。
直接的な自己開示をせずとも、ゆるやかに、でもすごく近く他者と繋がることができるツールである。
3つ目は、「推し活」を通じて利他の幸福感を感じられること。
他者と協力することのベースに何が あるかというと、自分の資源(時間、労力、お金など)を他者と分かち合うことが 幸せであること。
「推し」に救われるとは、
「推し」が自分に直接何か してくれたということではない。
「推し」によって自分が 何かに気づいたり、自分が何かできるようになったり、
自分を とりまく世界の捉え方が変わることだ。
自分が熱愛する対象によって、能動的に何か のアクションをおこすようになる。「推し」を推すことは、自分自身の生きる力を推進することだといえる。
(愛知淑徳大学 心理学部 教授 久保(川合)南海子)

一方で課題もある。
「推し活」が民主化して、「推し」や「ファンダム」といった概念が広く一般に浸透 した結果、一部では「搾取する・される」の構造があまりに当たり前になっている。
本来アーティストが表現を通じて成し遂げるべき役割は、ファンひとりひとり の背中を押して、自律した人生を歩ませてあげることだ。

社会的イシューに対するスタンスの取り方、アーティストであり表現者と しての責任みたいなもの の在り方を、明確にしていくことが 必要な時代 だ。
それが ないアーティストとファンコミュニティはマイクロ 宗教化してしまう。
真に ファンダムが幸せでいるためにアーティスト自身が等身大でできることを 考え、スタンスを示すことが、幸福で健全な関係性の構築に必要なことである。

(スタンスに)大小はなくて「明日、学校に行くことが怖い」とか、 そういった半径5m以内の生きにくさのようなものに寄り添える、そんな アーティストのメッセージこそが 重要になっている。
(株式会社キミノリJAPAN代表 伊藤 公法氏)

本題に入ろう。
【推しの子】とは何か
2020年代、コロナ禍を契機に凋落していくアイドル産業を尻目に、特に女児向けコンテンツとして圧倒的な人気を獲得した、
それが【推しの子】だ。

※ネタバレ注意※
あらすじは以下の通り。
田舎の産婦人科医ゴローは、自分に懐いていた患者で、12歳の若さで亡くなった少女さりなの影響によりアイドルオタクになっていた。
そんな彼の元に、活動休止中の彼の推しアイドル・星野アイが双子を妊娠した状態で現れる。子供を産むこともアイドル活動も諦めないというアイに改めて魅力を感じ、
彼女の内密出産を全力で応援することにしたゴローは、
彼女の主治医としてつきそう。
しかし、アイの出産日に、ゴローはアイのストーカーのリョースケによって殺される。

ゴローはアイの子供、星野愛久愛海(アクア)として生まれ変わる。アクアの双子の妹である星野瑠美衣(ルビー)は、さりなが生まれ変わった姿だった。
2人は互いに生まれ変わる前の記憶を持っていることを知るが、自分たちがかつての医者と患者の関係であったことまでは気づかない。
そのまま2人は、出産したことを隠しつつアイドル活動を再開したアイを応援しながら、アイのもとで成長していく。(あらすじ終わり)

2024.12に最終巻刊行予定で、これまでの漫画の発行部数2千万部、
1期アニメのOP「アイドル」は世界的HIT(再生総数5億回超)、2期アニメの円盤売上も2024夏アニメ第1位、2024年冬には実写映画も予定されている。
破竹の勢いといっていいコンテンツであり、アニメ戦略も大当たりで、塗り絵など児童向け戦略が素晴らしい。

2020年代は、少女漫画誌のなかよし、ちゃおなど、かつての女児漫画勢力の沈みこみが激しく、ジャンプ+の推しの子、アーニャ(SPY*FAMILY)に人気が偏っている状況でもある。
※ちゃお、りぼん、なかよしの順に、2000年の各雑誌の発行部数:100万部、250万部、200万部。2023年の各雑誌の発行部数:14.3万部、12.5万部、4.3万部。
参照:https://realsound.jp/book/2024/11/post-1846645.html

しかし、推しの子がヒットしている状況自体が現実のアイドル産業の凋落を逆説的に示してもいるが、
その虚構の落とし前をつけようとした結果、下手な終わり方となった感が否めない。

※ネタバレ注意※
アクア死亡エンドについて賛否両論、というより批判が噴出している状況にあるが、根本的に本作の立ち位置と射程を考えることで、その背景に迫りたいのが、本文の主旨だ。
主なTOPICは以下となる。

0,立ち位置と射程
1,計画的炎上について(宇野常寛より)
2,アニメ化の力(石岡良治より)
3,リアリティショーとルッキズム(成馬零一より+α)
4,大人のいる芸能界(三宅香帆より)
5,アクア死亡エンドについて


0,立ち位置と射程


もし現代で「ガラスの仮面」を描きつつ、芸能界の構造的な暗部の認識も広めることが出来たなら?
作者の赤坂アカの前作「かぐや様は告らせたい」でその芸能界の奥行と面白さに着想を得つつ、
2010年代後半から人気の高い「転生もの」に準えて、「ワンチャン、今死んだら、【推し】の子に生まれ変われるんじゃね?」
という不謹慎丸出しの発想を掛け合わせたのが本作 【推しの子】 だ。

それぞれもう少し突っ込むと、「ガラスの仮面」は昭和後期の日本を舞台に、「養子に恵まれない」けど「演劇に圧倒的な情熱を注ぐ」女の子が主人公の話だ。
内容は完全に少女漫画的ながらも、少年漫画的なご都合主義に乗りつつ、虚構としての面白さを前面に展開していく、ある意味スポコンものである。
ここには、「転生もの」の虚構としての側面を掛け合わせていると言えるだろう。
そして一方の「芸能界の構造的な暗部」については、赤坂アカの綿密で秀逸に拾い上げられた取材活動を通じた、
ある種の「リアリティショー」感を武器にしていく展開となる。

徹底的に虚構であることで、却って現実に肉薄する強度の物語を獲得しえる。
この逆説的な構造を執拗に用いて全世界的に展開していくのが、旧世代の虚構の担保であり、例えば「機動戦士ガンダム」などは、
緻密な虚構と、生々しい人間関係や感情描写を交えつつ、新たな信念を獲得することで、一種の偽史的虚構を獲得してきた。

一方で現代における「虚構」の立ち位置はどうだろうか。
ARやVR、手近な事例でいえば「ポケモンGO」など、現代は現実を虚構が「アップデート」する時代だ。
虚構があることで、目の前の現実を幾層にも重層化し、
豊かな「現実」に還元していくことが出来る。
それは「リアリティショー」にしても同じことで、
「台本はない」(が、演出はある=虚構)であることで、
現実感に肉薄し白熱を読み込む構造を取っており、
私たちはそこに「リアリティ」を感じる。
リアリティショーの「ヤラセ」に炎上する状況をよく見かけるが、
彼らは完璧な「リアル」=虚構を観たいのであり、
中途半端なノイズ(メタ視点)のある「リアル」に、嘘くささを感じてしまうのだ。

このように、徹底的に物語的に「虚構」であるのか、あるいはリアリティショーのように「現実」感を打ち出していくのか。
この虚構と現実のラインの牽き方に最期まで引きずられ、
時流に追い越されてしまったのが、【推しの子】の最大の達成であり、
同時に終着点でもあったように感じる。
それは、メディア化し、Web漫画という媒体の多重化により、
「引き返せない地点」=Point of No Return まで進んでしまったように思うのだ。

【推しの子】は、
アイドルの急死というフェイクドキュメンタリーとして颯爽と登場し、
強力で秀逸な取材力によるリアリティを獲得した。
同時に、予め仕込んでいたプロットに強引に合わせてしまうために、キャラクターのデザインが、動線が、感情が歪になり、
「アイドル運営もの」=キャラ萌えになっていった=語るべきものが「最終局面において存在しない」ことに陥ったのではないか。
以下の先人たちの論点を参照しながら、それらを辿ってみたい。


1,計画的炎上について


「炎上」行為とは意図的に批判を引き起こし注目を集める手法であり、
基本は挑発行為だ。
代表的には3種類に分けられ、
①大多数の趣味や嗜好を貶して批判や非難を浴びる手法、
②他者を悪人に仕立て、自らを被害者のように主張、仮構する手法、
③有名人を巻き込み、有名人本人やそのファンを挑発する手法がある。

今回、赤坂アカの高い人権意識のもと、巧妙に③は避けつつ、
例えば序盤でアイを殺す(①)であったり、
恋愛リアリティショー編における黒川あかねの展開が該当しよう。
(②、、、但し例えばテラスハウス事件とは微妙に時期がずれているので、
当該批判は的外れである)
もちろん、ラスボスの神木ヒカルの人物造詣は、時期にもよるが②のケースに該当する。

【推しの子】のような、アイドル運営ものをやったときに、Xのタイムラインの操作はうまくいくが、読者の感情移入には失敗してしまいがちだ。
アクア死亡エンドを活かすには、本当に読者が星野アクアに対する幸福を強く願う構造を生む必要があるが、メタ視点が入り過ぎていて感情移入できない。
アクアは最初から殺して泣かせルートで設計している節があったが、アクアへの感情移入描写不足が要因として不自然感があった。
最後のアクア死亡エンドのみ、そこに至るまでの所謂「取材力による描写」が全く見られないために、物語の中身が無くスカスカになっている。

以下は編集者で評論家の宇野常寛の引用となるが、一部参照しよう。(以下引用)
映画編(15年の嘘)では、語るべき現実が既に無いという状況に陥っており失速したと考える。
アクアは最年少衆議院議員は出来るはずで、そのような現実への介入は可能だ。
(中略)昔の国民クイズ番組のようなリアリティショーも含め、このようなキャラを魅力的に描く方法は難しいが、
政治的なものに近接している、このような人間を描くのは、寓意ではあるが、(アクアのリアリティを増進させるうえでは)可能性があったと思う。
現在は、1980年代のテラスハウス風の役者が大統領になるという、劇場型政治の時代である。
具体的にはドナルド・トランプ次期大統領であり、【推しの子】はいわば、現実に追い越されて、失速してしまったのだ。

【推しの子】の作者:赤坂アカは「令和のガラスの仮面」を目指したと言明しているが、これも重要な参照点となる。
以下は同様に編集者で評論家の宇野常寛の引用となるが、一部参照しよう。

(以下引用)
漫画「ガラスの仮面」は永遠の未完作品として高名だ。完結出来ない理由は、作者の美内すずえの新興宗教の運営側参入問題もあるが、
やはりメインキャラ(速水真澄)を殺せない問題が大きい。ファンの暴動が起きる可能性について70代の作者(美内すずえ)は耐えられないのだ。
Amazonのレビューで「ガラスの仮面の完結を望みながら、昨年、母は亡くなりました」などの投稿が出現するように、
怨霊が大量発生する可能性がある。
それぐらいの力を発揮するには、裏方の視線、作者の視線を発生させない工夫が必要であるはずだが、、、(以上引用終わり)

インタビューで作者が述懐するように「裏方の闇を掘り下げて告発するより、そのような状況下で生き、輝く人々を活写したい」意図があった。
つまり、敢えて本当の闇を描かず、
(本当の意味での)炎上ルートに踏み込まないことで、むしろバランスを取っている節があるのだ。
例えば、石岡良治が指摘するように、
多くの人が女優でアイドルの、橋本環奈と【推しの子】の星野アイを想起するが、
意外と松田聖子+神田沙也加(松田聖子の実娘にして、自殺により早々に他界)を考えてみたい。
ただ、このモチーフを当て嵌めて、アクアは死なずルビーが死ぬと、
物語の構成としては面白いが、
アニメ化とその市場戦略によって、児童人気が爆発してしまった背景ゆえに、大炎上する可能性があるため、ブレーキを大きく踏んだ可能性があったと思う。

「劇中劇」のモチーフ(「ガラスの仮面」)の関連で指摘すると、例えば2.5次元舞台の主要な客層は女性だが、
マンガ連載誌はヤングジャンプという男性向けであり、ここにも女性客層/男性客層という齟齬がある。

アクア死亡エンドによる炎上が発生する要因に、(統計的に、年長の)男性読者が多めである場合が多い。
例えば石岡良治が指摘するように、漫画「違国日記」をジェンダー逆にすると有効な作品になる可能性があるように、
【推しの子】を月刊アフタヌーンで連載させ、フェミニズムやジェンダーに突っ込んだ内容にすれば、さらなる発展性の可能性があったと思う。
男性読者向けであるゆえに、神木ヒカルを、性的虐待被害者に仕立てる方向であり、星野アイの芸能界の性的搾取(の可能性)を描かなかった点もここにあるのではないだろうか。
これらは基本はジャニーズ問題もウィーン合唱団問題も同じであり、管理職層による児童虐待、性的搾取の構造である。

また、コスプレ編では、マスコミが信じられないというエピソードにおいて、暴走したツイフェミのストーリーに仕立てている。
これは男性読者向けでは安牌のネタであり、ホストとアイドルの性的搾取の循環などに関連して、さらに切り込む余地があったはずだ。
※参照:『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』青弓社 、第2章「推す」ことの倫理を考えるために(筒井晴香)

総じて、物語の構成当初からの作者の意図通りに、取材結果の産業の闇をバランスよく配置して仕上げているものの、
逆にそのバランスが仇となり、
闇にドライブされることで晒される芸能界のどうしようも無さ、悍ましさや、
逆にバネにして乗り越えようとする意気込みを描くことに至れていないように感じる。
ルポルタージュと実体験により、漫画研究会とサークルクラッシャーを題材としながら、読者に忘れ難い傷と、圧倒的な背徳感を感じる参照枠として、
例えば「ヨイコノミライ」(IKKI、きづきあきら+)を想起してもよいだろう。




2,アニメ化の力(メディアの力)


(ここでは石岡良治の指摘を全面的に引用したい。)

漫画の1巻は最も面白く、そこをアニメで90分放映したことでトップスピードで流行に乗せたていた。
(鬼滅の刃の)煉獄さんや(呪術廻戦の)五条さんのようにメインキャラを殺してOKの風潮を感じる。
一方でそれらのファン=萌えへの配慮をどうするかの問題もあるが。。。。

男性作者の赤坂アカ、女性作家の横槍メンゴなど男女総取りコンテンツであったが、そのような男女ペア企画は、総じてポシャリがちである。
近年では「アクタージュ」に令和のガラスの仮面を期待したが、
社会的制裁によりポしゃった。
【推しの子】においてはマンガの東京ブレイド編は期待感があったが、
(例えばガラスの仮面などと比較して)到達点は期待を下回った。
しかし、アニメの東京ブレイド編で非常に魅力的な2.5次元編に仕上げており、「進撃の巨人」や「鬼滅の刃」のようなものの流れの一環にあると考えている。
つまりマンガの落ち度や炎上をアニメでカバーする作品群である。

作品を発展させる可能性として、
作画担当の横槍メンゴが原案も務める他作品は秀逸であり、
性愛に起因する正義と不正義を徹底して露悪的に描くことで、動物と人間における生殖の価値観の根幹に迫っている。
「クズの本懐」「レトルトパウチ!」「一生好きってゆったじゃん」「めがはーと」など、、、
※セクシュアリティ描写に注意
これは半分冗談だが、横槍メンゴが描いた場合の、
「(闇の)ガールズバンドアニメ」は非常に興味深いものになるのではないだろうか。



3,リアリティショーとルッキズム


ドラマ評論家の成馬零一は、本作をして、
恋愛リアリティショーの流れが根幹にあると指摘した。
寿みなみや不知火フリルなど、明らかに出番が減るキャラがおり、グラビアアイドル編もありえたはずだと。
当初から映画編に収束することはプロット的に決まっていたようにみえるが、中間でどのキャラを跳ね上げるかを格闘していた構造に見える。
黒川あかねの炎上問題というネガティブさをポジティブな方向にもっていく、ゼロ年代から続く予定調和を感じる(コードギアス、デスノートなど)。
しかしこれに満足できない読者が多々いることが重要かと感じると、指摘している。

最初は嘘のすばらしさを謳いながら、
虚構の敗北を再復興させる印象を持っていたが、
実際に面白いのは現実の取材に基づいたネタであり、
カラスなど虚構パートは面白くないのが残念なポイントだ。
これらは、石岡良治が指摘するように、ゼロ年代のノベルゲー=エロゲーの印象を想起させる(Airなど)、外連味以上の効果を持たないものとなってしまっている。
2020年代においては、アイドルのAKBなどより
Vtuber,Youtuberの方が知名度が高い。
逆に星野アイやB小町の魅力はリアリティが無く、魅力的に描かれていない。

石岡良治の指摘と重なるが、作品全体は、ルッキズムに安易に阿っていて、
キャラ造詣より思想的に露骨であり、
顔面偏差値の高さが、いかなる悪行も許される要因となる世界観になっている。
ルビーは演技力の欠点のみで、黒川あかねや、有馬かなと対比されており、
特徴がない。
本当は不知火フリルとの対比をしっかり描き出すべきで、もっと言えば、結果的には不知火フリルの方が美人であった可能性がある。

作画担当の横槍メンゴの思想は、「イケメンは基本キモイ」、だが、
作者の赤坂アカはルッキズムの思想が強い。
キモイはNGであるなど、女性を生理的な観点で判断するという(男性の)観点の闇の部分であり、イケメンのキモさを暴くという二重性が横槍メンゴの長所だった。
リアル犯罪者でいうと「頂き女子りりちゃん」「木嶋佳苗」など。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ce8b9003da21e066614ce609c6d77db01833f2ce
https://imidas.jp/jijikaitai/l-40-153-12-07-g384
もっと主要人物に(序盤の医者だけではなく)オタキャラを入れても良かったのではないか。

アイドルオタ(ドルオタ)についての考察は、実際にAKB48のガチオタ勢であった宇野常寛の指摘が参考になるだろう(以下引用)。
【推しの子】はアイドル描写について「ドロドロ」ではなく「マイルド」にしている印象がある。
本当のドルオタ(アイドルオタ)はやばい。
しょうも無さ、エゲツナサ、醜さが大きい。
作者は本作の取材の過程でもっとやばい場面を見ているはずで、リアリティショーをやるならもっと醜い側面に突っ込めたはずだ。
フィクションにするのならこれで良かったが、、、、(引用終わり)
※こちらの記事も参照 https://note.com/sachatarou/n/na04acca1e25f

アイドルについて、ルビーは結論として最終的に皆に愛を与える、という最終回答も物足りないものがある。
例えば2020年放送の「ラブライブ!虹ヶ咲スクールアイドル同好会」(サンライズ、ランティス)では、
「推し」と「推される」側が相互に活動動機を与え合うことで、
現代的なアイドルの成立過程を個別に描く、
優れたエンタメであると同時に極めて批評的な介入を行った意欲作だった(第6話、11~13話参照)。

作家で批評家の三宅香帆も指摘するように、推しの話であるからには、
ファンとアイドルの関係性をもっと描いても良かったが、
ファンは刺殺犯以外にほとんど登場せず、描き込みが不足しているように思われる。
オタクの病とメンバーの嫉妬とが同列に描かれている(ニノ、刺殺犯など)が、それは実態とは大きく異なるはずだ。

二次元のオタクは究めるほど(二次元であるゆえに、メタ的に)冷静になっていくが、アイドルオタは生身の人間であるために、
相手に人生がある認識をもつために「この子の人生を救えるのは自分しかいない」という深みにはまりがち。
本当にヤバイ装置である(宇野常寛談)。

漫画「クズの本懐」で生殖の動物的悪意とその中和を、「めがはーと」では利他行為の露悪性と逆説的な美しさを描いた横槍メンゴであれば、
この推しファンダムの「ヤバさ」に対し、セクシャリティの追求による公的なもの(家族、共同体、融和など)への回路の提示などで、
あるいはもっと、可能性のある終焉を描き得たのかもしれない
※あるいは宇野常寛が思考実験するように、
アクアの政治家ルートなども考えられよう。
むしろ、いわゆる「ドナルド・トランプの支持者」を描けなかったことが欠点の一つではないだろうか。
これは1,計画的炎上 で指摘した問題と共通するが、「描けなかった」というより、
敢えて「描かなかった」という意識と実態が、逆説的に物語としての表現の訴求力の低下を生み出しているように感じる。

付言すると、
推しの子の実写の星野アイ役が齋藤飛鳥というのが全てを象徴している。
つまり、2010年代のアイドルなしに、2020年代におけるアイドルは描けないということなのではないかということで、ここが一番の問題である。
MEMちょ役をあのちゃんが演じているのが、むしろ怪物感があり、
これはこれで問題でもある。
星野アイはグループアイドル時代⇒ソロ時代のセンターを表象している印象があるが、ここにも時代観のずれがある。
(なぜなら、現代はVtuber,Youtuber全盛の時代であり、角度により切り取られるメンバーを自在に配置する方式がメインであるからだ。)



4,大人のいる芸能界


【推しの子】と「ガラスの仮面」の比較考察の観点から、三宅香帆は以下のように指摘している。

アクアを子供とするか大人とするか最後まで揺れているように見えた。
ルビーは最後まで子供として守られる存在として見せていた。
一方で大人の視点(プロデューサー、監督など)が多々あるが、どの程度達成されたのかを考えたい。
「ガラスの仮面」では、封建主義的な大人たちが、演者という子供たちを翻弄しつつも成長を促す、ある種のビルドゥングスロマンが定着している。
北島マヤも、姫川亜弓も、演技の幅を広げることを、自己認識の拡張という行為を通じて成長していくのだ。
一方で【推しの子】では、アクアの役割上、人格の成長は当初から企図されない。
あくまで元中年の精神を持つ青年として、ルビーの保護を第一に行動する為、周囲の大人たちと目線が同じラインにある。
劇中で成長らしい成長を見せるのは唯一、有馬かな くらいかもしれない。

これは近現代における価値観と共同幻想の崩壊
(国家や地域共同体の凋落)を前提として
大人たちが「大人」らしい、
教条的な振る舞いを行うことが出来なくなった結果として、
作中の大人たち(プロデューサー、監督など)がほとんど情報提供や資金提供に徹するのみのような背景に後退しているのが現代的であるともいえる。
であれば、むしろノイズにしかならない情報であり(ほとんど意義をもたない、さりなの毒親など)、適切にオミットすることも可能だったのではないか?



5,アクア死亡エンドについて


最大の問題であり、1~4の問題設定(「計画的炎上」~「大人のいる芸能界」)の俎上にある。
まず、宇野常寛が語るように、
リアリティのライン設定が根本的な問題の一つである。
アクアが死ぬ展開に本気で傷つく人はおそらく多くないが、無理に殺そうとした作者の考えが見えてしまう。
美しいフィクションとしてアクアが死ぬのか、
リアリティショーとしてアクアが死ぬのか。
繰り返すが、推しの子の作者はSNS対策に依り過ぎているためにアクアに感情移入できない。
アクアは最初から殺して泣かせルートで設計している節があったが、アクアへの感情移入描写不足が要因として不自然感があった。
中途半端に誰かと付き合うこともなく、単純に退場するだけの構成こそ不自然であったため、殺すルートとなった可能性がある。

最後の神木ヒカルとの対決でアクアの偏差値が30ほど下がっている印象があり、
物語にキャラを引っ張り過ぎである。
周辺のキャラのアクアの死への反応も想定より薄く、最後1巻で異常にリアリティが不足してしまっている。

作者は神であるはずだが、自分のキャラクターを信じているかどうか。どうとでも出来る感覚を残し過ぎている。
最終回近くでアクアが医者である正体ばれを持ってくるのは構造上非常にいいが、逆に演出があっさりしすぎている。

【推しの子】は基本的にタイムラインや世評を読んで構成を応用、情報操作している印象が強く、アクアの死亡エンドもその延長にある。
しかし予定調和内であり面白みがなく、
もっと人々を楽しませる、可能性を考えても良い。
最終的にアクア死亡エンドにおいて、アクロバティックな解決の相対化のような可能性、艶やかさを捨てて、
死んだら読者は感動するだろう、という安直な意図が見えてしまう。死亡ルートに説得力がない。

最後のアクア死亡エンドのみ、そこに至るまでの所謂「取材力による描写」が全く見られないために、物語の中身が無くスカスカになっている。
取材の部分は面白いが、純粋な虚構の部分が全く面白くない。
取材して物語を描く手法は赤坂アカが身につけた武器であるが、終盤こそ、アイドルの取材力を活かして、アクアが神木ヒカルを追い詰めるなどあってもよかった。
進撃の巨人アニメ版も作者の諌山創監修により原作の補完的なストーリーが組まれた経緯あり、推しの子もそれに近い可能性がある。

ラスボスの神木ヒカルの造詣も中途半端だ。実は神木ヒカルは既に死んでいてカラスを神木ヒカルのモチーフにすれば面白かったかもしれない。
神木隆之介と佐藤健を病気にして適当に混ぜたような造詣よりも、藤原竜也のような造詣にした方がまだインパクトがあった。
勝ち逃げするキャラにした方が後味が悪く、呪いが残る感じで良くないと思う。安いゴジラ観がある。
Airとゴジラ-1を適当に足したような印象である(石岡良治談)



終わりに 推しの子;推しの申し子:
かなちゃんの2.5次元舞台編(アニメ)の秀逸な絵コンテに添えて

個人的な感想としては、やはり1-14巻までの展開は秀逸であり、取材に基づく展開は特に白眉といってよい出来だった。
であればこそ、不自然な最終展開も、アニメで描き直し、「虚構としてのリアリティショー」を突き詰めてほしい
(それはアクアを最年少衆議院にする展開でなくとも良く、あかねとの共謀エンドでも良いかもしれない)。

参考文献
・ニコニコ動画「【推しの子】のラストはあれでよかったのか?」PLANETS 2024.11.25放送
・オシノミクスレポート https://www.hakuhodo.co.jp/humanomics-studio/assets/pdf/OSHINOMICS_Report.pdf
・推し活の市場規模とは?消費行動やマーケティング手法も調査
 https://www.a8.net/ec/column/?book_id=column_104
・インタビュー 漫画【推しの子】「一言で言うと現代版「ガラスの仮面」を描きたいんです!」
 https://news.livedoor.com/article/detail/20445944/
・開沼博「漂白される社会」ダイアモンド社
・『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』青弓社、
・手っ取り早い炎上マーケティング!そのメリットとデメリットは?
 https://mediaexceed.co.jp/marketing/flaming-marketing/
・オタ活で病んでしまうのは、あなたのせいではない
 https://note.com/sachatarou/n/na04acca1e25f
・〈少女漫画誌動向〉「りぼん」「なかよし」「ちゃお」3大雑誌どこが強い? 待ち望まれる“大ヒット漫画”の誕生
  https://realsound.jp/book/2024/11/post-1846645.html
・美内すずえ「ガラスの仮面」花とゆめ、白泉社
・横槍メンゴ「クズの本懐」ヤングガンガン、スクエアエニックス
・横槍メンゴ「レトルトパウチ!」ヤングジャンプ、集英社
・横槍メンゴ「めがはーと」ヤングジャンプ、集英社
・Daily PLANETS『BanG Dream! It’s MyGO!!!!!』の達成 アイドルの成熟から大ガールズバンド時代へ|徳田四
・文書構成資料 

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カテゴリー: 漫画

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